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77話『ゲーム開始』8


「――っ!!!!!セバスチャン!!」


 甲高い声が響いた。

 黒の視線を飛ばせばエリザベートが眼に入る。


 意外にも彼女が先に我に返ったようだ。

 嫌。顔を歪めに歪め狂った笑みを浮かべる彼女は壊れていたといった方が正しいか。

 探し求めていた標的がいきなり現れた事。コレを幸いと判断したらしい。


 今まで後ろに控えていた執事の名を呼ぶ。

 長い黒い髪をオールバックに後ろ手に一纏めにしたガタイの良い燕尾服の男。

 セバスチャンと呼ばれた彼が姿を消した。


 彼がいた地面には穴が開く。常人なら目で追う事も儘ならない。

 拳を構えて、ただの一瞬でアドニスへと迫り。

 無表情でその動きを目で追う、少年へとその拳を振り下ろす。


『――おっと』

「――!」


 アドニスとセバスチャンの間。

 空中に何処からともなく30㎝ほどの《【暗闇】》が現れたのは同時の事。


 白い手が音も無く伸び、自身より確実に大きなその拳を掴み止めた。

 行動を記せば、ただ。それだけ。

 だが、ただそれだけの行動に、セバスチャンの表情が驚きに満ちた物へと変わった。


 そんな男を《【暗闇】》の先で赤い瞳は笑う。


 突風が一つ。

 闇を払うかのように吹き荒ぶ。


 思わず誰もが目をつむる。

 眼を開けた時、その化け物は姿を現した。


 濡羽色の髪。雪の様に白い肌。血のように赤い瞳。

 喪服と思わせるドレスをゆらゆらりと舞わせ。背に紅い入れ墨を施された。

 誰もが目を奪われるほどの美しい【神】が。


 セバスチャンの渾身の一撃をいとも簡単に受け止めて。

 シーアは何時ものようにニタリと笑う。


 ◇


 ギシ。ギシ。

 軋む音が鳴る。


 シーアに拳を掴まれた男は冷や汗を流し、歯を食いしばりながら彼女を睨む。

 残った手で腕を掴み。何とか抜け出そうと言わんばかりに身体を引っ張る。

 勿論と言うべきか、セバスチャンと言われた男の身体はピクリとも動かないが。


「少年、何やっているんだい!」


 寧ろ目の前の男など眼中に無いらしい。シーアはケラケラ笑いながらアドニスに問いただした。

 目の前でガタイの良い男が身動き一つとれなくなり冷や汗を流しているというのに。

 彼女は何処までも平然だ。


「あんなに自信満々に『二の王』としてやって来たのにバレるの早すぎ!自信満々に宣言しちゃってさ」

「うるさい。黙っていろ」


 当たり前と言うべきか、シーアは触れて欲しくない所を平然と触れて来る。

 こっちはこっぱずかしい気持ちだというのに。


「この、貴様――!」


 完全に空気と化していたセバスチャンが、残った手をシーアの顔をめがけて振り上げ下ろしたのはその時だ。

 威力でいうなら、恐らく地面ぐらい簡単に抉ってしまいそうな一発だろうが。

 女の瞳が今日初めてセバスチャンを見た。


 紅い瞳。血のような瞳。

 色の無い、何も無い虚空の瞳。


 刹那の事だ。

 彼女を中心に爆発的に、渦巻く様にどす黒い空気が溢れ出したのは。

 表すのなら、まるで大きな黒い手。ソレがシーアと言う女から飛び散る様に辺りを覆いつくしたのだ。


 それはセバスチャンだけじゃない。

 周りにいた他の『王』達にも容赦なく襲い掛かる重圧。


 そして、その重圧は彼女の殺気だと言う事実は嫌でも頭に叩きつけられる。

 誰もが言葉を失い愕然と佇む。


 今まで余裕を院せていたグーファルトやカトリーヌでさえも。

 ただ目を大きく見開き佇む事しか出来ない。


 ただの一瞬。ほんの一瞬の出来事。

 その一瞬で彼女はこの場にいる全員を気圧したのだ――。


 ニタリ。紅の唇が笑う。表すのならやはりバレリーナ。

 シーアは握りしめていた男の拳を離す。そして優雅に身体を回転を一つ。

 でも、きっとアドニス相手の時よりも弱く、手加減をして。正しく子兎の蹴り。それを一発。


 残念。セバスチャンには可愛い子兎の蹴りで十二分。


「がっは!」


 その体に、細い足先が当たった瞬間に大きな身体は、一気にはじけ飛んだ。

 まるで腹に一穴でも開きそうな威力。口から血反吐を吐き、白目をむき出しにして。

 風を切って勢いをつけたまま二階まで。

 『六の王』の隣を一瞬で通り過ぎ、凄まじい爆風と共に彼は壁へとめり込むまでに、叩きつけられるのだ。


 衝撃で屋敷中に、ぱらぱらと石の粉が降り注ぐ。

 ドトールもエリザベートも。いや、他の者達は何が起こったか分からないという表情で佇んでいた。

 それはあのグーファルトもそうだ。

 唖然とした表情で現状を間抜け面。いや、恐怖を滲ませていたと言った方が正しい。


 その中で、アドニスの隣で踊り終わった彼女は優雅に地面に着地。


「で、少年これからどうするきだい?」


 どうやら周りには全く興味が無いようだ。

 ふわり。何時ものように身体を浮かせるとアドニスの後ろへ。

 その胸を押し付けて背中から抱き着く。


 それは、周りから見れば異常としか言えない状況だったに違いない。

 優勝候補と言われた二人の『王』でさえ固唾を呑む。


 「何かの冗談かよ」とグーファルトは冷や汗を流したほどだ。

