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31話『ドウジマ』




「20時間ぶっ続けって、頭おかしいのか?異常だぞ、お前」

「……」


 運動場の端。目の前に置かれた握り飯とお茶を前に、アドニスは不貞腐れる。

 こいつは何だと、心底呆れかえった。勿論ドウジマの事だ。


 彼はこの数日。「鍛錬」が始まってから、気が付けば様子を見ている。

 しかも毎日欠かさず。アドニスの頭の中には久しぶりに「母親」という言葉が浮かぶ。


 というのも。上官代理になったからには、部下の行動は把握しておく必要があると言い出し。

 アドニスの任務も把握したうえで、鍛錬は黙認。


 そればかりかドウジマは、シーアによって複雑骨折となった右腕は仕方が無いとして。

 左腕が動くようになってからは、こうしてアドニスの世話を焼き始めるようになった。

 おにぎり持ってきたりとか。また「母親」と言う文字が浮かぶ。


 アドニス自分に小言を漏らす前に、お前が休めばいいだろう。鬱陶しい。

 その言葉が、ここ最近いつも頭の中で流れる。


 ――ドウジマの行動は、傍から見ればそれこそ仕方が無い行動なのだが。


 ふと、ちょうど。アドニスが不満を抱いている頃。同じくして、ドウジマは目線を上げた。

 視線の先には、宙に寝そべりながら、ふわふわ浮く女。此方に一切視線すら向けないシーアの姿。


「おい、おんな。……お前も食べなさい」


 そんなシーアにドウジマが声を掛けた。

 赤い瞳がチラリと下を見て、男を映す。


 少しの間。女の身体がクルリと宙で一回転。ドウジマの直ぐ目の前まで降り立った。


 赤い瞳にドウジマを映し撮り。そして。

 ――その顔に、無邪気な笑み。


「要らないよ。おじさん。僕は食べなくても大丈夫だから!」

「――おい、やめろ。気持ち悪い!!」


 アドニスが瞬時に声掛けしたが。

 シーアは笑みを浮かべたまま。一度身を後ろに離すと、またクルリ。

 宙を一回転したかと思ったら、今度はアドニスの前へと降り立った。

 今度は何時ものように「にたり」と笑って、アドニスを目に映し。


「悪いね、おじさん。折角だが、私はいらないよ。2人でお食べ?」


 視線はアドニスに向けたまま、ドウジマへと言葉を放つのだ。


 ドウジマが大きく息を付いた。

 良いから座れと、合図を送る。シーアが命令を聞くかは不明だが。

 現にシーアは再び宙に浮く。ふわりと浮いて。にた、にたり。


「まあ、早めの昼食だとでも思って食べるがいいさ。【二時間】の休憩ぐらい取っても何も変わらん」


 アドニスに声を掛けて、また寝そべった。一緒に食事をとる気は一切ないらしい。

 隣で溜息が聞こえたが。溜息を付きたいのはアドニス此方である。


 置いてある握り飯が入った籠をドウジマへと押し返し。

 側に脱ぎ捨ててあった自身の上着に手を伸ばすと。ポケットからスティック状の栄養補助食品を取り出す。ついでに、ペットボトルも一緒に。


「おい」

「まだ動く。そんな重たい物食えるか。それに、この女は容赦なく腹に蹴りを入れて来るんだぞ?」


 ドウジマの非難の声が浴びせられるが。それを苛立った様子で「馬鹿か」と一蹴。

 そもそも同僚だからと言って、他人が作った物を食べる気にはならない。


 そのままシナモン味のスティックを口の中に放り込み。水で流す。

 食事が終わると、壁を背に寄り掛かり。やっと一息を付いた。


 まだ疲れていない。身体は普通に動くが。

 先程言った通り。シーアは遠慮もなしに腹に蹴りを入れて来る。嘔吐は避けられない。

 少なくとも一時間は休んだ方が良いだろう。そう、判断した。


「【2時間】は長い。【1時間】で十分だ」

「はいはーい」

「……知っているか、アドニス。人間の消化時間ってのは平均2、3時間らしいぞ」


 アドニスの決定に、シーアは軽く反応し。

 側から苦言にも似た助言の様な言葉が送られたが、無視をする。

 ただ、アドニスの視線はドウジマへと送られた。


「で、何の様だ?」


 声を掛ける。

 毎日来るのだ。何かしら用事があるのだろう。そう判断しての問い掛け。

 ドウジマは静かに頭を掻く。何も言わない。

 ただ、苦虫を噛み潰したよう表情を浮かべ、シーア見つめる。

 それだけで彼の目的は十二分な程に理解できてしまった。


 ――つまり、当たり前だが。

 目の前の女が危険人物だから、見張っていると。うん、正しい判断だろう。


 他のエージェント達に頼まないのは、最悪を仮定して。

 犠牲はアドニスと自分だけで良い――。との事だろう。ドウジマらしい。

 流石は、次期「上官」様だ。アドニスは息を付いた。


「ふふふ。私は別に少年を殺す気なんて無いのにねぇ」


 同じ時。シーアが声を出す。ニタリと笑って、赤い瞳をドウジマに向ける。

 隣の男が険しい表情になったのは瞬間だ。――これまた当たり前だが。


 だって彼女はたった今、また心を読んだのだから。


「――……いや。なぜ、そう言い切れる?それで、俺が信じられるとも?」


 だが、ドウジマはアドニスとは違った。

 口の端を噛みしめ。それでも、冷静な声色で言葉を投げかける。

 シーアは何も言わない。彼女の様子を見ながら、ドウジマは続けた。


「この坊主は俺達の中でも一目置かれていてね。そのエージェントが、だ。まともな攻撃一つ入れられず。ましてや、唯の蹴り一つで伸しちまった、お前さんを危険視しなくてもいいと?――無茶があるだろう。お嬢ちゃんヒュプノス


 ――名を呼ばれた女は、ニタリ。

 口が裂けそうな程の笑みを張り付けた。




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