裸でぼんやりと聖堂の天井を眺めていたら。出し抜けに声をかけられた。
声をかけたのは、聖堂仕様の薄絹だけをまとった女。シスターリコだった。
「イヴァンさんの邪魔したんだって? ほんと、懲りないよねキミ」
「……誰に聞いた? おしゃべり野郎が居やがるな」
「誰がっていうか、みんな言ってた。また【道化師】がやりやがった! って」
戦闘中に起こったことは、基本的に外には出さないのが約束だ。それは騎士団と提携している聖堂のシスターたちにだって適用される。一生壁の中にいて戦わない人間には、異化獣の恐ろしさなんか知る必要が無いからだ。
だが、俺の背に手を置いて、あきれ顔で癒しの施術を行うシスターリコは、事情をすっかり知っているようだった。
「知りたがりは命を縮めるぞ」
「イヴァンさん、めちゃくちゃ怒ってたから流石に気になるよ」
言葉と共に素肌の背中にリコの両手が添えられて、ゆっくり数回、上から下に撫でおろされる。聖水・香油・薬液、それらの混合と乙女の愛撫。そうする事で彼女の手に【癒し手】の力が発現する。
その力はいたってシンプル。傷を癒し塞ぐ。ただそれだけ。
シスター達が持つ【癒し手】法則の力。だいたいどんな傷も治せるが、使うのにはちょいと作法が必要な面倒な法則だ。
「後ろ見ないでね。この衣装、やたら薄いんだから」
「おう」
背がじんわりと温かくなり痛みが消えていく。その感覚が心地いい。
「どこまで聞いたんだ?」
「ジョバンニがイヴァンさんの決意を踏みにじったって話でしょ」
「はっ、十分だな」
俺は知られているならしょうがないとため息をつく。どのみち治療中はしばらく動けないし、リコは治療中に無駄口を叩くのを好きだ。諦めて俺は馴染みのシスターとの会話を続けることにする。
「俺は悪くない。間違ってるのはあっち」
「えー、悪いのは君でしょ? 今までもだいたいそうだったし」
「今回は違うかもしれないだろ」
ほら、今度そっち向いてとリコに促される。横から首に手が置かれると、イヴァンのにぶっ飛ばされ、あちこちにできた傷に聖油が染みる。眉根を寄せて傷を覗き込むリコの横顔が目に入った。
「うわー、ほんとにボコボコだね。いたそー」
「いてぇよ。早く治せ」
「治させといて、生意気ー。行っとくけど私これ、残業」
「じゃあ喋ってないで早く終わらせれば良いだろ」
コカトリス討伐の後、イヴァンとパルカも人黎教の聖堂に運ばれこんな風に治療を受けていた。人黎教聖堂にはいつでも【癒し手】の法則持ちのシスターたちがいて、怪我人の治療や呪いの治療なんかを担ってくれている。
今、俺の傷を見てくれている娘、シスターリコもその一人だ。
コカトリスの石化は、魔風変異と違って癒しの力が効いた。四肢がほとんど石化していたイヴァンとパルカも無事復活。
死人無しで大団円の一件落着ってハズだったんだが、悲劇が起こった。
「あの野郎、不意打ちしやがったんだぞ。卑怯なクソ野郎だ」
何があったかっていうと、イヴァンが様子を見に来ていた俺をぶん殴った。戦場での【道化師】に触れられなくても、平時の俺なら殴れると思ったらしい。
シスターたちが視ている前で乱闘なんざ恥ずかしい真似はしたくなかったが、その心配もなかったな。最初の一発で意識を飛ばされかけていた俺は無抵抗に沈んだ。
その後も『死ね、クソ道化師ッ!』なんて罵られながらしつこく殴られ蹴られ。ボコられた俺は血だるまで冷たい石床の上に伸びたってわけ。
俺は放置されたらしく、気が付いたら団の奴らは全員帰って聖堂にひとりだ。あきれ顔のリコに「一応治療しとこっか?」と言われ今に至る。
「もう一回言うぞ。俺は悪くない」
