その場に、何とも言えない静寂が流れた。
モニター向こうの皇帝は酷く訝しげな表情を浮かべ、麗しい【神】を目に映す。
それは残った愛妾の一人も同じだ。
愕然とした面持ちで、恐れおののいた女へと視線を飛ばし固まる。
アドニスだけが、この状況を理解している程度。
いや、今現在アドニス自体も彼女の行動に理解が出来たと言うべきか。
この女。
気まぐれで、やって来た訳じゃなかったのか。
なんだか。少しだけ、嬉しくなった。
『『ゲーム』の褒美、だと?女、お前は何を言っている』
皇帝も完全に我に返ったようで、際程と比べ酷く冷徹な声が鳴る。
掴み処の無い様子が慌てたように、威厳溢れる佇まいに戻ったのは同時。
背筋を伸ばした彼女は笑い言う。
「ああ、約束した物でね」
――……おい、まて。
嘘つくな、押し付けただけだ。
「この小僧が、どうしてもと駄々を捏ねるので。受け入れたのだが?」
――反対だろう。このバカ女め!
「しかも、皇帝のお許しが無いと動けないとも駄々を捏ねた」
――何故最後だけ、事実を混ぜる?
アドニスの身体は正に優雅に華麗で、一寸の無駄も無く動いた。
身体を捻らせ力いっぱいシーアの頭を狙い、手にしていたナイフを狙い投げる。
その表情は悪鬼羅刹如くだったが、残念。軽く頭を倒し避けられた。
切っ先はそのまま
直ぐに我に返るのだが。
慌てて踵を返し彼女へと向き直り、大股で彼女の側へ。
シーアの頭を抑えると同時に自身の頭も深々と下げる。その頭はビクともしないが。
「申し訳……!」
『よい、下がれアドニス。余はこの女と話がしたい』
唇を強く噛みしめる。
『……なに、話をするだけだ』
そんなアドニスに気に留める事無く。
直された椅子に皇帝は深々と腰かけ、ひじ掛けに手を付けると頬杖をし、改めて此方を見据えた。
その眼は鋭く酷く面白そうで、しかし何処か苛立ちが垣間見える。
『ゲーム』と言えば、皇帝も瞬時に何の『話』なのかは直ぐに分かった事だろう。
完全部外者であるシーアは『ゲーム』の情報を出し。
アドニスの武器としての参加申し込みと、加えアドニスに報酬を求めたのだ。彼が苛立ちを覚えるのも仕方が無い。
『『ゲーム』の褒美とは、何か?自分で仕向けた猟犬に玉座をあたえよと?貴様の様なチートとしか思えぬ武器を持たせて?』
間を切る様に、くつくつ、皇帝は小さく笑い、そして続ける。
『――そこの小僧。余を王とは認めないと?自分が王と相応しい……そう言いたいのか?』
「馬鹿か、貴様。私の言葉を理解していないのか?」
僅かな間も無かった。
アドニスが申し開きを口にする前にシーアが鼻を鳴らしたのだ。
……申し開きなど、アドニスには出来なかったが。
顔を顰める皇帝を前にシーアは臆せず言う。
「少年はお前を王とし、不満も無ければ一生の服従を捧げている」
『……で、あろうな。なに、冗談だ』
少しの間のち、皇帝は鼻で息を付き僅かな笑みを浮かべた。
だが、その顔が肩眉を上げ、
『で、在れば。そこの小僧は何を望む。――貴様に何を望んだ?』
シーアは「ニマリ」と笑う。
笑って首を横に振る。
「まだ何も。約束しただけだ」
『何?』
赤い瞳が皇帝を射貫き、冷たくも色の無いままに放つ。
「この『ゲーム』少年が勝ったら私が、彼の『望みをなんでも1つ叶えてあげる』とな」
それでも、その声色は何処か掴み処の無い何時もの彼女で、アドニスにチラリと視線を向けて。
『願いを、叶える?』
彼女の言葉に皇帝は怪訝を零した。
当たり前だ。王でも何でもない少女が「なんでも願いを叶える」と言い切ったのだ。疑問に思うのは当たり前。
彼の様子に気が付いたのだろうか、シーアは再び皇帝に向き合った。
次は神々しい笑みを浮かべ言う。
「ああ、どんな願いも。彼が望む事なら『なんでも』……そんな約束だ」
『――なるほど』
