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21話『ソレは遊び』2



 カツン、カツン……。

 壊れたローテーブルを飛ばしながら、シーアはアドニスへと近づいてくる。

 ボロボロの部屋の中で、窓も完全に壊れた部屋の中で、風に吹かれふわふわ舞う男物のコート。

 彼女がアドニスの前に止まった。


 ニタ、ニタリ。目の前で美しい顔が歪んでいる。


「や、しょーねん」


 それでも、美しいとしか言い表せない彼女は静かにアドニスを見下ろす。

 細い手が此方に伸びて来る。

 銃弾を掴み取った手。差し出された小さな手に、アドニスの肩は震えあがる。

 反対にシーアは小さく首を傾げた。


「おや?酷いじゃないか。そんなに怖がらなくていいのに?」


 感情が籠っていない口調。問答無用に手が伸びてきて、アドニスの手を掴む。

 持ち上げられた身体は、驚くほどすんなりと起き上がった。


 まだ頭が着いて来ていない。

 愕然としたままシーアを見下ろし、アドニスは呂律の回らない口を開く。


「……お、まえ。なんで……」

「いやー。探したよ、少年!どこにもいないからさぁ。驚いちゃったよ!」


 アドニスの言葉を遮る様にシーアはケラケラ笑う。

 もう彼女にはアーサーの姿も、ドウジマの姿も見えていないとみえる。


 いや、きっと彼女はこの『組織』事態に興味が無いのだろう。

 だって彼女は一度たりともマリオを視線に入れない。周りを見ようともしない。


「はい。ありがと、少年!気に入ったの手に入ったよ♪」


 なんて楽しそうにニタニタ笑いながら。

 ポケットから財布を取り出すと、アドニスの手に押し付けるだけだ。


 白い手が再び触れた時、アドニスは我に返った。


「な、なんでお前、ここに居るんだ!」


 漸く、まともな言葉が出る。

 アドニスの問いに、シーアは首を傾げた。

 そして当たり前に答えを一つ。


「追って来た!」


 それはもう、楽しそうな笑顔を浮かべて。


 ◇


 ――追って、きた?

 その答えにアドニスは理解が出来ずにいた。


 いや。この女は昨晩も全く同じことを言っていたが。

 昨晩と今日とじゃ、状況が大きく違う。此処は『組織』の本部だぞ?


 来るまでに細心の注意を払ったはず。誰かが追ってくる気配は絶対に感じられなかった。

 また「色を見た」なんてふざけた事を抜かすつもりか。

 そもそも、彼女は最後まで下着店にいた筈だ。


 あの後、羞恥を感じながらも店の店員に言伝を頼んだので間違いない。

 実に楽しそうに衣服を選ぶ彼女を見て。

「買い物が終わったら家に戻っているように」と。そう、命令したはずなのに!


