酷く眩しく、何処か心地よい光の中。
部屋中に響くシャワーの音でアドニスは目を覚ました。
まだ頭がボンヤリと。瞼も重く、再び目を閉じて微睡みの中に溶け込む。
ただ、身体に伝わる硬いベッドの感触と、慣れた匂いから此処は自宅のアパートである事は気が付いた。
昨日の出来事もよく覚えている。
シーアの逆鱗に触れ、自分の矛盾点を指摘された挙句、向き合う羽目となったのだ。
無様に泣いて、悔しさから彼女に立ち向かって。また負けて、忘れる方が難しい。
彼女は今どこに居るのだろうか。
昨晩、彼女はまだ自分の側に居てくれると、そんな鍛錬の約束をした。
家まで運んでくれたのも彼女だろう。
だったら彼女はまだ何処か近くに居るはずだ。
まだアドニスはシーアに対しての矛盾を抱えたままである。
彼女が嫌いで、でも側にはいて欲しい。
子供の様に彼女に苛立って、気まぐれで優しくして。
我儘ばかり言って彼女に呆れられて、嫌気がさした彼女に振り回されて。
このどうしようもない気持ちには折り合いがついてない。
けれども。そんな矛盾ばかりの心の中で、ある事を1つ決める
馬鹿馬鹿しい自分の矛盾点に気が付いたのだから。それならば、少しだけでも変わろうと。
いつも感じていたシーアに対しての苛立ちが和らいでいるのが分かる。
違う、この苛立ちを押さえる事こそが、彼が唯一変われる物事なのだ。
今まで自分は酷く我儘ばかり。恐怖に塗り固められて、彼女に振り回されてばかりの子供だったから。
今日からは少しだけ、大人になろう。
破天荒ばかりを起こす彼女に感情を出す事無く向き合えるような、そんな余裕を持ちたい――。
なんて、微睡みの中で決めて。
アドニスは心地よい夢を名残推しそうに手放しながら、ゆっくりと目を覚ました――。
「や、少年。おはよう」
「……」
眼を開けた時、一番に眼に映ったのが頭にタオルを巻いた下着姿のシーアの姿だったのだが。
15の少年は、艶やかな女の肌を見た時。
当然だが頭が真っ白になって。微睡みの中の決意なんてあっと言う間に塗りつぶされるのである
「おおおお、おま、お前、何考えてるんだ!!!」
困惑に困惑が染まり切った声が一つ。
――みぎゃああ!!
「いい――!!おわ!」
思い切り身体を叩き起こし、何故か枕元で寝ていたねこ太のしっぽを掌で潰し、絶叫と共に引っかかれて、ベッドから転がり落ちたのは、それから一分も経たないうちの出来事だ。
その様子を、空中で水色のレースが施された真っ青な下着姿に身を包んだシーアは唖然と見つめる。
心の底から、意外と言わんばかりの表情だ。ただ、いつも通り、それは僅か。
少しして、何時ものように「ニタリ」と笑うと、彼女は空中で胡坐を掻いた。
僅かに前かがみになる物だから、形の良い胸の谷間は強調され、見えそうで見えない足の根元が露わとなる。
「えーと、まず報告しておこうか?」
アドニスの姿なんて気にもしない。口を開くシーア。
「まずだけど、あれから一晩明けました」
それは分かっている。そこじゃない。
「ここに運んだのは私だ。あのままじゃ風邪ひくと思ってね」
それも分かっている。どうやって運んだか、敢えて聞かない。そこじゃない。
「それで、今の私はシャワー上がり♪暇だったので、暇をつぶしていた」
これ、これである。問題は。
「だったら、浴びた後は服を着ろ!!」
我慢なんて出来る筈がない。アドニスはがなり立てるように声を振り上げるのである。
◇
アドニスの絶叫が轟いて、ねこ太がまん丸お目目を此方に向けるのだが。当の
相変わらず、にたにたり。胡坐を止めると、足を延ばし、腰を反り返らせ。
まるで、いや。完全にわざと。身体を見せつけるポーズを一つ。揶揄う様にアドニスを見据える。
勿論だが、アドニスの顔は更に赤く染まった。
