「ふわぁ、ねみぃ……」
朝から半日以上働いた工場の終業時間を迎え、俺——今川清志(いまがわ きよし)——は歩いて社員寮へ向かう。
「朝から夜まで働くなら、農作業の方がまだいい……」
田舎で暮らす俺は農業大学卒業後、実家を離れて社員寮のある工場で働いていた。
兄貴は親父や祖父とも暮らし、嫁さんもいて『幸せな大家族』という雰囲気を作っている。
俺が働きに出ると決めた時も……。
『おい、清志。無理するなよ、一緒に暮らそう? な?』
そう言ってくれた。
だが、兄貴の嫁になっている人は俺が昔から密かに思いを寄せていた親戚の姉さんだったこともあり、精神的に耐え切れずに逃げるように社員寮のある工場で働くことに決めたのである。
「だが、失敗したなぁ……交代勤務がこんなにきついなんて10年は立つが、年々きつくなる……ふわぁぁ」
欠伸をしながら、俺は夜道を歩いた。
カンカンカンと踏切の音が鳴った時、立ち止まると俺は線路の中にいることに気づく。
「寝ぼけていた!? え、待って!」
キキキーというブレーキ音が聞こえてきたが間に合わなかった。
(ああ……俺は死ぬのか、生きてても働くの辛いし、彼女もいないし人生楽しいことなかったなぁ……)
どこか諦めにも近い気持ちを抱いて目を閉じるが衝撃はやってこない。
おかしい……。
「何が起きたんだ?」
俺が目を開けると、そこは白い空間が広がっていた。
霧の中のようで、そうでないような。
ただ……ただ白い空間である。
「こんにちわ」
「誰だ?」
声の方を向いて振り返ると、白い布のようなものをまとった銀色でつややかな髪を長く垂らした女がいる。
外国人の様で肌が白く、瞳も水色で綺麗な色をしていた。
「綺麗だ……」
「あ、ありがとうございます……ええと、貴方は今の世界で死にました」
「まぁ……そうだな……」
「あまりショックを受けていないんですね?」
「ショックを受けているが、交代勤務がきつくて感覚がマヒしているのかもしれない」
心配そうに俺の顔を覗いてくる女に俺はぶっきらぼうに答えた。
そうとしか言えないくらい、最近はキツかった。売り上げを上げるために工場フル稼働で生産数を上げようとしているのが多いい。
「わかりました。貴方には私の守護する世界での休息を楽しめるようにいたします」「休息か……確かに欲しかったところだな」
女がそう言って手を軽く動かすと俺の周りに光が集まり、吸収されていった。
「何をしたんだ?」
「あなたが私の世界で過ごすときに困らなくなるようにする加護を与えました。はじめは綺麗な水を出す
意味の分からないことを次々に告げてくる女に俺は首をかしげる。
「これはあれか……甥っ子がよく読んでいる漫画やアニメとかにある異世界転生という奴なのか?」
「ええ、今更気づかれたようですがそうですね……転生ではなく、今の清志さんの姿のまま異世界に送りますので転移です」
「そうなのか……よくわからないが、わかった」
俺は女の言っていることに嘘がないと何となく感じたので、そのまま了承した。
すると、宙に浮くような浮遊感が体を襲い始める。
「では、私の世界を頼みます……」
「今更だが、名前を教えてくれるか?」
「私の名前は——」
名前を最後まで聞けず、俺の意識は体が上空へ飛んでいく感覚と共に消えていった。
■フィオレラ村 教会礼拝堂
俺が目を覚ますと、そこは教会の中だった。
俺の住んでいる田舎の小さな教会によく似ているが、古くささなどからして別物だとわかる。
「ここは……どこなんだ」
月明かりが差し込んで幻想的な雰囲気を醸し出している礼拝堂の床で俺は寝ていたようだ。
そういえば異世界の教会って何をあがめているんだろう?
「すまない! 誰かいるか!」
夜で静かにしなければいけないとは思いつつも、現状把握をしたいので声を出して呼びかけることにした。
「どちらさまですか? このような時間に礼拝でしょうか?」
「ああ、俺は……通りすがりというか、なんというか……」
教会の入口から姿を見せたのは手持ち用の明りを持ち、シスター服を着たクセっ気のある金髪の女だった。
ものすごく美人で、シスター服の胸元を盛り上げるほどの巨乳が目立つ。
俺の務めていた工場は男ばかりだったし、女性がいてもおばちゃんなのでこんな美人と話すのは初めてだ。
緊張して言葉に詰まるのは仕方がない。
「そういえば……言葉が通じている?」
「はい、聞こえていますよ? 旅の方でしょうか? このあたりでは見ない服を着ていますが……」
「ええと、これは……どう説明すればいいんだ……銀髪の長い髪の女に連れてこられたというか……」
嘘は言っていないが、信じてくれるだろうか?
俺の言葉にシスターは驚きに眼を見開いて、俺の手を取った。
「詳しいお話を聞かせてくださいますか? 重要なことですから」
シスターに案内されて、俺は外にある司祭居住区へと向かった。
■フィオレラ村 教会司祭の家 キッチン
小さな家の中にあるキッチンに案内され、俺は椅子に座って周囲を見る。
書斎となっている部屋と寝室が2つ、あとはこのキッチンくらいだ。
「改めまして、私はホリィといいます。フィオレラ村でシスターをしているものです」
「俺はキヨシだ」
「キヨシ……変わったお名前ですね? それに髪の色や目も……東方と呼ばれる遠い国にいる人のようです」
「日本という国に聞き覚えはないか?」
「いえ、私にはありませんね……。」
俺はホリィに事情を説明する。
とはいっても俺自身よくわからいことばかりだったのでうまく説明ができたとはいえなかった。
「古い伝承で、女神セナレアが世界が瘴気に侵される時、使者を遣わされるとありましたが……まさか私が遭遇するとは思いませんでした」
「使者? そんなに仰々しいものではないぞ?」
「ですが、キヨシさんが見たという長い銀髪の女性というのは女神セナレア様に近いですから……」
ホリィはウキウキした様子で俺の話を聞いてくれる。
大人っぽい美人だと思ったが、こういうところはお茶目で可愛い気がした。
「この辺境の村、フィオレラをはじめ瘴気が広がってきているので、解決のためにキヨシさんを遣わしてくれたのかと……」
「俺はそんなに偉い存在じゃない……ただの派遣社員だ」
「そういうことにしておきます。まず、これからどうされるのですか?」
「できれば一晩でもいいから泊めてもらいたい。明日からどうするかはわからん」
「ここは私一人だけで暮らしていますから、空いている寝室で過ごしていただいて大丈夫ですよ」
にっこりと綺麗な笑顔でホリィはいってくれるが純粋すぎて不安になる。
鍵のかからない部屋で、年頃の男女が寝泊まりするというのは間違いが起きてしまうはずだ。
いや、さすがに起こす気はないんだが……。
「わかった、ありがとう……世話になる」
俺は素直に好意を受け取ると寝室へと向かった。