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14話『ソレを人は』



 街を歩く。


 いつもの寂れた貧民街でも、昨晩の落ちぶれたネオン街でもない。

 綺麗な街並みが、何処までも続く。しかし高級住宅が並ぶほどではない。

 至って普通の庶民が住まい暮らす。その『平民エリア』の店通りの一つ。


 アドニスは、街の住人の視線を痛いほど浴びながら歩み進めていた。


 眉を顰める。

 視線の理由は明白だ。

 ちらりと、いや。ギロリと睨むのは隣。


「ん?どーした、少年?」


 いつもは浮いている足を地に付けて。

 にたにた顔を張り付けながら、恋人のように自身に腕を絡ませる。シーア。

 周りの連中は、正しく言えば彼女に視線を釘づけにしている。それは明白だった。


 なにせシーアという女はまごうこと無き、誰もが息を呑んで見入ってしまう美女なのだから。

 その上、更なる問題は今の彼女の格好。


 男物の大きなダボダボなシャツにベルトを使用し、ワンピースのように身に付け。上からは男物の黒いコートを纏う。

 いつもの黒いハイソックスとガーターベルトは、そのまま。シャツの下からはチラチラ見える太ももと長い足がスラリと伸び、無駄にエロい。


 つまりだ、完全にその姿は彼氏コーデ。

「彼氏の服を着て来ましたよ」アピールと共に、コレ見ようがしにアドニスに腕を絡ませているのだから。

 嫌でも目立ち、嫉妬に羨む視線が問答無用に送られるのだ。


「おい、お前。いい加減にしろ。そもそも、なんだその恰好は?」

「うん?」


 こそりと耳元で問えば、とぼけ顔。

 何か?と言わんばかりの表情を作った。


「俺が渡した服はどうした?デニムは……?その服はどうした」


 そもそもしっかり下も渡したはずだ。

 なのに、何故そんな姿になっているのか。その黒いコートとベルトは何処から出したと言うのだ。


「あのパンツはなぁ。ダボダボなんだもん。だから君のクローゼットからちょっと拝借した」

「は、いしゃくってお前……!」


 嫌な予感が頭をかすめる。

 家に帰れば、洋服が散乱している可能性。

 シーアはそんなのお構いなしだ。

 いったん彼から離れると、アドニスの前へ。口元に手を当て上目遣い。


「似合っているだろう?君の匂いに包まれていたかったんだ♡」


 見かけだけは恐ろしいほどに愛らしく。首を傾げ、頬を染め上げて問いかけを一つ。

 瞳は相も変わらず色が無く。口元にも、にたり笑いであるのは間違いないが。

 周りの視線が更に鋭くなった。


 加えてアドニスだって男だ。その姿に思わず赤面してしまう。

 わざと開けた胸元が拍車をかける。


「しらん……。ほら、さっさと行くぞ!」


 思い切り視線を上げて、アドニスは彼女を押し払う様に歩みを再開した。

 ここら辺の『街』は、よく来るから店の場所は大体把握している。

 隣の本屋には用があっても。自分は生涯絶対に関わりも無いと確信していた場所は、目に見える大通りを曲がった先にある。


「もう、冷たい。少年!」


 そんなアドニスの腕に、シーアは思い切り抱き着いた。

 ぷくっと頬を膨らまして、正に恋人らしく。周りに見せつける。

 その表情はすぐ様に、悪魔な物に変わるが。


「……おまえ、まさかと思うが。俺を揶揄う為に、周りからの印象を悪くするために行動してないか?」


 その表情から「もしや」と推測がアドニスの頭に浮かんだ。

 シーアはニタリ。


「そんな訳ないじゃん。それだったら、なりふり構わず浮いて後ろから抱きしめているよ?……ね?」

「……」

「考えて見なよ。浮く女から常に後ろから抱きしめられている自分の姿。見られたい?」


 何が「ね?」だ。

 シーアの言う通り。そんなのは願い下げだ。

 何故か浮いていて、自分にずっと張り付いている美女等。

 どのような視線を送られるか。


 性格と仕事柄。アドニスは極力人とは関わらず。人に顔を覚えられない。

 目立つ事は一切しないように気を付けて。普通で質素な日常を、これ迄もコレからも送らねばならないと言うのに。


 だが、今この状況。十二分に目立っている。

 それに何より……。


「ねぇ少年。何か言っておくれよ」


 シーアは更にアドニスに身体を密着させた。


 むにむに。むにむに。

 思考が吹っ飛ぶ。


 もう本当に我慢の限界。

 目的地はもう目の前。

 道の端の端に移動して。


 漸く辿り着いた、目的地の百メートル程離れた先で、アドニスは足を止めた。


 どん……とシーアの身体を強く押す。

 意外にも彼女の身体は素直に離れて行った。

 笑っていたので、これまたワザとだと思うが。


 そんな彼女を前に、アドニスは内ポケットから財布を取り出す。

 取り出してシーアに押し付ける。無言のままに。彼女は首を傾げる。


「何?」

「財布だ……。5万は入っている」

「はあ、大金じゃないかい?」


 大金だ。勿論大金だとも。ソレを当たり前に押し付けたのだ。

 ただ、元より殆ど使わないので痛くは無い出費だが。

 いや、これは必要経費。アドニスはそう決定した。

 シーアには視線も向けないまま、言う。


「それ全部使っていい。あの店で買い物してこい」

「――?」


 あまりに視線を向けず。しかし真剣な声色を零すモノだから。シーアはもう一度首を傾げる。

 あの店とは、どの店の事か。指も差さないので分かり辛い。


 あたりをキョロキョロ。見渡す。

 察してか、アドニスが顎を動かし示す。

 やっぱり無言のままに。様子も可笑しい。

 たが、それも直ぐに理解出来よう。


 シーアは向けられた視線の先で、その店を目に映して。

 漸く理解したように、にたり。


「えー。いらないよ?」


 棒読みで、心の底から、小馬鹿にするように。


 此処から百m程先にある、店。

 ショーウインドーに並ぶのはアドニスには縁遠い物。

 赤にフリル。白にレース。黄色に花柄刺繍。水色に艶やかな模様。

 煌びやかで色鮮やかな、女性専用の衣服が並ぶ。そう。


 ――ランジェリーショップを指して、笑うのだ。


 アドニスは何も言わない。何も言わないが、行けと空気を醸し出す。

 シーアは呆れたように、やれやれと手を上げた。


「あのね。心配しないでよ。これでも数着は持っているからさぁ」


 シーアはケラケラ笑いながら、その指で静かにを指す。

 その様子にアドニスは目を逸らした。


「ちがう……だから。……の方を……」


 ぼそ、ぼそ。ぼそ、ぼそ。

 全く聞こえない声にシーアは耳を立て。にた、にたり。


「なあに?お気持ちだけは貰っておくよ。それより美味しい物でも食べて行こう?」

「――!」


 笑いながら。

 アドニスの手に財布を押し付けながら、その腕に胸を密着。

 相変わらず柔らかな。柔らかすぎる。


 服の上からでも目立つ程、綺麗な形が見事までに露わになっている。

 その胸を押し付ける。勿論わざと。


 もうアドニスは恥をかなぐり捨てて。


「だから――。……ブ……ブラジャーを、買ってこい……!」


 小声ながらも、はっきりと口にするしかなかった。



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