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58話『二の王』10



 アドニスの動きは、彼女の一言で完全に止まった。

 只、その言霊で――。

 呟かれる様に紡がれたそれだけで、世界の時間が止まる。


「――。今……」

「危ないんだよ!」


 それでも振り向く暇は与えられない。

 白い手が伸び、頭を鷲掴みにすると、体重を思い切り掛けられ身体が前へと傾き倒れる。それは部屋を出ると言う直前。

 受け身も満足に取る事も出来ず、アドニスの身体は正面から床に叩きつけられ事となった。


 しかし彼女のこの行動に対して。

「何をする」――この一言はアドニスの口からは出ることは無い。


 破裂音が響き、銃弾が飛んだのは正に同時であったからだ。

 弾はアドニスの頭があった場所を正確に飛びぬけ壁へと当たる。


 『敵、補足。追跡します』

 『追跡開始、オートモードに変更』

 『追跡開始』


 右から左へ聞こえる声、声、声。

 それだけで嫌でも正体が分かり、理解もする

 どうやら、続けて彼女に助けられようだ――と。


「ま、ここは私がやるか……」


 小さくポツリと呟く声。頭を押さえていた手が離れたと思えば、シーアの身体はふわりと宙に舞った。

 アドニスが赤鼻で顔を僅かに上げ確認すれば、機械を真っすぐに見据える彼女の姿が見える。

 その手には何か小さい物。いや、先程見えていたから知っている。

 瓦礫だ。それも親指の爪サイズ、小石ほどの小さな瓦礫屑つぶて


 小型の飛行体が、彼女に向けて発砲するよりも前にその身体は動いた。


 彼女の掌から飛礫つぶてが飛ぶ。

 1つ、2つ、3つ。――前に見た、親指で弾くだけの簡単な行動。


 だが、そんな弾き飛ばすだけの威力がどれ程の物か、アドニスはよく知っている。

 人間一人。それも大の男を簡単に3mは弾き飛ばす一発。

 それがミリのずれも無く、空を飛ぶ3機に飛んで行く。


 少しだけ思い出す。

 アレと同じ一発を貰ったドウジマが珍しく後から苦言を零していた事に。

 あの子供のお遊びで、彼の肩は複雑骨折。

 普通は完治まで数日の所を一ヶ月は時間が掛かると言い渡され、今も治り切っていない……とか。


 そんな威力の一発を、小さな――50センチ程度の機械が耐えきれるか?答えなど見えている。


 一センチほどの飛礫はミサイル並みの威力と流速を抱き、流星如くその先端は大きな丸いレンズへと埋まり込む。

 ガラスは飴細工の様に粉々に割れ、プロペラがへしゃげ曲がり、丸い鉄背を突き抜け貫通。


 機体の放つ光は一瞬にして消え去り、音を立てて床へと落ちた。

 それも三機同時。―― 一瞬の出来事である。


「一発しか見えなかった……」

「ほれ、少年」


 全ての一連の流れをアドニスは何とか目で捉える事が出来ていたが、流石に愕然とした面持ちで見つめるしかない。

 そんな少年をシーアは首根っこを掴み上げると持ち上げた。


「ねえ少年。君、殺気を纏っていないモノを探すのは不得意とみた。違うかい?」

「……」


 無理矢理立たされると、送られたのは再先程判明した正論事実。

 思わず唇の端を噛みしめるアドニスにシーアは笑みを1つ。


「まあ、君だったら直ぐに慣れると思うよ……」


 なにが、だろうか?

