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47話『そのひと時は』




 酷く眩しく、何処か心地よい光の中。

 部屋中に響くシャワーの音でアドニスは目を覚ました。


 まだ頭がボンヤリと。瞼も重く、再び目を閉じて微睡みの中に溶け込む。

 ただ、身体に伝わる硬いベッドの感触と、慣れた匂いから此処は自宅のアパートである事は気が付いた。


 昨日の出来事もよく覚えている。

 シーアの逆鱗に触れ、自分の矛盾点を指摘された挙句、向き合う羽目となったのだ。

 無様に泣いて、悔しさから彼女に立ち向かって。また負けて、忘れる方が難しい。


 彼女は今どこに居るのだろうか。

 昨晩、彼女はまだ自分の側に居てくれると、そんな鍛錬の約束をした。

 家まで運んでくれたのも彼女だろう。

 だったら彼女はまだ何処か近くに居るはずだ。


 まだアドニスはシーアに対しての矛盾を抱えたままである。

 彼女が嫌いで、でも側にはいて欲しい。

 子供の様に彼女に苛立って、気まぐれで優しくして。

 我儘ばかり言って彼女に呆れられて、嫌気がさした彼女に振り回されて。

 このどうしようもない気持ちには折り合いがついてない。


 けれども。そんな矛盾ばかりの心の中で、ある事を1つ決める

 馬鹿馬鹿しい自分の矛盾点に気が付いたのだから。それならば、少しだけでも変わろうと。

 いつも感じていたシーアに対しての苛立ちが和らいでいるのが分かる。

 違う、この苛立ちを押さえる事こそが、彼が唯一変われる物事なのだ。


 今まで自分は酷く我儘ばかり。恐怖に塗り固められて、彼女に振り回されてばかりの子供だったから。

 今日からは少しだけ、大人になろう。

 破天荒ばかりを起こす彼女に感情を出す事無く向き合えるような、そんな余裕を持ちたい――。

 なんて、微睡みの中で決めて。


 アドニスは心地よい夢を名残推しそうに手放しながら、ゆっくりと目を覚ました――。



「や、少年。おはよう」

「……」


 眼を開けた時、一番に眼に映ったのが頭にタオルを巻いた下着姿のシーアの姿だったのだが。

 15の少年は、艶やかな女の肌を見た時。

 当然だが頭が真っ白になって。微睡みの中の決意なんてあっと言う間に塗りつぶされるのである



「おおおお、おま、お前、何考えてるんだ!!!」

 困惑に困惑が染まり切った声が一つ。

 ――みぎゃああ!!

「いい――!!おわ!」


 思い切り身体を叩き起こし、何故か枕元で寝ていたねこ太のしっぽを掌で潰し、絶叫と共に引っかかれて、ベッドから転がり落ちたのは、それから一分も経たないうちの出来事だ。


