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34話『くだらない、くだらない』



 最初に彼女に命令を下したのはアドニスだ。

 あの夜。余りに彼女が子兎、子鼠と馬鹿にするものだから。

「自分を化け物にしてみろ」なんて、怒り任せに命じた。

 今思えば、馬鹿げた事を口走ったと若干後悔している。


 結果アドニスは、勝てる気も起きない相手と、毎日手合わせをしなくては行けなくなったのだから。

 なにせ、相手が強すぎて自分の成長速度が一切感じ取れない。


 ゼロに一生ゼロを掛けているような。ただひたすらに敗北感と喪失感、挫折を永遠に味わい。

 とにかく規格外の化け物に面と向かって対峙しているような、そんな感覚

 いや、感覚ではない。正にその通りなのだが。


 それでもシーアに挑み続けるのは、敗北の先に必ず浮かぶ。底知れない苛立ちからである。

 一太刀で良い。彼女に一泡吹かせたい。吹かせなければ自分自身が許せないと言う、自身への咎。

 その気持ち一つで、唯ひたすらに彼女に噛みつき、爪を立てているのだ。


 だが、そんなものアドニスの事情だ。

 シーアからすれば、アドニスに付き合っているに他ならない。


 だから、止めたい時に止める事が出来てしまう。

「疲れた」の一言で、「飽きた」の一言で、「止める」の一言で。

 ただの気まぐれ一つで。彼女は一方的に、この時間を終了させてしまう。

 それが今まさに、訪れたと言う事。


 そもそも発端はアドニスの一言だが、この鍛錬を決めたのはシーアだし。

 開始するのも、一日の終了を言い渡すのもシーア。

 勝手に自分をまきこんでおいて、彼女は気まぐれに今の時間を止めてしまう。


 ただ付き合ってくれているのも、また彼女の気まぐれ。


 鍛錬が決まった際。「何時間でも付き合ってあげる。好きにおしよ」なんて口走っていたが。

 そんなもの、大嘘である。知っていたさ。

 それでも。理解していても、我慢できない事はある。

 現に、今まさにこの女は一方的に鍛錬を止めようとしている。昨日と同じ。



「またお前の気まぐれか!昨日は昼寝がしたい、と言って止めたよな!お前、俺の鍛錬に何時間でも付き合うって言ったよな!」



 アドニスは浮いているシーアの細い足首に手を伸ばす。

 ぎりぎり手が届く距離で。彼女が更に上に移動すれば無意味な行動に成り下がったが。

 意外にもシーアはコレをすんなりと、受け入れた。


 引き寄せられるままに、シーアがアドニスの目の前まで降りて来て。ニタニタ笑って、小さく首を傾げる。


「何を怒ってるのさ、少年。そもそも、なんの文句があるの?」

「だから、何故気まぐれ一つで鍛錬を止める!自分の発言を忘れたのか!」

「忘れてないって。何時間でも君に付き合う、だろ?遂行しているじゃん。毎日【100時間】は付き合っているんだよ?むしろ、十二分すぎないかい?」


 一度、唇を噛みしめた。

 何を言っている。【100時間】だと?全然足りない。

 まだこの女に一太刀も浴びせられていない。

 だからアドニスはまるで幼い子供の駄々のごとく、シーアに詰め寄る。


「うるさい!俺はまだやれる!」

「やだぁ。【100時間】休みなしなんて、もう耐えきれなぁい。いやぁ、もうむりぃ」

「――!?」


 この女!なんだ、その甘ったるい声は!

 駄目だ、我慢だ、我慢。アドニスは心を落ち着かせた。


「っ――そ、そもそも嘘を付くな!今日はまだ【80時間】の間違いだろう!だったら其れこそ後【20時間】は付き合え!!」

「君は悪魔か何かかい?」


 作ったような衝撃を浮かべた顔。シーアは直ぐにニタリ笑い。


「あのねぇ、私だって疲れるんだよ?休みたいよー」

「嘘を付け!お前が疲れるものか!俺が疲れてないのに、なんでお前が疲れる!!」

「君、いい加減にしなよ。その性格何とかしないと童貞DV野郎で永遠独り身だぞ。女には優しくしなよ☆」

「気色悪い!!俺は貴様を女だとは思っていない!!ゴリラだ!メスゴリラ!!」


 とりあえず、頭に浮かんだ言葉を片端から投げつける。

 正直、沸点が訪れても可笑しくないアドニスの発言だが。シーアはニタリ。

 その瞳に、怒りの感情を一ミリも浮かばせることも無く、真っすぐに此方を見据えるのだ。



「ほほう、メスをしては認識しているのだなぁ」



 なんて、口元だけは面白可笑しく吊り上げて、

 彼女のに、アドニスは口をきつく噛みしめ噤む。

 揚げ足取りのいけ好かない女。その言葉が頭をよぎったが、口にすればまた何か言われるのは目に見えていたので、唇を噛み切らん勢いで我慢する。


 俯いたアドニスを前。

 シーアが「クスリ」と声を漏らしたのは次の事。


 思わずアドニスがシーアを見上げるが、そこにあるのは何時ものニタリ顔。

 ふわりと宙に浮いて、グイっと唇が触れ合いそうな距離まで、彼女は顔を近づけるのである。


「そもそも、今ので千回!」

「――……は?」


 そのルビーの口から出たのは、疑問しか浮かばない一言だったが。

 シーアは気にすることなく人差し指を立てる。


「少年。さっき約束を破る気かって言ったよね?そのままよ。――さっきので、丁度千回!!」

「……ああ」


 もう一度強調された「千回」と言う言葉。

 漸く、その意味を理解し小さく呟く。


 ああ、何。これも一方的な彼女の押し付けてきた約束だ。

 ただ此方はアドニスも、一応完全に承諾済みの「約束」



 『鍛錬で連続千回負けたのなら、罰としてシーアに洋服を買う事』



 ――そう、なんて実にくだらない「約束」

「買ってくれなきゃ、下着姿でうろついてやる」――と半ば脅しにも似た言葉で承諾させられた「約束」


 何てことない、その約束が丁度訪れた訳だ。

 だと言うのに、またか!いや、ソレが目的だったな!!――と、アドニスは舌打ち。


 けれども、シーアはそんなアドニスの様子なんて知らぬ存ぜぬ。


「さ!休憩がてら、新しい私の服を買いに行こうではないか!」


 相変わらず。興味も無い視線を浴びせながら、しかし楽しげにニタニタリ笑い続けるのである。




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