目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報
68話『約束』後編


 その場に、何とも言えない静寂が流れた。

 モニター向こうの皇帝は酷く訝しげな表情を浮かべ、麗しい【神】を目に映す。


 それは残った愛妾の一人も同じだ。

 愕然とした面持ちで、恐れおののいた女へと視線を飛ばし固まる。


 アドニスだけが、この状況を理解している程度。

 いや、今現在アドニス自体も彼女の行動に理解が出来たと言うべきか。


 この女。

 気まぐれで、やって来た訳じゃなかったのか。

 なんだか。少しだけ、嬉しくなった。


『『ゲーム』の褒美、だと?女、お前は何を言っている』


 皇帝も完全に我に返ったようで、際程と比べ酷く冷徹な声が鳴る。

 掴み処の無い様子が慌てたように、威厳溢れる佇まいに戻ったのは同時。

 背筋を伸ばした彼女は笑い言う。


「ああ、約束した物でね」


 ――……おい、まて。

 嘘つくな、押し付けただけだ。


「この小僧が、どうしてもと駄々を捏ねるので。受け入れたのだが?」


 ――反対だろう。このバカ女め!


「しかも、皇帝のお許しが無いと動けないとも駄々を捏ねた」


 ――何故最後だけ、事実を混ぜる?


 アドニスの身体は正に優雅に華麗で、一寸の無駄も無く動いた。

 身体を捻らせ力いっぱいシーアの頭を狙い、手にしていたナイフを狙い投げる。

 その表情は悪鬼羅刹如くだったが、残念。軽く頭を倒し避けられた。

 切っ先はそのまま皇帝モニターの胸元を突き抜け壁へ。


 直ぐに我に返るのだが。 

 慌てて踵を返し彼女へと向き直り、大股で彼女の側へ。

 シーアの頭を抑えると同時に自身の頭も深々と下げる。その頭はビクともしないが。


「申し訳……!」

『よい、下がれアドニス。余はこの女と話がしたい』


 唇を強く噛みしめる。


『……なに、話をするだけだ』


 そんなアドニスに気に留める事無く。

 直された椅子に皇帝は深々と腰かけ、ひじ掛けに手を付けると頬杖をし、改めて此方を見据えた。

 その眼は鋭く酷く面白そうで、しかし何処か苛立ちが垣間見える。


『ゲーム』と言えば、皇帝も瞬時に何の『話』なのかは直ぐに分かった事だろう。

 完全部外者であるシーアは『ゲーム』の情報を出し。

 アドニスの武器としての参加申し込みと、加えアドニスに報酬を求めたのだ。彼が苛立ちを覚えるのも仕方が無い。


『『ゲーム』の褒美とは、何か?自分で仕向けた猟犬に玉座をあたえよと?貴様の様なチートとしか思えぬ武器を持たせて?』


 間を切る様に、くつくつ、皇帝は小さく笑い、そして続ける。


『――そこの小僧。余を王とは認めないと?自分が王と相応しい……そう言いたいのか?』

「馬鹿か、貴様。私の言葉を理解していないのか?」


 僅かな間も無かった。

 アドニスが申し開きを口にする前にシーアが鼻を鳴らしたのだ。

 ……申し開きなど、アドニスには出来なかったが。


 顔を顰める皇帝を前にシーアは臆せず言う。


「少年はお前を王とし、不満も無ければ一生の服従を捧げている」

『……で、あろうな。なに、冗談だ』


 少しの間のち、皇帝は鼻で息を付き僅かな笑みを浮かべた。

 だが、その顔が肩眉を上げ、狐疑こぎにも似た顔が浮かんだのも同じ頃だ。


『で、在れば。そこの小僧は何を望む。――貴様に何を望んだ?』


 シーアは「ニマリ」と笑う。

 笑って首を横に振る。


「まだ何も。約束しただけだ」

『何?』


 赤い瞳が皇帝を射貫き、冷たくも色の無いままに放つ。


「この『ゲーム』少年が勝ったら私が、彼の『望みをなんでも1つ叶えてあげる』とな」


 それでも、その声色は何処か掴み処の無い何時もの彼女で、アドニスにチラリと視線を向けて。


『願いを、叶える?』


 彼女の言葉に皇帝は怪訝を零した。

 当たり前だ。王でも何でもない少女が「なんでも願いを叶える」と言い切ったのだ。疑問に思うのは当たり前。


 彼の様子に気が付いたのだろうか、シーアは再び皇帝に向き合った。