 だがそんな疑問を口にしている暇はない。

 一呼吸を置いて、白い手がアドニスの手を取る。


「今は逃げるぞ。――あの機械は私に任せたまえ」


 何時ものように、ニタリ。空いた手に幾つかの瓦礫屑を握ると彼女は笑った。

 その様子に選択肢なんてなく。アドニスは小さく頷き受け入れるしかない。


 黒い眼光が、膨張し放たれた殺気に気が付き視線を向け、地を蹴りあげる。

 跳んで来た銃弾が髪の毛を掠め、窓ガラスを割る。

 今の一撃は男が撃って来たものだ。此処に居てはまずい。身を隠す様に走り出す。


「シーア、上に行くぞ……!」

「上?」


 逃げるのなら上だ。

 下に行けば行くほど、此方から標的は狙いにくくなるし。

 ビルの外に出れば狙い撃ち。不利しか無く。上を目指すしかない。

 狙撃銃を握りしめ階段へと目指す。


 『標的、確認しました』


 階段の隙間からまたあの飛行体。まるで此方の位置を把握している様だ。

 思わず発砲したくなったが、此処は我慢する。心配はいらない。


「ふむ、しつこい。ストーカみたいだな……!」


 シーアが動く。飛行体が姿を現すと同時に、飛礫を先ほどと同じように投げる。――命中。

 がしゃんと音を立て、機械が落ちる。アドニスは階段を駆け上り三階へ。駆け上りながら、ある可能性を模索していた。


 あの飛行体、ただ此方を追跡し銃を発砲してくるだけなのか。

 ――そんな訳ない。

 唯、それだけの機械にするはずがない。


 少なくとも此方を監視できる機能は付いている、と考えた方が良い。

 自動追跡と付けられているのだから、携帯端末と同じ追跡機能も、か。


 だったら――。

 アドニスは階段を上り切った先で銃を構えた。


 『標的、確認』

 『追跡開始します』


 銃口を向けた先にはこれまた4台の飛行体。

 シーアが石弾を弾くと同時に、銃を発砲し別の2機を落とす。

 彼女に僅かに視線を飛ばし言う。


「――シーア、こいつらは追跡機能が付いている!コレが有る限り俺達の居場所は敵に筒抜けだ!」

「なるほど……」


 瓦礫を軽く掌で飛ばし上げながら、シーアはニタリと笑った。

 赤い瞳がビルの中を見渡すと、何かを探る様に長い耳であたりを澄ます。


「じゃ、ちょっと。【神様】頑張ってみようかな……」


 なんて、冗談交じりの言葉を紡いで。

 彼女はその能力を開放した。


 ――。


 赤が妖艶と耀き、千里を観る。

 範囲はこのビルの中、それからビルの周囲半径一キロ。

 ビルの大きさは13階。一部屋当たり大体十部屋ぐらいか?


 まずは一階。視線を巡らせ駆ける。

 飛び跳ねるように、まるで早送りするかのように、その場を全て観ていく。

 目標の飛行体は直ぐに発見。入ってきた時はいなかったのに。隠れていたのか?

 その疑問は封じて、飛び回る機体を確認。


 空を飛び廊下を旋回する個体。

 物陰に潜み獲物を待つ個体。

 部屋の中を陣取る個体。

 それが点々と階中に存在。


 次に二階。三階。四階……

 同じように次々と、次々とその場を解析する。


 ――。


「――ふん。フロアあたり、大体20台だな……」


 時間にして5秒。シーアは目を細めた。

 今この3階に機械は15機。――簡単だ。

 シーアはアドニスを見据える。


「……だったらこの上の階から屋上まで、あの物体は私が片付けておこう」

「――出来るのか?」

「出来るとも!」


 自信たっぷりに胸を張ってシーアが答えた。

 彼女が部外者だとか馬鹿な考えを浮かべている暇はない。


 今この状況、此方が完全不利。

 だとしたら使えるべきものは使っていくのが得策だ。


 アドニスは息を付き、彼女の瞳を見て頷いた


「一先ず俺は、少しずつ上に登って対処したい」

「了解だ少年。――まずは、この階で応戦したまえ」


 この言葉にアドニスは小さく笑う。

 どうやらその間に、彼女は片を付ける気らしい。


「俺が移動する時には機械は殲滅していると?」

「そうだとも!」

「――そうか、分かった」


 今度は少しの迷いもなくアドニスは頷いた。

 シーアが僅かに驚いた表情を浮かべるが、直ぐに満足げな笑みを浮かべると。


「いいぞ、少年。――使えるモノは使う……。正解だ」


 そう言い切って、アドニスに瓦礫屑を押し付ける。

 なんだ、と顔を上げればシーアは続けた。


「でも、その弾は取って来たまえ」

「弾……?ああ、狙撃銃の事か」

「この階は私には掃除する暇が無いからね。だったら、無駄撃ちは控えた方が良いだろう?」


 この言葉にアドニスは頷き、彼女は笑う。


「だから、代りの石弾だ。――なあに、私のやり方を真似ればよい。其れだけだ」

「……分かった」


 今度は少しの間。シーアみたいに上手くは出来ないかもしれないが。

 しかし、彼女の言う通り銃の弾を取っておくのは必須だ。狙撃銃コレで敵対者と相対すのだから取っておくべき。

 ポケットを見るが残りの弾は20発程度。十分と、多いと、思うか?