あまりに彼女が自信に満ちて言うモノだからか、皇帝はすんなりと受け入れた。
いや、何かを思い立ったかのように口元に吊り上げた笑み。
翠の眼が何故か酷く面白そうに、何かを察した色合いを浮かべアドニスを映す。
そして、心底面白いと言う様に威圧を含んだ表情で、威厳ある王の佇まいで口を開いた。
『そうか、ではアドニス』
「――は!」
いきなり自分に話が降られたのだ。思わず声が上がる。
皇帝は、言う。
『この『ゲーム』で勝利したのち、その女に願え。――『
◇
一瞬にして、その場が凍り付いたのが分かった。
頭を垂れながら、アドニスは息をさえ忘れたかのような感覚に陥り静寂が包む。
目を大きく開き唇をきつく噛みしめる。
ただ、激しい動機の音だけが耳に聞こえる、それだけ。
皇帝は言った。
その女に願え、『余の物に成れ』……そう言ったのだ。
それは、嗚呼、ソレは。
――紛れもなく「命令」
絶対に逆らってはいけない。『正義』からの勅令。
この「命」をアドニスは逆らえない。跳ね除けることは出来ない。跳ね除け方が分からない。
だって仕方が無い。色の無いアドニスには仕方が無い。
でも、そんなの、それは、それだけは――。
頭上でため息が零れた。
「馬鹿か貴様は」
何も言えないアドニスの代わりに凛とした声が響く。
皇帝は目を細め、アドニスから視線を外すとシーアを映す。
真っすぐに臆することも無く、睨み上げる真っ赤な瞳を同じように王を見据える。
だが、その勝敗は目に見えていた。
冷や汗を流し、喉を鳴らし生唾を呑んだのは、皇帝だ。
彼女は言う。
「『ゲーム』を起こしただけの部外者が、この私に何を望む」
赤い光は鋭く男を睨み、せせらぎの様に美しい声は凛と何処までも響く。
表情には美しい顔が台無しと思える程に寄せに寄せ、その眉間にしわを作り。正に般若の様な顔色。
細い手がアドニスを指す。
「この子の褒美は、この子だけのものだ」
何処か怒りが混ざる声色で、本当に何処までも高らかと。
「この子の願いはこの子だけのものだ。必死に足掻いて、己が積み重ねた力だけで勝利を掴み取ったからこそ、与えられるに相応しい褒美だ。努力も何もしない愛嬌も無い初対面の男に、何故私が褒美を与えねばならん?」
【神】は口元を吊り上げ言う。
「貴様は親鳥だろう?隣の雌鳥に目移りして褒美欲しさに雛鳥になどになるな、気持ち悪い!大きな鳥が雛鳥の真似事をして大口を開けて、むしろ雛鳥から餌を奪おうなんて吐き気がするぞ?」
皇帝は見る見るうちに表情を変えていった。
彼女は例え話をしている様だが、完全に罵倒が入っているし、覆い隠せていない。
あまりの事にアドニスや、愛妾ですら顔を青ざめ。
「と言うか、何でもかんでも自分の物に出来ると勘違いしている所が気色悪い。全ての女が自分に好意を抱き、手中に収まると勘違いしている男特有の自分主義に身震いする。――この私が何故貴様の様な枯れ木に身体を明け渡さねばならん。ロリコン」
威厳ある【神】そのもので、シーアは強烈な言葉を次々に叩きつける。
腕を組んで顔を顰めて、実に冷ややかな視線で射貫き拒絶。
皇帝の自尊心やら、男の在り方やら、片端からばっさばっさ切り捨てて行って、最後は火にくべて燃えカスにしていくような感覚。
「ソレが世の理とでも言うか?摂理と?下らん。人の理など私には不要!雛鳥まがいなど、見つけ次第地に蹴り落してくれる!」
それは脅しと取っても良いだろう。
分不相応。
皇帝だか何だか知らないが自分に縋るな、殺すぞ?と言う表れ。
最後の最後まで皇帝に拒絶を露わにしたシーアは顎を上げる。
目を細め、口元に「ニマリ」と作り笑い。
そして最後は見下す視線を王に向け、首を傾げ言うのである。
「で、分不相応な皇帝陛下。それでも私を欲するのかい?」――と。
――ガン!!