「なんだい、少年。可愛い反応だなぁ。意外というべきかな?」
「ば、ばっかじゃないのか!!?いや、バカだったな!!」
ベッドの端で顔を真っ赤に染め上げて、シーツで顔を隠しながら叫ぶ。
目のやり場が困ると言うか、何処をどう見ればよいのか分からないと言うか。何を考えているのか分からないと言うか。なんでそんなに堂々として居ていられるのだ、と言うか。
とりあえず、見るに見られなくて顔を隠すしかない。
「ついに破廉恥を極めたなバカ女!!」
「失礼だなぁ。裸じゃないから良いじゃないか!」
「裸!?」
裸だと?裸だったら、問答無用で殴っていたぞ。
いや、この女ならやりかねない。
恐ろしい事を想像して、遂にリンゴ以上に紅くなった顔。アドニスは更にシーツを被る。
ミノムシの様に丸まってしまったアドニスを前に、シーアはムスり……表情を変えた。
このままいけば、アドニスは間違いなく枕でも彼女に投げるだろう。
その前に。枕を投げられる前に、頬を膨らまして、不機嫌そうにそっぽを向いたのだ。
「もういいさ!」
「なぜ、お前が不貞腐れる!?」
「可愛い下着姿の女を見ても似合っている、の一言も言えないお子ちゃまだもんね!」
「理不尽が過ぎないか!?」
全く持ってアドニスの言葉は全て正論である。
――と、まあ。少年を揶揄うのは此処までにしよう。
赤い瞳が、顔を上げて、いや。見下ろしたのはその後直ぐの事だ。
宙でクルリ。アドニスの側に飛び寄る。
気配を感じ、アドニスが小さく悲鳴を上げたが気にしない。
ふわりと飛んで彼の前でとまり。今度は胡坐を一つ。
肘を付くと掌に頬を乗せ、彼を見据えて口を開く。
これは彼女なりの考えがあっての事なのだ。
「あのね。これには深い理由があるの」
「か、身体を見せつけて男を惑わせる以外に?なんだ、アレか?性欲が溜まり切っているとか?」
「失敬だな、君。別に性欲は溜っちゃいないよ」
シーアは更に頬を膨らます。
そんなに私は変態にみられているのか、なんて。
珍しく不機嫌そのものの色合いを見せたのだが、アドニスは気が付かず。長い指が彼を指す。
「君の為」
これはアドニスの為だ。ソレは違いない。
ただソレが彼に伝わるかが問題であるが。
「俺を欲の捌け口にしようと言う算段か!」
「違うよ。落ち着きな、君」
少々アドニスは混乱し過ぎている様だ。
シーアは溜息を付いた。その瞳にアドニスを映して、呆れかえった表情に変わる。
「……壊しきれなかったからさ」
「はあ!?」
「壊さなきゃいけなかったのに、壊しきれなかったから、別方向で進める事にした」
彼女の発言が全く理解できず、アドニスはここで漸くシーツから僅かに顔を覗かせた。
顔を覗かせれば、煌めかしい白い肌が嫌でも目に付き、逸らすのだが。
それでも視線をあたりに散らしながら、彼女の発言について思考を巡らせる。
壊しきれなかった?何が。
なぜ、彼女はそんなに申し訳なさそうな色を見せる。
アドニスはシーツから完全に顔を出す。
「――ん?」
彼女の言動を疑問に思っていると。
ふと、目の端に何か見たことも無い存在が目に入った。
目を細め確認する。それはどうやら何かの本の様だ。だが、見る限りアドニスの私物じゃない。
ミノムシのまま、手を伸ばす。本を手にして、首を傾げた。
「……なんだ、これは」
「あれ?この世界には、こう言った娯楽ものも無いのかい?」
アドニスの目に映ったのは、掌サイズの本。表紙には可愛らしい女性の絵が描かれており。妙に題名が長い。
娯楽とは?中を捲ってみるが至って普通の小説だ。所々愛らしい絵が描かれているが。こんな小説は見たことも無い。――内容は、パッと見た内容は、なんと言うか。
「おい、なんだこれは。一人の男にこうも女がわらわらと……」
「ちきゅ……異世界の本でな、ライトノベルと言う。大人気な作品なんだぞ」