 その様子を、空中で水色のレースが施された真っ青な下着姿に身を包んだシーアは唖然と見つめる。

 心の底から、意外と言わんばかりの表情だ。ただ、いつも通り、それは僅か。


 少しして、何時ものように「ニタリ」と笑うと、彼女は空中で胡坐を掻いた。

 僅かに前かがみになる物だから、形の良い胸の谷間は強調され、見えそうで見えない足の根元が露わとなる。


「えーと、まず報告しておこうか?」

 アドニスの姿なんて気にもしない。口を開くシーア。


「まずだけど、あれから一晩明けました」

 それは分かっている。そこじゃない。


「ここに運んだのは私だ。あのままじゃ風邪ひくと思ってね」

 それも分かっている。どうやって運んだか、敢えて聞かない。そこじゃない。


「それで、今の私はシャワー上がり♪暇だったので、暇をつぶしていた」

 これ、これである。問題は。


「だったら、浴びた後は服を着ろ!!」

 我慢なんて出来る筈がない。アドニスはがなり立てるように声を振り上げるのである。


 ◇


 アドニスの絶叫が轟いて、ねこ太がまん丸お目目を此方に向けるのだが。当の本人シーアは気にも留めていない。

 相変わらず、にたにたり。胡坐を止めると、足を延ばし、腰を反り返らせ。

 まるで、いや。完全にわざと。身体を見せつけるポーズを一つ。揶揄う様にアドニスを見据える。

 勿論だが、アドニスの顔は更に赤く染まった。


「なんだい、少年。可愛い反応だなぁ。意外というべきかな?」

「ば、ばっかじゃないのか!!?いや、バカだったな!!」


 ベッドの端で顔を真っ赤に染め上げて、シーツで顔を隠しながら叫ぶ。

 目のやり場が困ると言うか、何処をどう見ればよいのか分からないと言うか。何を考えているのか分からないと言うか。なんでそんなに堂々として居ていられるのだ、と言うか。

 とりあえず、見るに見られなくて顔を隠すしかない。


「ついに破廉恥を極めたなバカ女!!」

「失礼だなぁ。裸じゃないから良いじゃないか!」

「裸!?」


 裸だと?裸だったら、問答無用で殴っていたぞ。

 いや、この女ならやりかねない。

 恐ろしい事を想像して、遂にリンゴ以上に紅くなった顔。アドニスは更にシーツを被る。


 ミノムシの様に丸まってしまったアドニスを前に、シーアはムスり……表情を変えた。

 このままいけば、アドニスは間違いなく枕でも彼女に投げるだろう。

 その前に。枕を投げられる前に、頬を膨らまして、不機嫌そうにそっぽを向いたのだ。


「もういいさ!」 

「なぜ、お前が不貞腐れる!?」

「可愛い下着姿の女を見ても似合っている、の一言も言えないお子ちゃまだもんね!」

「理不尽が過ぎないか!?」


 全く持ってアドニスの言葉は全て正論である。

 ――と、まあ。少年を揶揄うのは此処までにしよう。

 赤い瞳が、顔を上げて、いや。見下ろしたのはその後直ぐの事だ。

 宙でクルリ。アドニスの側に飛び寄る。


 気配を感じ、アドニスが小さく悲鳴を上げたが気にしない。

 ふわりと飛んで彼の前でとまり。今度は胡坐を一つ。

 肘を付くと掌に頬を乗せ、彼を見据えて口を開く。

 これは彼女なりの考えがあっての事なのだ。


「あのね。これには深い理由があるの」

「か、身体を見せつけて男を惑わせる以外に?なんだ、アレか?性欲が溜まり切っているとか?」

「失敬だな、君。別に性欲は溜っちゃいないよ」


 シーアは更に頬を膨らます。

 そんなに私は変態にみられているのか、なんて。

 珍しく不機嫌そのものの色合いを見せたのだが、アドニスは気が付かず。長い指が彼を指す。


「君の為」

 これはアドニスの為だ。ソレは違いない。

 ただソレが彼に伝わるかが問題であるが。


「俺を欲の捌け口にしようと言う算段か!」

「違うよ。落ち着きな、君」


 少々アドニスは混乱し過ぎている様だ。

 シーアは溜息を付いた。その瞳にアドニスを映して、呆れかえった表情に変わる。


「……壊しきれなかったからさ」

「はあ!?」

「壊さなきゃいけなかったのに、壊しきれなかったから、別方向で進める事にした」


 彼女の発言が全く理解できず、アドニスはここで漸くシーツから僅かに顔を覗かせた。

 顔を覗かせれば、煌めかしい白い肌が嫌でも目に付き、逸らすのだが。

 それでも視線をあたりに散らしながら、彼女の発言について思考を巡らせる。


 壊しきれなかった?何が。

 なぜ、彼女はそんなに申し訳なさそうな色を見せる。

 アドニスはシーツから完全に顔を出す。


「――ん?」


 彼女の言動を疑問に思っていると。

 ふと、目の端に何か見たことも無い存在が目に入った。

 目を細め確認する。それはどうやら何かの本の様だ。だが、見る限りアドニスの私物じゃない。

