「ふ、ふざけるなぁ!!」
静まり返った部屋の中。
誰よりも一番に我に返り、声を振り上げたのは意外にもマリオだった。
いや、彼が一番に我に返るのは仕方が無いだろう。
何せ部下の中で、随一に優秀だと判断していた存在が「勝てない無理」と拒絶し。
そう言わしめた化け物が今、浮きながら此方を見下ろしているのだから。
マリオの顔は恐怖に染まりあげ、身体は震え、ズボンの中心に染みが広がっていく。
「いいがら、だずけろぉ!!」
余りに情けなく声を振り絞る男の前で、シーアは口元を押さえて笑みをこぼした。
「いやいや、あんた嘘でしょぉ?きっもーい」
そう言いながらも相変わらず。興味のない紅い瞳にマリオを映し撮る。
ふわりと彼女の身体がマリオから離れたのは直ぐの事。
彼女は空中に浮き。その様子に、多くのエージェント達は腰を抜かし青ざめ。
残りの数人だけがそれでも彼女を睨み上げていた。
アドニスはドウジマたちと同じようにシーアを睨む。
やっと頭が冷静になって来た。
今この瞬間、シーアと言う存在は危険でしかない。
ただ何時もの様にナイフを握る様な事はしなかった。
無理だからだ。この女には勝てっこない。頭が理解して拒絶している。
「くく……ふふ、あははははは!」
その中で、シーアだけが声を漏らして笑う。
楽しそうにお腹を抱えて、「けらけら」笑っている。
彼女は空中で部屋の中を一回りすると、くるり。身体を一回転。
その刹那。彼女の身体は常闇の中へと姿を消した。
僅かな悲鳴に、息を呑む音。
女の姿が消えたのだ。当たり前の反応。
アドニスも同じ。警戒しつつ、あたりを見渡す。
アレは穴に消えただけだ。あの女は絶対にまだ直ぐ側にいる。
「……くく、あはははは!!」
「――!」
笑い声が後ろから聞こえたのは10秒程経ってから。
アドニスが振り向く暇も無く。その細い手は彼の首元へと伸びて来た。
長い腕が首元へと絡まる。その手に何かの袋をぶら下げて。
高らかに笑いながら。シーアは赤い瞳をアドニスに向ける。そして。
「そうだとも!この少年はね。私に負けちゃったんだよ?」
笑いながら。当然のように、先程のアドニスの言葉を肯定した。
少年に抱き付き、思いっきり胸を押し付けながら。
にたにた、にたにた。
「――っ!!!」
抱き付かれた途端、顔が赤くなっていくのが分かる。
また、あの感触が背中に広がったのだ。
この女、買い物をしたと言うのに、何も
なのに、変わらず無駄に胸を「ぎゅうぎゅう」と押し付けてくる。
赤く染まるアドニスにシーアは関係なく言葉を続けた。
「でもね。この子は、私の御主人様なんだよ!」
だなんて、とんでもない出鱈目を。大声で。
◇
「なぁ」
アドニスの表情が一気に変わった。
何を言っているこの女は、と言わんばかりに目を大きく広げ視線を飛ばす。
だが「違う」と否定する前にシーアは続ける。
「私はね。取引したんだよ!行く場所が無いからね」
「おい、何を――」
「私の身体を好きにしていいから、側において欲しいってね。少年は快く引き受けてくれたよ!」
「……はあ!!?」
とんでもない言葉を紡ぐ。
ニタリと笑って。アドニスの身体に自身の身体を密着させて。
くるくる指で紙袋を回しながら。
戯言だ。
確かにシーアはそんな事を言ったが、彼女の身体には
彼女が勝手にくっ付いてくるだけだ。この女が破廉恥なのだ。ソレは確か。
だのに、まるでアドニスが身体目的で、彼女を側に置いているような言い方をして。
ニタつく彼女の顔が目に映る。
「お前、何を――!」
「昨日だって、はげしぃく
「お前また!」
彼女の口から出るのは、昨日と全く同じ。誤解しか招かない一言だ。
周りが僅かにざわつく。
それでもシーアは、留まる事を知らない。
「今日もさぁ。し・た・ぎ……。態々買ってくれたんだぁ。」
「――っ」
手にしていたランジェリーショップの袋からピンクの下着を取り出して。
見せつけるように、胸元へ。
「私に似合うかなぁ、少年。君の好みだよね?」
だなんて、戯言をほざきながら。周りの視線を一身に浴びて。
視線の中。シーアは遊ぶようにアドニスの背中から正面へ。
まるで周りに
彼女の
男が理想とする完璧な
それが、
誰かの生唾を呑む音が聞こえる。
妙に、冷ややかで、殺気が籠り浴びせられる視線の中で。
「にたり」
彼女が笑む。心底小馬鹿にするように。まるで心から遊ぶように。
アドニスに笑いかけていた。