皇帝がきつく拳を作り上げ、ひじ掛けに振り下ろしたのは彼女の言葉が紡ぎ終えた、まさにその瞬間の事。
アドニスは瞬時に片膝を付くと深く頭を垂れた。それは残った愛妾も同じ。
場に覆いかぶさり凍り付く様な威圧に殺気。額に冷や汗が伝い、水滴が血染めの床に滴り落ちる。
皇帝の憤慨は見に突き刺さる勢いで理解し、しかし、もし此処でシーアを殺せと言う命を出されても、其れこそアドニスは遂行も出来ない事実も襲う。
この威圧の中で、平然と笑っているのはシーアと言う女ただ一人だ。
彼女だけが興味も無さげに笑って、清廉とした空気を放ち、しかし皇帝に劣らず言い表せない圧を放っている。
この2人が、今後どう動くか――?
緊張だけがこの場を静寂陥れ、氷雪のような世界を創り上げていた。
『――ふん、よい。良かろう』
……最初に、この空気の中で声を発したのは皇帝その人であった。
一度目を閉じると王は深々と玉座に座り、大きく息を付く。
鋭い眼光の眼は次には開かれ、麗しき女を見据えた。
『ならば、女』
「……なんだ?」
『アドニスが勝てば貴様が褒美を取らす。コレは良い。しかしだ』
最後に鋭い眼に悦楽の色合いを織り交ぜて、口元に裂けんばかりの笑みを。
『アドニスが
――「ニヤリ」と吊り上げて言うのだ。
◇
「――え?」
思わぬ皇帝の言葉にアドニスは声を上げるしかない。
一瞬彼の言葉が理解出来なくて、思わず顔を上げ皇帝の顔を目に映す。
視線がぼやける。視点が彼方此方に動き回り、息が苦しくて堪らない。
もう頭には「不敬」だとかそんな言葉は浮かびもせず、真っ白になった頭で何かが浮かんでは消えていった。
そんなアドニスを皇帝は気にも留める事は無い。
彼が見るのは美しい【神】一人だ。皇帝は言う。言い切る。
『麗しき女よ。貴様の男に対する苦言に一つだけ助言を与えよう』
「なんだ……?」
『男と言うモノは、本当に欲しいと思ったものは何が何でも欲するものだ。――どんな手を使おうともなあ?』
その緑の眼が告げる。
――余はお前が欲しいと。
何をしてでも、お前が欲しくて欲しくて堪らないと。
シーアは一瞬眉を顰め僅かに首を傾け少年を見る。
同時にアドニスは息を詰まらせた。
皇帝の真意を、この2人は汲み取り理解したのだ。
シーアが小さく息を付き、小さな笑みを浮かべたのはアドニスが我に返る前。
彼女の赤い瞳は再度皇帝に送られ、「ニマリ」と笑んだ。
「――承知しよう」
それは思わぬ言葉だったか、理解できない言葉だったか。
アドニスの肩は大きく震えあがった。
だが圧を纏う2人は気に留めない。皇帝は笑う。
『女、名は?』
「――ヒュプノス」
『では決定だ、ヒュプノス。貴様の望みを叶えよう。これからはアドニスの武器として思う存分『ゲーム』に勤しむがよい!』
皇帝がモニターの向こうで両手を大きく開き、此処に断言する。
『アドニスが『ゲーム』に勝てば褒美を、負ければ貴様は余の物に!――これを新しい『ゲーム』のルールとする!』
狂気じみた眼で、恐怖を感じる笑みを浮かべながら。
高らかな哄笑を何処までも響かせて、満足そうに勝ち誇った形相で約定を定め確定させるのだ。
皇帝の前で、シーアはそれ以上何も言わない。
笑い声が響く中で愛妾が我に返ったようで、引き攣った笑みで笑みを浮かべ拍手を送り。
その中でアドニスだけが、唇を噛みしめ、項垂れる様に俯くしか無かった。