 次は神々しい笑みを浮かべ言う。


「ああ、どんな願いも。彼が望む事なら『なんでも』……そんな約束だ」

『――なるほど』


 あまりに彼女が自信に満ちて言うモノだからか、皇帝はすんなりと受け入れた。

 いや、何かを思い立ったかのように口元に吊り上げた笑み。


 翠の眼が何故か酷く面白そうに、何かを察した色合いを浮かべアドニスを映す。

 そして、心底面白いと言う様に威圧を含んだ表情で、威厳ある王の佇まいで口を開いた。


『そうか、ではアドニス』

「――は!」


 いきなり自分に話が降られたのだ。思わず声が上がる。

 皇帝は、言う。


『この『ゲーム』で勝利したのち、その女に願え。――『の物に成れ』と』


 ◇


 一瞬にして、その場が凍り付いたのが分かった。

 頭を垂れながら、アドニスは息をさえ忘れたかのような感覚に陥り静寂が包む。

 目を大きく開き唇をきつく噛みしめる。

 ただ、激しい動機の音だけが耳に聞こえる、それだけ。


 皇帝は言った。

 その女に願え、『余の物に成れ』……そう言ったのだ。


 それは、嗚呼、ソレは。

 ――紛れもなく「命令」


 絶対に逆らってはいけない。『正義』からの勅令。

 この「命」をアドニスは逆らえない。跳ね除けることは出来ない。跳ね除け方が分からない。

 だって仕方が無い。色の無いアドニスには仕方が無い。


 でも、そんなの、それは、それだけは――。


 頭上でため息が零れた。


「馬鹿か貴様は」


 何も言えないアドニスの代わりに凛とした声が響く。

 皇帝は目を細め、アドニスから視線を外すとシーアを映す。

 真っすぐに臆することも無く、睨み上げる真っ赤な瞳を同じように王を見据える。


 だが、その勝敗は目に見えていた。

 冷や汗を流し、喉を鳴らし生唾を呑んだのは、皇帝だ。


 彼女は言う。


「『ゲーム』を起こしただけの部外者が、この私に何を望む」


 赤い光は鋭く男を睨み、せせらぎの様に美しい声は凛と何処までも響く。

 表情には美しい顔が台無しと思える程に寄せに寄せ、その眉間にしわを作り。正に般若の様な顔色。

 細い手がアドニスを指す。


「この子の褒美は、この子だけのものだ」


 何処か怒りが混ざる声色で、本当に何処までも高らかと。


「この子の願いはこの子だけのものだ。必死に足掻いて、己が積み重ねた力だけで勝利を掴み取ったからこそ、与えられるに相応しい褒美だ。努力も何もしない愛嬌も無い初対面の男に、何故私が褒美を与えねばならん?」


 【神】は口元を吊り上げ言う。


「貴様は親鳥だろう?隣の雌鳥に目移りして褒美欲しさに雛鳥になどになるな、気持ち悪い!大きな鳥が雛鳥の真似事をして大口を開けて、むしろ雛鳥から餌を奪おうなんて吐き気がするぞ?」



 皇帝は見る見るうちに表情を変えていった。

 彼女は例え話をしている様だが、完全に罵倒が入っているし、覆い隠せていない。

 あまりの事にアドニスや、愛妾ですら顔を青ざめ。


「と言うか、何でもかんでも自分の物に出来ると勘違いしている所が気色悪い。全ての女が自分に好意を抱き、手中に収まると勘違いしている男特有の自分主義に身震いする。――この私が何故貴様の様な枯れ木に身体を明け渡さねばならん。ロリコン」


 威厳ある【神】そのもので、シーアは強烈な言葉を次々に叩きつける。

 腕を組んで顔を顰めて、実に冷ややかな視線で射貫き拒絶。

 皇帝の自尊心やら、男の在り方やら、片端からばっさばっさ切り捨てて行って、最後は火にくべて燃えカスにしていくような感覚。


「ソレが世の理とでも言うか?摂理と?下らん。人の理など私には不要!雛鳥まがいなど、見つけ次第地に蹴り落してくれる!」


 それは脅しと取っても良いだろう。

 分不相応。

 皇帝だか何だか知らないが自分に縋るな、殺すぞ?と言う表れ。


 最後の最後まで皇帝に拒絶を露わにしたシーアは顎を上げる。

 目を細め、口元に「ニマリ」と作り笑い。

 そして最後は見下す視線を王に向け、首を傾げ言うのである。


「で、分不相応な皇帝陛下。それでも私を欲するのかい?」――と。


 ――ガン!!