シーアが簡単な説明をした。
ラノベとは?ソレは本の分類か。聞いたことも無い。
そもそも異世界の本?馬鹿げている。ただ、本当にこのような書籍は見たことも聞いたことも無い。
ならば、きっとコレはシーアが自分で書いたものだろう。筆跡が妙に柔らかく女ぽい。
彼女は【神】を自称しているが、遂に此処まで来たか。アドニスは溜息を付いた。
「失敬な事を考えている様なので、言っておく。それは確かに私が書いたものだが」
「イかれていると思っていたが……。そこまで自分を【神】と自重したいのか?」
「……それは私が、異世界の本を内容から表紙迄、完全再現したものだよ。君にあげるよ」
投げつけた嫌味は、さらりとスルー。
しかし完全再現?元在った物を彼女が書き写したと?再度首を傾げる。
でも確かに、正直言えば女のシーアが考え付く様な内容ではない。
本の内容的には、1人の男に何かしら理由を付けて女が集まり。モテにモテまくる、所謂ハーレム物。
女性が書く様な内容ではないと言うか、男の願望をコレでもかと詰め込んだものなのだ。
確かに暇つぶしの娯楽としては、これはアリなのかもしれない。一部からは人気が出るだろう。
……そんな本には、気になる点が一箇所。
主人公の男が朝。目を覚ますとベッドに温もりが。
覗いてみて見れば、裸の女が隣で寝ていた。――そんな内容が書かれている
どういう状況でそんな奇天烈な事が起きたかまでは、分からないが。この状況。
朝起きたら裸の女がいた、その状況。
正に今、目の前で体験したことでは無いか――?
「何がどうしたら、コレを真似る発想になるんだ!!要らん!!」
アドニスは、絶叫にも似た声でシーアに本を押し返した。
シーアはけらけら笑う。本を手に、ふわり。アドニスから距離を取り、見下ろす。
「いいだろ?ご褒美だ、ご褒美!夢物語、娯楽の実現、男のロマン!」
「ご褒美!?現実と娯楽や物語を一緒にするな!何がロマンだ!現実で起こったら困惑しかないぞ!?というか、こいつら初対面だろ!男の方だって、其処まで喜んでいる風には書かれて無いじゃないか!」
思わずと、感想をありのままに叫んだ。
という顔この女、まさかと思うが。ご褒美とやらの為に。
この本のシチュエーションを、男が求めている物と想定して、真似たと言うのか?
その下着姿が?喜ぶと思って?馬鹿か。
「
「おや、本気の怒りだ。あはは、皇子様は喜んでたぞ~。こういう感じのシチュエーション」
皇子。皇子とやらは『
というか、
あの男、本当に変態だったんだな。腹が立つ。
怒りを露にするアドニスに対し、シーアは楽しそうに笑い続けた。
相変わらず下着姿のままで、今度は空中で寝転ぶ。艶かしい身体がコレでもかと強調される。
「私からしたら大成功の様だ。良かった、良かった。では、コレからはコレで行こう!なんて素晴らしい一石二鳥じゃないか」
「だから何がだ!貧乳いい加減にしろ、胸無し!」
もう、何でも良いから、服は着て欲しかった。
アドニスの言葉にシーアは一瞬無言となったが、ふわり。
再び宙を泳いで、今度は彼の真後ろ。背後へと回り込み、その柔らかな腕をアドニスの身体に伸ばす。
背中に何時もの柔らかな感触。石鹸の匂い。細い彼女の腕と温かな温もりが感じる。
「いいよ、少年。もっとその感情を爆発させたまえ」
耳元で心底。愉快と言わんばかりの喜びが混ざる声色。
この女。――と殴りたくなったが、ふと彼女の言葉に疑問を感じ、きつく握りしめていた手を下ろす。
「どうしたんだい?」
ニタリと後ろで笑う彼女の手を取って、振り返る。
そして、感じた疑問を口にする。
「……なんか、まるで俺に嫌われるのが嬉しいと言っているようだな」
「え?」
アドニスの言葉に、シーアの身体は小さく跳ねた。