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第10話『空が青いじゃねぇか』

 世界デーンブルに吹き付けていた魔風が止まった。


 街に居る連中で最初に気がついたは誰だろう。外と壁一枚しか隔ててない風防街の住人か、あるいは外の道化師の様子でも見に行こうとしていた『金獅子』の誰かか。


 それは実際はどうでもいい事だが、俺と【黎明のともしび】クロエ・アストルガが壁の中に戻った時には、街の中は大変な騒ぎになっていた。


「魔風が止んだって本当かよ」

「外へ出ても影響ないってよ」

「遠見塔の奴らが騒いでた。見える範囲の異化獣も消えったって」


 おう、そうだぞ。俺がちゃんと確かめたからな。


「この空もなんなの。すごく青いけれど……」

「雲や霧が無いわ。天にあるあの光は何かしら」


 ああ、あれな。驚くよな。太陽なんだぜあれ。雲も霧もないとああ見えるらしい。今までは魔風が運ぶ悪いもんに隠されてぼやぼやしてたからな。それよりも普段、絶対厨房から出てこねぇ食堂のおばちゃんさえも出て来てんのかよ。すげぇな。


 門から続く大通りには人が沢山いて喧噪が溢れていた。風が止んで、遠見塔から見える範囲に異化獣の姿が居なくなって、外へ出ても身体の不調が出なくなって、空が真っ青に澄んだからみんな出てきたんだ。


「わぁ人がいっぱいでびっくり。この街ってこんなにたくさん人がいたんですね。普段はこうじゃないんですもんね?」

「ああ、俺も初めて見る光景だ」


 壁で守られているとはいえ、往来で長々と立ち話をする馬鹿は今までいなかった。誰もかれもが魔風を恐れているからだ。辛気臭い話だが外へ出る時は目深にフードを被って出来るだけ短時間ってのがこの世界の常識だった。


 それが今はなんだよ。どいつもこいつも出て来て大声で喋りやがって。その顔に浮かぶのは、困惑、疑惑、興奮、希望だ。いろんな顔したヤツラが訳も分からず囀りあってやがる。クロエが言う通り、この街にはこんなにも多くの人間が住んでいたのかと新鮮な驚きがあった。


「まぁ、風が止まったんだ。そりゃ騒ぐか」

「ですです。もう外へ出ても大丈夫なんですから」


 特に皆が驚いているのは空の様子だった。誰もかれもが口を開けて東を眺めている。その先にあるのは直視できねぇほどの強い太陽が昇っている。


 壁とは逆方向。人黎教会の本部があるっていう東の区域。俺たちみたいな木っ端の人間が行くこともできない場所の上空に、ギラギラとした光の塊が。


「空が澄むとああ見えるのか」

「デーンブルは魔風の影響で常に曇ってましたもんね。ここよりもっと東の区画ではたまに晴れ間も見えましたよ」


「へぇ。すげぇもんだぜ。ここではずっとぼやぼやしてたからな」


 陽光に当たっているだけで、全身が温まりほぐれていく感覚がある。思えば生まれてこのかた、空を見上げた事なんて数えるほどしかなかった。


「そういえば知ってますかジョバンニさん。太陽って、空の果てに浮かんでる火の玉なんですよ」


「火の玉……いや光だろ? 魔法士が使う光球ルクスみたいなやつに見える」


 光球ルクスは戦闘系の法則持ちが使う初歩的な光の術だ。


「いいえ。火球アグニスなんです。それの大きい奴ですよ」

「ほお」

「私たちの住んでる場所から遠く遠く、うんと遠くにあるんですよね」

「ふーん」

「ジョバンニさんって、この大地はどうなってるか知ってますか?」

「知らん」

「丸いんですよ。大地。すごくないですか?」

「へぇ。そうかい」

「むぅ……、興味なさげですね」


 不満気な表情を向けてくるクロエをスルーしつつ大通りを進む。唐突に始まった講義らしき何かを俺に聞かせたいらしいのだが。


「……まぁ興味が無いこともないがよ、それより急にそんな話を始めた意図が気になってんだよ。風が止まった事となんか関係あるのか?」


「無いですけど」

「ほぉ……」


 なんでそんなことを? と言わんばかりに小首をかしげるクロエに少しばかりの苛立ちを感じつつ、次の言葉を待つ。


「ほら、私って中央生まれで、こう見えて高度な教育を受けてるじゃないですか。辺境には伝わってない知識とかもいっぱい持ってるんですよ!」


 なるほど?