 皇帝がきつく拳を作り上げ、ひじ掛けに振り下ろしたのは彼女の言葉が紡ぎ終えた、まさにその瞬間の事。

 アドニスは瞬時に片膝を付くと深く頭を垂れた。それは残った愛妾も同じ。


 場に覆いかぶさり凍り付く様な威圧に殺気。額に冷や汗が伝い、水滴が血染めの床に滴り落ちる。

 皇帝の憤慨は見に突き刺さる勢いで理解し、しかし、もし此処でシーアを殺せと言う命を出されても、其れこそアドニスは遂行も出来ない事実も襲う。


 この威圧の中で、平然と笑っているのはシーアと言う女ただ一人だ。

 彼女だけが興味も無さげに笑って、清廉とした空気を放ち、しかし皇帝に劣らず言い表せない圧を放っている。


 この2人が、今後どう動くか――?

 緊張だけがこの場を静寂陥れ、氷雪のような世界を創り上げていた。


『――ふん、よい。良かろう』


 ……最初に、この空気の中で声を発したのは皇帝その人であった。

 一度目を閉じると王は深々と玉座に座り、大きく息を付く。

 鋭い眼光の眼は次には開かれ、麗しき女を見据えた。


『ならば、女』

「……なんだ?」

『アドニスが勝てば貴様が褒美を取らす。コレは良い。しかしだ』


 最後に鋭い眼に悦楽の色合いを織り交ぜて、口元に裂けんばかりの笑みを。


『アドニスがのなら、その時は、貴様は余の物に成れ!』


 ――「ニヤリ」と吊り上げて言うのだ。


 ◇


「――え?」


 思わぬ皇帝の言葉にアドニスは声を上げるしかない。

 一瞬彼の言葉が理解出来なくて、思わず顔を上げ皇帝の顔を目に映す。

 視線がぼやける。視点が彼方此方に動き回り、息が苦しくて堪らない。

 もう頭には「不敬」だとかそんな言葉は浮かびもせず、真っ白になった頭で何かが浮かんでは消えていった。


 そんなアドニスを皇帝は気にも留める事は無い。

 彼が見るのは美しい【神】一人だ。皇帝は言う。言い切る。


『麗しき女よ。貴様の男に対する苦言に一つだけ助言を与えよう』

「なんだ……?」

『男と言うモノは、本当に欲しいと思ったものは何が何でも欲するものだ。――どんな手を使おうともなあ?』


 その緑の眼が告げる。

 ――余はお前が欲しいと。

 何をしてでも、お前が欲しくて欲しくて堪らないと。


 シーアは一瞬眉を顰め僅かに首を傾け少年を見る。

 同時にアドニスは息を詰まらせた。

 皇帝の真意を、この2人は汲み取り理解したのだ。


 シーアが小さく息を付き、小さな笑みを浮かべたのはアドニスが我に返る前。

 彼女の赤い瞳は再度皇帝に送られ、「ニマリ」と笑んだ。


「――承知しよう」


 それは思わぬ言葉だったか、理解できない言葉だったか。

 アドニスの肩は大きく震えあがった。

 だが圧を纏う2人は気に留めない。皇帝は笑う。


『女、名は?』

「――ヒュプノス」

『では決定だ、ヒュプノス。貴様の望みを叶えよう。これからはアドニスの武器として思う存分『ゲーム』に勤しむがよい!』


 皇帝がモニターの向こうで両手を大きく開き、此処に断言する。


『アドニスが『ゲーム』に勝てば褒美を、負ければ貴様は余の物に!――これを新しい『ゲーム』のルールとする!』


 狂気じみた眼で、恐怖を感じる笑みを浮かべながら。

 高らかな哄笑を何処までも響かせて、満足そうに勝ち誇った形相で約定を定め確定させるのだ。


 皇帝の前で、シーアはそれ以上何も言わない。

 笑い声が響く中で愛妾が我に返ったようで、引き攣った笑みで笑みを浮かべ拍手を送り。

 その中でアドニスだけが、唇を噛みしめ、項垂れる様に俯くしか無かった。



この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?