小僧の攻撃を避ける。
壁を壊す一撃を持つ拳を、地に穴を開ける一撃を持つ蹴りを。
なんてことはない、私からすれば全てスローモーションにも及ばない。
必死に私に一太刀を浴びせようとする、子供の精一杯の表情を見ながら。
というか、これ、この小僧。笑わせに来ているの?
彼の身体に触れる事もせず、ただかわしながら、心底呆れた。
私の背後を狙って、肩を狙った一蹴。
私の隙を狙って、腹を狙った一撃。
どれもこれも――。
ああ、いや。これ、わざとじゃないんだ。
呆れを通り越す。
私がほんの少し動いただけで、攻撃に備えて守備にはいるその姿。
ふん、この小僧はなんとも臆病。嫌……おこがましいな。
多分、そんな呆れから、ついつい気を逸らしてしまったのだろう。
「あ、」
ついつい、手加減を間違えてしまった。
◇
「……おい、おい。しょーねん!」
「――……」
あれから更に【神様時間】で【30時間】程が経った。
彼女に呼び声に、アドニスは目を覚ます。
頭が酷くボンヤリする。
「わるいね、少年。ちょっと、手加減出来なかったよ」
けらけら、あまり悪気が無い様にシーアの謝罪。軽く手を合わせての「ゴメン」のポーズ。
更にはシーアの側には此方を心配そうに見下ろす。リリスとドウジマの姿。
周りの状況を見つめると。頭を抱え、体を起こしながら思い出した。
頭に浮かぶのは。アドニスからすれば、つい先程の出来事。
昼食を終えて休憩をとったのち。
その鍛錬が【20時間】が過ぎた頃の事だ。
「およ?あ、」
変わらずアドニスの攻撃を避けたシーア。蹴りを噛まそうと足を振り上げる。
その瞬間だった。彼女の身体が傾いたのだ。
どうやらバランスを崩したらしい。何故シーアがバランスを崩したかは分からない。
チャンスと思ったが、アドニスは防御の体制をとっていた為、直ぐに体制は変えられない。
否。シーアの方が大勢を整え直した方が速かったと言う方が正しいか。
彼女の細い身体は、瞬きする暇も無く。次の攻撃の体制に入っていたのだ。
腹立たしいが「流石」の言葉を贈ろう。
問題は、その後の事を考えていなかったであろう事。
体制を整えるのに力が入ったのか、体制を変えるので精一杯で周りを見ていなかったのか。
詳しい事は彼女しか分からない。
ただ、そう。振り上げられたシーアの足は、がらりと変わって容赦なく。
回し蹴りが、かかと落としに変貌。
まるで斧で薪を叩き割る勢いで、守りに徹していたアドニスの肩に振り下ろされたのである。
シーアの体制が変わったのは、本当に刹那の出来事。
アドニスも瞬時に気が付き、何とか受け止めようと守りの体制を変えたのだが。
しかし、残念。手加減しきれなかった彼女の足は受け止める事が出来ず、直撃。
それが最後の記憶。其処からの記憶がなく。
気を失っていたのは違いない――
アドニスはシーアの足が直撃した肩に手を伸ばす。
不思議と痛みはなく。むしろ前より動きが良く感じた。
どうやら、
黒い瞳がシーアを見た。
「……何時間気を失っていた?」
「此処の時間で【10時間】」
「……」
「ちなみに。なかなか目が覚まさない君の為に彼らを呼んだのは【5時間前】」
「余計な事を」
舌打ちを一つ。リリスたちを呼んだのは、どう見てもシーアの気まぐれで在ろう。
アドニスが目覚めなかったから、何となく。暇つぶしで。全く「余計」の一言である。
「何が余計なの!」
リリスが声を上げる。
珍しく絞り出し、振り上げる様な声色で。
「心配したとでも?」
「当たり前じゃない!」
リリスが青い瞳でシーアを睨む。
彼女の目元には、うっすらと涙の痕が浮かび。その目は僅かに怒りで滲み、憎しみが募っていた。
リリスからすれば、シーアは一週間前に突如現れ。「鍛錬」と称した過酷な暴力をアドニスに浴びせる非道な存在だ。
それがアドニスの望みであったとしても、到底許せるもので無いのだろう。
「貴女」
「ん?」
「貴女が強いのは、十分過ぎる程分かったわ!でも、こんな危険な事を彼にするのは止めて!」
感情のままに、リリスはシーアに叫ぶ。
そんな彼女を前にシーアは首を傾げた。
「貴様。
口から出るのは変わらず。
ドウジマの時の無邪気な物と比べれば、幾分かマシだが。
それでも、アドニスは言い表せない苛立ちから口元を噛みしめる。
シーアの正論に口を噤んでいる、リリスと言う名の女を睨んだ。
「うるさい」
「え?」
冷たい一言。驚きの表情を向けるリリスから目を逸らす。
「見ての通りだ、俺には怪我も無い」
「アドニス、私は――」
「
「そんなの――!」
「――迷惑」
リリスをアドニスは容赦もなく切り捨てる。もう目を合わせることも無い。
身体に掛かっていた彼女の上着を掴み上げると押し付け。
そのまま立ち上がり、何事も無かったように。ニタリと笑う
「もう一回だ」
「おい、アドニス――」
「――やだ!」
呆れかえったドウジマの声。それを彼女が遮った。
少しの間。黒い瞳が鋭く細まった。もちろんシーアに視線を向けたまま。
彼女が、シーアが鍛錬の拒絶をしたのだ。それも子供の我儘の感覚。たった一言で。
何の冗談かと思ったが。
本気でもうやる気も無いのか、ふわふわ宙に浮いて寝そべって。チラリとも此方を見ない。
また、梃子でも動きませんよと言う様に。
「お前な。貴重な時間を潰すつもりか?まだ昼過ぎだろ」
苛立った声で、しかし出来るだけ落ち着きを装って声を掛ける。
シーアはチラリ。アドニスをみて小さな笑みを讃えた。
「そうだね、昼過ぎだね」
「――っ。気を失った分を取り戻す。……お前は言ったよな?俺に付き合うって」
「言ったよ?でもたった【10時間】じゃん」
顔が歪んでいくのが自分でもわかる。
いつか始まると思っていたが、遂に始まったかと。
――この女の