 ミノムシのまま、手を伸ばす。本を手にして、首を傾げた。


「……なんだ、これは」

「あれ?この世界には、こう言った娯楽ものも無いのかい?」


 アドニスの目に映ったのは、掌サイズの本。表紙には可愛らしい女性の絵が描かれており。妙に題名が長い。

 娯楽とは?中を捲ってみるが至って普通の小説だ。所々愛らしい絵が描かれているが。こんな小説は見たことも無い。――内容は、パッと見た内容は、なんと言うか。


「おい、なんだこれは。一人の男にこうも女がわらわらと……」

「ちきゅ……異世界の本でな、ライトノベルと言う。大人気な作品なんだぞ」


 シーアが簡単な説明をした。

 ラノベとは?ソレは本の分類か。聞いたことも無い。


 そもそも異世界の本?馬鹿げている。ただ、本当にこのような書籍は見たことも聞いたことも無い。

 ならば、きっとコレはシーアが自分で書いたものだろう。筆跡が妙に柔らかく女ぽい。

 彼女は【神】を自称しているが、遂に此処まで来たか。アドニスは溜息を付いた。


「失敬な事を考えている様なので、言っておく。それは確かに私が書いたものだが」

「イかれていると思っていたが……。そこまで自分を【神】と自重したいのか?」

「……それは私が、異世界の本を内容から表紙迄、完全再現したものだよ。君にあげるよ」


 投げつけた嫌味は、さらりとスルー。

 しかし完全再現?元在った物を彼女が書き写したと?再度首を傾げる。


 でも確かに、正直言えば女のシーアが考え付く様な内容ではない。

 本の内容的には、1人の男に何かしら理由を付けて女が集まり。モテにモテまくる、所謂ハーレム物。


 女性が書く様な内容ではないと言うか、男の願望をコレでもかと詰め込んだものなのだ。

 確かに暇つぶしの娯楽としては、これはアリなのかもしれない。一部からは人気が出るだろう。


 ……そんな本には、気になる点が一箇所。


 主人公の男が朝。目を覚ますとベッドに温もりが。

 覗いてみて見れば、裸の女が隣で寝ていた。――そんな内容が書かれている

 どういう状況でそんな奇天烈な事が起きたかまでは、分からないが。この状況。


 朝起きたら裸の女がいた、その状況。

 正に今、目の前で体験したことでは無いか――?


「何がどうしたら、コレを真似る発想になるんだ!!要らん!!」


 アドニスは、絶叫にも似た声でシーアに本を押し返した。

 シーアはけらけら笑う。本を手に、ふわり。アドニスから距離を取り、見下ろす。


「いいだろ?ご褒美だ、ご褒美!夢物語、娯楽の実現、男のロマン!」

「ご褒美!?現実と娯楽や物語を一緒にするな!何がロマンだ!現実で起こったら困惑しかないぞ!?というか、こいつら初対面だろ!男の方だって、其処まで喜んでいる風には書かれて無いじゃないか!」


 思わずと、感想をありのままに叫んだ。

 という顔この女、まさかと思うが。ご褒美とやらの為に。

 この本のシチュエーションを、男が求めている物と想定して、真似たと言うのか?

 その下着姿が?喜ぶと思って?馬鹿か。


俺達に謝れ!そんな破廉恥な女に鼻の下を伸ばすか!」

「おや、本気の怒りだ。あはは、皇子様は喜んでたぞ~。こういう感じのシチュエーション」


 皇子。皇子とやらは『一の王ジョセフ』の事か。あの女大好きな奴と同じにしないで欲しい。

 というか、肌を見せるようなこんな事をしたと言うのか?あの男に?

 あの男、本当に変態だったんだな。腹が立つ。


 怒りを露にするアドニスに対し、シーアは楽しそうに笑い続けた。

 相変わらず下着姿のままで、今度は空中で寝転ぶ。艶かしい身体がコレでもかと強調される。


「私からしたら大成功の様だ。良かった、良かった。では、コレからはコレで行こう!なんて素晴らしい一石二鳥じゃないか」

「だから何がだ!貧乳いい加減にしろ、胸無し!」


 もう、何でも良いから、服は着て欲しかった。

 アドニスの言葉にシーアは一瞬無言となったが、ふわり。


 再び宙を泳いで、今度は彼の真後ろ。背後へと回り込み、その柔らかな腕をアドニスの身体に伸ばす。

 背中に何時もの柔らかな感触。石鹸の匂い。細い彼女の腕と温かな温もりが感じる。


「いいよ、少年。もっとその感情を爆発させたまえ」


 耳元で心底。愉快と言わんばかりの喜びが混ざる声色。

 この女。――と殴りたくなったが、ふと彼女の言葉に疑問を感じ、きつく握りしめていた手を下ろす。


「どうしたんだい?」


 ニタリと後ろで笑う彼女の手を取って、振り返る。

 そして、感じた疑問を口にする。


「……なんか、まるで俺に嫌われるのが嬉しいと言っているようだな」

「え?」


 アドニスの言葉に、シーアの身体は小さく跳ねた。




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