「20時間ぶっ続けって、頭おかしいのか?異常だぞ、お前」
「……」
運動場の端。目の前に置かれた握り飯とお茶を前に、アドニスは不貞腐れる。
こいつは何だと、心底呆れかえった。勿論ドウジマの事だ。
彼はこの数日。「鍛錬」が始まってから、気が付けば様子を見ている。
しかも毎日欠かさず。アドニスの頭の中には久しぶりに「母親」という言葉が浮かぶ。
というのも。上官代理になったからには、部下の行動は把握しておく必要があると言い出し。
アドニスの任務も把握したうえで、鍛錬は黙認。
そればかりかドウジマは、シーアによって複雑骨折となった右腕は仕方が無いとして。
左腕が動くようになってからは、こうしてアドニスの世話を焼き始めるようになった。
おにぎり持ってきたりとか。また「母親」と言う文字が浮かぶ。
その言葉が、ここ最近いつも頭の中で流れる。
――ドウジマの行動は、傍から見ればそれこそ仕方が無い行動なのだが。
ふと、ちょうど。アドニスが不満を抱いている頃。同じくして、ドウジマは目線を上げた。
視線の先には、宙に寝そべりながら、ふわふわ浮く女。此方に一切視線すら向けないシーアの姿。
「おい、おんな。……お前も食べなさい」
そんなシーアにドウジマが声を掛けた。
赤い瞳がチラリと下を見て、男を映す。
少しの間。女の身体がクルリと宙で一回転。ドウジマの直ぐ目の前まで降り立った。
赤い瞳にドウジマを映し撮り。そして。
――その顔に、無邪気な笑み。
「要らないよ。おじさん。僕は食べなくても大丈夫だから!」
「――おい、やめろ。気持ち悪い!!」
アドニスが瞬時に声掛けしたが。
シーアは笑みを浮かべたまま。一度身を後ろに離すと、またクルリ。
宙を一回転したかと思ったら、今度はアドニスの前へと降り立った。
今度は何時ものように「にたり」と笑って、アドニスを目に映し。
「悪いね、おじさん。折角だが、私はいらないよ。2人でお食べ?」
視線はアドニスに向けたまま、ドウジマへと言葉を放つのだ。
ドウジマが大きく息を付いた。
良いから座れと、合図を送る。シーアが命令を聞くかは不明だが。
現にシーアは再び宙に浮く。ふわりと浮いて。にた、にたり。
「まあ、早めの昼食だとでも思って食べるがいいさ。【二時間】の休憩ぐらい取っても何も変わらん」
アドニスに声を掛けて、また寝そべった。一緒に食事をとる気は一切ないらしい。
隣で溜息が聞こえたが。溜息を付きたいのは
置いてある握り飯が入った籠をドウジマへと押し返し。
側に脱ぎ捨ててあった自身の上着に手を伸ばすと。ポケットからスティック状の栄養補助食品を取り出す。ついでに、ペットボトルも一緒に。
「おい」
「まだ動く。そんな重たい物食えるか。それに、この女は容赦なく腹に蹴りを入れて来るんだぞ?」
ドウジマの非難の声が浴びせられるが。それを苛立った様子で「馬鹿か」と一蹴。
そもそも同僚だからと言って、他人が作った物を食べる気にはならない。
そのままシナモン味のスティックを口の中に放り込み。水で流す。
食事が終わると、壁を背に寄り掛かり。やっと一息を付いた。
まだ疲れていない。身体は普通に動くが。
先程言った通り。シーアは遠慮もなしに腹に蹴りを入れて来る。嘔吐は避けられない。
少なくとも一時間は休んだ方が良いだろう。そう、判断した。
「【2時間】は長い。【1時間】で十分だ」
「はいはーい」
「……知っているか、アドニス。人間の消化時間ってのは平均2、3時間らしいぞ」
アドニスの決定に、シーアは軽く反応し。
側から苦言にも似た助言の様な言葉が送られたが、無視をする。
ただ、アドニスの視線はドウジマへと送られた。
「で、何の様だ?」
声を掛ける。
毎日来るのだ。何かしら用事があるのだろう。そう判断しての問い掛け。
ドウジマは静かに頭を掻く。何も言わない。
ただ、苦虫を噛み潰したよう表情を浮かべ、シーア見つめる。
それだけで彼の目的は十二分な程に理解できてしまった。
――つまり、当たり前だが。
目の前の女が危険人物だから、見張っていると。うん、正しい判断だろう。
他のエージェント達に頼まないのは、最悪を仮定して。
犠牲はアドニスと自分だけで良い――。との事だろう。ドウジマらしい。
流石は、次期「上官」様だ。アドニスは息を付いた。
「ふふふ。私は別に少年を殺す気なんて無いのにねぇ」
同じ時。シーアが声を出す。ニタリと笑って、赤い瞳をドウジマに向ける。
隣の男が険しい表情になったのは瞬間だ。――これまた当たり前だが。
だって彼女はたった今、また心を読んだのだから。
「――……いや。なぜ、そう言い切れる?それで、俺が信じられるとも?」
だが、ドウジマはアドニスとは違った。
口の端を噛みしめ。それでも、冷静な声色で言葉を投げかける。
シーアは何も言わない。彼女の様子を見ながら、ドウジマは続けた。
「この坊主は俺達の中でも一目置かれていてね。そのエージェントが、だ。まともな攻撃一つ入れられず。ましてや、唯の蹴り一つで伸しちまった、お前さんを危険視しなくてもいいと?――無茶があるだろう。
――名を呼ばれた女は、ニタリ。
口が裂けそうな程の笑みを張り付けた。