「だから、これからお仕事を手伝ってもらう予定のジョバンニさんにも色々知ってもらわないとと思いまして」


「はーん……、【黎明のともしび】ってのは、つまるところ学者様だったわけか?」

「ちょっと違うんですけどね。そういう専門的な知識も必要な役割なんです」


 どやっと胸を張るクロエに冷たい視線を浴びせながら考える。つまりこれってよ、私頭いいんですアピールかよ、うぜぇ。唐突だし、顔がムカつくし、とにかくうぜぇ。舌打ちをしたい気持ちを隠しながら続きを促す。


「で? 何で今その話を」

「ジョバンニさんって、あんまり学なさそうだよね……って」

「…………」


 確かに学はねぇけどよ。こちとら風防街生まれの【道化師】だぞ。何を期待してやがる。


「これから私のお仕事手伝ってもらうのにまったくの無学はちょっと」

「誰がテメェの仕事、手伝うって言った?」


「え、えええ!?」

 何を驚くことがあるんだ。


「テメェの仕事手伝うなんて、いつ言ったよ。お前が、一方的に、なんだかよく分らん宣言しただけじゃねぇか。その後俺は何にも言ってねぇだろ? なんか言ったかよ? 一言一句復唱して見ろよ。ほれ」


「えええ……、ジョバンニさんは今の世の中に絶望してるんですよね? 私はそれをこれから変えちゃうんですよ? なら手伝ってくれるのが当然ですよね!」


 両手を拳に握って、力説する。

 クロエは驚く事にマジのマジで言ってやがるようだった。


「……お前はよぉ。俺の事、馬鹿だと思ってるよな」

「え、えっとぉ……、そんな事」

「…………」


 俺の冷たい視線に対して、まずいと思ったのか、上目遣いでちょっと可愛らしく舌を出しやがるが、んなしぐさで誤魔化そうとは太ぇ野郎だ。


「繰り返す。テメェの中でどんな勘違いがあったか知らねぇが、手伝ってやるとは一切言ってねぇ」


「わ、私これからちょっと忙しくなりそうなんですよね! いろんな人に私が救世主だって信じてもらわなきゃいけなくて。それで、嘘もハッタリも必要でして」


「ふーん」

「え。あれ、あんまり興味ない感じ? そのハッタリ部分を手伝ってほしくて……」

「知るか」

「え、えええ!」


「いやぁ、大変だなァ使命。立派だと思うぜ。御大層な法則背負ってるしな?」


「そう、大変なんですよ! ……なので、手伝ってもらえませんか?」

「知るかよ。そういうのはな【詐欺師】とかに頼めよ」

「【道化師】と【詐欺師】って、ちょっと似てる気がしません?」


 死ね。


「おい、ジョバンニ! 風が止んだってのは本当か! お前今日も外に居たんだろう!?」


 そんな話をしていた俺たちに声をかけてきたのは、大通りに店を構える【武器職人】のおっさんだった。革のエプロンをつけた赤ら顔、昼間っから酒を飲みふけってる馬鹿親父だ。


「ん。どうやら、そうらしいなぁ」

「そうらしいって何だ。異化獣はどうなった? アイツらも来てないのか」

「遠見が見える範囲には今いないらしいぞ」


 異化獣は魔風に晒され変異した生き物だ。風と共にやってくる。風が止まったから今日は来ねぇんだろうさ。


「お前さんずっと『外』に居ただろ。武器買いこんでよ……。そうだ、あれどうした。安物だがそれなりに使えるモン持たしてやっただろ」


 おっさんの言うのは、リコの金で買いこんだ刃物類の事だ。ボロボロの土だらけで何も持たない俺の姿をみて自分の作品の事が気がかりになったんだろうな。


「あれな。全部ぶっ壊したわ」

「は? お前らの団に納品する数カ月分だぞ。業物も何本かあったろうが」

「無くなったもんは無くなったんだよ」


 俺の戦い方だと基本使い捨てになるから、基本名刀でもナマクラでも関係ないんだがな。なんだよ、業物も混じってたのか。ならもっとボロばっかり頼めばよかったぜ。 


「手持ちの金じゃ足りねぇからって、ツケで持ってた分もあんだぞ? 異化獣が消えたらしいが、ちゃんと払ってくれるんだろうな!」


「おっさん。その話はまた今度な。ほれ、女待たせてるんだ」

「あ、おい待て。いや、それよりも、外の様子をだな――」



 まだ何か言ってるオッサンを振り切りクロエの元に戻る。

 ツケはどうすっかね。仕事がなくなったからな。リコにまた借りるしかないわけだが。


「ジョバンニさんはお知り合い多いんですね」

「まぁ、それなりにな。どうしてそう思う」

「貴方が通りを歩くとほら、みんな見ますから」

「【道化師】なんて法則は珍しいからな。いつでも注目されちまうんだよ」


 あと、俺がリコ以外の女連れてるからってのもあると思うが。追放決闘で負けた排除騎士が未だにのうのうとして生きてるのが珍しいってのもあるな。単独で外に出る奴は長生き出来ねぇから。いや、風が止んだ今。異化変異で死ぬ奴ももう出ねぇのか。


「おい。風が止むと異化獣もいなくなるのか?」


 異化獣は魔風が引き起こすバケモンだ。すぐには居なくなるわけじゃねーだろうが、風が止んだ今、新たに生まれることは無いんじゃねぇかなとも思えた。


「はい。徐々に減ってくると思いますよ」

「やっぱりそうかよ」


 じゃあ排斥騎士も失業だ。戦う相手が居なくなるんだからよ。ザマァみろ。

 そう思っていた時だ。


「『金獅子』が出るぞ!! 道を開けろ!」


 酒場から完全武装で現れたのはデメトリオたちだった。

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