 それは有利な立場に立った時に思うべき事だ。


 今アドニスは不利な立場。

 20発の弾丸は慎重に使わなければいけない。


 手渡された瓦礫の一つを僅かに握りしめて、大きく振りかぶる。

 投げた石弾つぶては直線を描き、迷うことなく角から現れた飛行体へと当たった。飛行体が地に落ちる。


 口笛が一つ。


「――やるじゃないか少年!」

「……結構簡単だな」

「や、ソコもそうだけど」


 彼女の言いたいことは分かっている。アドニスは言う。


「慣れて来た。落ち着けば簡単な物だ。からな」


 この言葉に、シーアは再び満足そうな笑みで讃えた。

 ――なに、簡単だ。


 あの飛行体は実に精巧なものだが、おそらく試作品。

 アレは実に煩いのだ。その『声』も、空中で回るプロペラも。落ち着き耳をすませば、その機械音は否が応でも耳に入ってくるのだから。


 特徴に気が付いてしまえば、殺気が無くとも居場所は直ぐに割れる。

 シーアが先ほど言っていた言葉も納得だ。

 『アドニスだったらすぐに慣れる』――確かにコレは直ぐに慣れるモノ。


「……そうだ少年。私はもう行くが、最後にさ」


 ふと、何かを思い出したようにシーアが口を開く。

 その赤い瞳は肩と太ももの傷に向けられていた。

 それだけで彼女が何を言いたいか察しが付き、アドニスは首を振る。


「いらん」

「いいのかい?私だったら一瞬なのに?」

「そんなことが無くても半日もあれば完治する」

「……常々思っていたけど、この世界の住人は化け物だな」


 ――お前だけには言われたくないと思うが。

 シーアが行おうとしていたのは、アドニスの怪我の回復だ。

 こんな傷、アドニスなら数時間で完治する。必要ない。

 それに――。


「これは、俺がヘマをして受けた傷だ。受け取って置くってのが筋だろう?」


 アドニスはニヒルな笑みを浮かべる。

 その様子を見て、赤い瞳は呆れ返った色を帯びていたが。


「……なんだ」

「いや、君も男の子だったんだな……って今更思ったところさ」


 なんだろうか。今、小馬鹿にされたような気がしたのは。

 だが、その苦言は零す暇も無い。


 シーアの身体がふわりと宙へと浮く。

 何時ものように暗い常闇の様な穴が開き、彼女は身体を沈ませる。


「それじゃあ少年。無駄話は此処まで。後でまた会おう」


 溶け行く様に沈みながら彼女は笑う。

 最後に、長く白い指がそっと手にする狙撃銃を指して。


「――思春期の男の子には悪いけどさぁ」

 最初に少し嫌味を付け足しながら。


「正直それ、私は要らないと思うなあ」

 そう呟くと、彼女は闇の中へと消えていくのであった。


 場から完全にシーアの気配が消える。

 アドニスは手にする瓦礫の山を手に小さく息を付いた。


 黒曜の眼が通路先を睨み、飛礫を2つ投げる。

 通路先から出て来たのは機械体が2機。

 投げた飛礫は命中。先ほどより確かな手ごたえ。


「――これなら、何とかなる……か」


 小さく呟いて、アドニスはこの階の一部屋へと飛び込んだ。

 そこは先ほどの狙撃された部屋、その一つ上に当たる。

 窓際まで走り寄って姿を隠す。窓から覗き込み視線を送るのは、勿論三キロ先の目標のビル。


 狙撃銃に弾を装填しながら見渡すが、あの男の姿は何処にも無い。

 ――また、隠れたようだ。

 反対に、高い確率で此方の居場所が割れているのは確かだろう。

 それでもアドニスは、眼に黒炎を滾らせ窓向こうに殺気を向ける。


「――やられっぱなし……てのは腹立たしいからな」


 これはちょっとした意地だ。

 まんまと相手の策に嵌まって、弾を2つも受ける事となった。

 それは先の言った通り、受け入れよう。相手に賛美も送ろう。だが同時に思う。


 ――実に悔しい。

 だからこの判断を取った。


 いいだろう。

 真っ向から勝負を受けて立ってやる――と。


 アドニスは手に持つ飛礫を部屋の入り口に投げ飛ばす。

 音を立てながら落ちていく飛行体。

 狙撃銃を構え、スコープを除く。


 相変わらず敵は見えず、しかし向こうからは

 避けたが今度も頬を掠めた。

 赤い血潮を流しながら、それでもアドニスは眼を細める。

 反対のビルの上、自分より僅かに高い場所に黒光りする影が一つ。


「見つけた――」


 獲物を見つけた捕食者如く、眼をギラギラと耀かせた。

 素早く標準を合わせ、迷いまなく引き金を引く。

 弾き出された銃弾は真っすぐと飛んで行き、その切っ先は男の頭を狙う。


 この狙撃に反応出来るモノは居ないないだろう。

 ――だが、スコープの先で翠の男は僅かな表情も浮かべず。

 彼方も迷うことなく引き金を引き、銃弾が飛ぶ。


 左下から右上へ、右上から左下へ。

 2つの銃弾は真っすぐに飛んで行き、すれ違うことも無く、擦れ合うことも無く。


 両者の銀弾は、激しい音を立てて一寸のずれも無く衝突するのだ。


 上空で僅かな火花が散り、弾丸が其々別方向へと飛んでいく中で。

 その光景にアドニスは僅かに驚きの色を見せた後、遺憾と言う表情を浮かべ。

 後ろを飛ぶ。音も無く攻撃もしてこない、ただ携帯端末を持った飛行機械体に気が付かないまま。


 酷く面白いと言わんばかりに口端を吊り上げ、紅色の笑みを浮かべるのである――




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