「俺の伝言を聞いてないのか……?」

「ん?聞いたよ?聞いたから、追って来たんじゃないか」


 シーアは問いに対して、当たり前に返してくる。笑顔で。

 なぜそんなに笑顔なのか。

 段々戻って来た思考が苛立ちへと変貌してゆく。


「馬鹿じゃないのか!俺は家に帰れと言ったはずだ!」


 声を荒げる。

 窓の外に指を差して「帰れ」と示す。

 直ぐに目の前の女は表情を崩した。


「やだね!態々遊びに来てやったのに、誰が一人で帰るか」


 形の良い眉を片方だけ上げて、舌を出す。

 少女の身体は、ふわりと浮いた。


 そのまま後ろに下がって、部屋の上。

 まるでアドニスから逃げるように、フワフワと。揶揄う様にニタニタと、笑いながら見下ろしている。

 捕まえてごらん……。とでも言っている様だ。


 その姿に更に苛立ちが募る。

 そもそもこの女、先程と比べ随分と表情も雰囲気も違う。まるで別人だ。

 アーサーに向けていた何処か知的な彼女も、ドウジマに見せていた子供らしい彼女も、何処にもいない。


 アレはあれで気持ち悪かったが。今のシーアはどうだ?実に腹立たしい。

 こちらの神経を逆なでしてくるような。

 自由奔放で掴み処の無い。本当にもう「腹立たしい」の一言しか浮かばない性格。

 この女。この性格。絶対に男に――……。


「アドニス!!何をしてやがる!」

「――!!」


 その瞬間、部屋に響くドウジマの声によって、アドニスは我に返った。

 黒曜石の眼が扉の向こう、廊下の彼に移動する。

 気が付けば、ドウジマは壊れた壁にもたれ掛かりながらも、此方を。

 シーアとアドニスを睨んでいた。鋭い殺気のこもった眼で、何をしているんだと。


「見ていなかったのか!この女は敵だ!――侵入者だ!何を呑気に話している!」


 血反吐を吐きながらドウジマが叫ぶ。

 気が付けば、ドウジマだけじゃない。

 他のエージェント達も部屋の前にいた。


 サエキや、リリスも。皆ボロボロで、それでも手に武器を握りしめて。

 恐怖と狂気に染まった顔で。此方を……。浮いている彼女に視線殺気を飛ばしている。

 彼らだけじゃない。非戦闘員のカエルだって隠れ見るように此方を除いていた。


 正確には、彼らもまた空に浮く彼女に対してだ。


 この場の全員がこの『組織』に不似合いな少女を睨んでいる。

 乗りこんできて、当たり前に自分達を叩きのめした彼女を睨んでいる。


 嫌、当たり前だ。

 彼女は、紛れもなく此方に対して敵対行動を示したのだから。

 エージェント達彼らを此処まで悲惨な姿にしたのは、紛れもなく彼女シーアなのだ。


 だからアドニスも彼らと同じように、シーアに刃を向けなくてはいけない。

 ――だが。


「な、な、何をやっているアドニス!!そこの、う、うう、浮いてる……?ひえ、浮いてるぞ、この女!化け物だ!!!」


 この場に、余りに不似合いな怯えまくったマリオの声が響いた。

 部屋の中で宙に浮き、ニヤつく笑みを振り撒く彼女を指差しながら怯え震える。


 マリオの様子を見て、漸くと彼の存在を認識したらしい。

 シーアは「けらけら」笑った。

 空中で一回転してから彼女はマリオの前に降り立つ。

 怯えた声が響くが関係ない。

 そんな情けない男の前でシーアは口を開いた。


「なっさけなぁい。あんたってさ。ここのトップなんでしょぉ?それでぇ、よく務まるよねぇ?」


 嫌に甘ったるい女の声。

 アドニスは思わずシーアを見る。――この女、また。

 そちらに気を取られていると、彼女の前で腰を抜かしているマリオが指を差す。


「あ、アドニス!い、今すぐ助けなさい!この化け物を、殺しなさい!!」


 恐怖に顔を歪ませ、涙を零しながら助けを求めて来る。

 その姿を見て、アドニスは顔を顰めた。

 きつく歯を噛みしめ、舌打ちを繰り出す。


「――……無理です。俺にはその女は、どうすることも出来ません」


 アドニスの言葉に、マリオは目を更に大きくさせ。

 廊下にいたエージェント達の息を呑む音が響き。

 ドウジマだけが、唯一直ぐに顔を酷く歪ませた。


「てめぇのか、アドニス――!」


 それは紛れもなく、お前が手引きしたのかという問い。

 アドニスは唇を噛みしめたまま、静かに首を横に振った。

 重い口を開けて、苦言を発する。


「違う。俺には、この女には勝てない。それだけだ!」


 どうしようもない事実を、思い出すように首に手を置いて。

 アドニスは続ける。


「――俺は。俺は、既にこの女に負けている。5日も前に」


 辺りがざわめくのが分かる。

 いや、彼らは知っているのだ。


 5日前、任務から帰って来たアドニスが首に包帯を巻いていたことは。

「あの、アドニス怪物が包帯を巻いている」

 そう、騒ぎになる程だったのだから。事実にエージェント達の顔は青ざめていく。

 当たり前か……


 たった、2日で骨折が治るこの世界で。

 組織内でも最強と呼ばれていた少年が、数日も首に包帯を巻き。

「唯の痣だが、中々消えない」

 そう、苦言を零していたのだから。


「俺に痣を付けたのは、この女です。――悪いが、勝てる気が全く起きない」


 だから嘘偽りも無く。

 はっきりとした敗北宣言拒絶に。

 誰もが息を呑み、硬直するしか無いのだ。



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