 目の前。あの黒いオーガニストと名乗った『組織』が遣わした犬。アレでさえ、手強いというのに。

 灰色の眼に余りに美しい得体のしれない女が映る。


 あの殺気を前にしたからこそ身体が叫ぶ。

 彼女が繰り出した一撃で心が喚く。


 ――あの女には絶対に敵わない、と。


 興味も無さそうに、此方を見たシーアがニタリ。そう笑った。


「レベッカ!」

「フォックス!」


 二つの声が轟いた。

 一つはグーファルトのモノ。

 彼が声を掛けた同時に、階段の隅で震えていた黄緑の少年が我に返ったように顔を上げる。

 赤い瞳に涙を沢山ため、ガタガタ震えながらそれでも。彼は呼ばれるままにグーファルトの側へと走り寄った。


 そしてもう一人。

 そんな少年と反対に名を呼ばれ反応した女がいる。

 今まで屋敷の入口で笑みを浮かべていた得体のしれない女『九の王』だ。

 彼女の名を呼んだのはマリアンヌ。腰が抜けて階段に座り込んだまま、彼女はレベッカに命を下した。


「殺しなさいレベッカ!早く!」

「はいはーい♪」


 レベッカが太ももから、小さな蓮華の模様が刻まれた子供用のナイフを取り出す。

 瞬間。彼女の姿は煙の様に消えた。

 瞬きの間もなくアドニスの目の前へと姿を現すのは刹那の出来事。


 金色の瞳に今までなかった狂気にも似た殺気を纏いナイフを振り上げる。


「手を出すな。こいつは俺の獲物だ」

「!」


 だが、アドニスからすれば彼女の動きは正直スローモーション。

 目線を少し送るだけ。少年の手はナイフを持つ女の手を掴み上げ、動きを封じる。

 そのまま残った手で腰に付くナイフを取り出すと、レベッカの首めがけて振り下ろすのだ。


「――」


 間一髪だった。

 レベッカが体制を素早く整えて、ナイフの一撃を交わす。

 それと並行して身体を動かし器用にアドニスの腹にめがけ蹴りを一発。ニヤリと笑った。


 普通であれば上半身と下半身がお別れするほどの威力だったに違いない。

 だが、黒曜石の眼は静かに女を見下ろす。

 残念なことに、レベッカの攻撃は実に無意味で、腹に足がめり込む前に掴まれてしまったのだ。


 アドニスは掴んだ足を引き込んだ。レベッカの身体は抗うすべもなく引き寄せられる。

 黒い眼と金色の瞳が対峙した時。

 彼女の足を離し、今度はアドニスからレベッカに腹に拳を一発叩き込む。


「が……!」


 女の身体は「く」の字に折れ曲がり、口から血が零れる。

 シーアほどの威力は無いものの風を纏い、レベッカの身体は風を切った。

 そして、二つ目の大穴を屋敷に作るのだ。


「…………く、きゃは。きゃはははははあは!!!」


 もくもくと上がる土煙の中。レベッカの笑い声が上がった。

 崩れた壁の中。血まみれの彼女が身体を起こす。

 無事だった理由は、咄嗟に右手で受け身を取ったからなのか、アドニスが手加減をしたからなのか。

 なんにせよ、アドニスの拳を受けたレベッカの右手はひね曲がりあらぬ方向へと向いていた。


 ただ、まだ彼女も逃げる気は無いらしい。

 血まみれの身体をゆらりと起こし、残った手でナイフを握る。

 気が狂った目で、笑みで、面白いと言わんばかりにアドニスと対峙する。


「今の内だ、逃げるぞ。」


 その戦いぶりを見ていた他の『王』

 愕然としていたカトリーナの耳元でグーファルトが呟いた。


 気が付けば彼は右手でフォックスを抱え、カトリーナの腰に手を廻していた。


「今回は特例だ。屋敷から逃げ切るまでは手を貸してやる」


 何処か焦る様な声色でグーファルトは言った。

 カトリーナは何か言いかけたが直ぐに口を付くむ。彼の行動は正しい。

 目の前で人とは思えない動きで退治する化け物達を見る。


 笑みを浮かべたレベッカが必死になってナイフを振り下ろすが、それら全てをアドニスはかわしていく。

 時に黒いナイフで受け止めて弾き飛ばしたかと思えば、血が噴き出し彼女の身体に傷がつく。

 そしていつの間にかアドニスの背から離れて宙に浮きながら、そんな二人を見下ろしているシーアの姿。


 アドニスとレベッカの戦いぶりはカトリーナには見えなかった。

 ただ分かるのは、今この場に居るのが危険な事。


 気が付けば、いつの間に先程セバスチャンと呼ばれていた男が傍らにエリザベートを抱きかかえて立っている。その側には蒼い顔のドトールもいる。アレで無事であったようだが満身創痍と言ったところか。


「何をしているのです!はやく、早くあの駄犬を殺しなさい!」

「い、今は無理だ……。このままでは我々は殺されてしまう……!」


 側に居るエリザベートは威勢が良いがドトールは完全に心が折れてしまっている。

 そんな二人を側にセバスチャンが声を抑えて口に出す。


「我々は、一足先に逃げさせていただきます……。あの少年だけならまだしも、は聞いていない」

「……。ああ、俺も同じ気持ちさ」


 セバスチャン。彼が言うの間間違いなく空中で漂う女の事だ。

 グーファルトも苦笑を浮かべて之には同意するしかない。


「逃げるのかい?」

「!!」


 そんな此方の気持ちも知らず。

 女は紅の笑みを浮かべる。



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