「ううん。悪いんだよ? 今までも大体そう。こんな傷まで作ってさ。馬鹿みたい」
「悪くねぇんだよ」
悪くない。悪くないんだ。
「悪いって。だってイヴァンさんたちの気持ちを無視してる」
「あんなもん、本心じゃないだろ。戦えなくなってきたからって、自殺紛いの戦闘をするなんて」
今回はミスった。奴らが言う所の『戦葬』が行われるなんて知っていれば、戦場に出る前にイヴァンの馬鹿をぶっ飛ばして戦闘不能にしてやったんだ。それから団の倉庫にでも縛り付けときゃいい。三日くらい放置しとけば戦う気も失せただろうに。
「それ、もしやってたら殴られるくらいじゃ済まないと思う」
「バレなきゃいいんだよ。そういう工作は【道化師】のお得意だ」
「馬鹿。そういうこと言ってるから嫌われるの」
リコが心底呆れたというような顔をしてぺちりと頬を叩く。
「君、人の事とやかく言うのを止めたら? 特に死期とか、デリケートなのはさ」
「アイツらはまだ戦える。馬鹿は見切りつけんのが早いんだよ」
「それは君が決めることじゃない。イヴァンさんの身体見た? だいぶ≪
「だからどうした」
「だからどうした、じゃないよ。魔風の異化変性は不可逆なんだから。身体が変色して、動かなくなる≪
「関係ない。白化が来てからも風にさえ当たらなきゃしばらく生きれるだろうが。壁の奥に引っ込んで、妹とゆっくり暮らせばいいんだよ」
「それは、もう排斥騎士じゃなくなってる。法則が全うできない」
「は、
イラついた俺は、聖堂の奥にそびえたつデカい柱のオブジェを睨む。その柱こそが、人黎教の
『
魔風吹き荒れるこの世界で、人が生きていけるように生まれもって法則を授ける神だというが、その教えのせいでロッソ兄妹みたいな雑な終わり方を選ぶヤツが出る。どいつもこいつもそんなに神様が、法則が大事かよ。神様がお前らに何してくれるってんだ。
「クソクソクソ。とにかく気に食わねぇ。死ね。神死ね」
「うえぇ……、あの、ここは聖堂で私一応シスターなんですけど?」
段々と苛立ちを隠さなくなってきた俺に付き合い切れなくなったのか、リコが身体から手を放し、距離を取った。
「さいてー。はい、もうおしまい」
「治療途中でやめるなって」
「治療なんてとっくに終わってますけどー? 何で神様の事悪く言う人治してあげなきゃいけないんですかね? 本当に失礼な奴。今は凹んでる君の話をぜ、ん、いで聞いてあげただけですけど」
知らない間に治療は終わっていたらしいが、そうならそうと早く言えよと文句の一つも言いたくなる。言いたくなったから、言った。そしたらリコは聖水の入った盆で清めた手を拭きながら「んべーっ」と舌を出しやがった。
「治療してもらっといてほんっと、不敬すぎる。信じられない、ありえないなー。そんな不信心な人にはぁ——」
こうだぞ! とリコが聖水を飛ばす。
服を着かけていた俺にぱしゃりと香りの強い液体が飛んだ。
「おい、汚れるだろクソシスター、何しやがる」
「君が神様の事悪く言うからさ」
「だからって、んなもんかけんな。汚いだろ」
「これ、私達の仕事道具! 戦士の身体を癒す薬! 汚くない」
「それで傷とか、色々なとこ洗うんだろうが、なんとなく嫌だ」
「血混じってないし、今日のヤツはきれいだよ!」
俺とリコは幼馴染だった。
だからこんな風に弱音を行ったり、人には聞かせられない暴言を言ったりと普通ならありえないやり取りも許容できる関係だ。
「お前だって嫌じゃねぇのかよ。こんな教えが無きゃ、そんな薄っぺらい格好で、たいして知らねぇ相手の身体、触ったりしなくても良いんだぞ」
「えー、んー、あー……」
俺の指摘に、リコも想う所があったのか、視線を彷徨わせる。
「ま、まぁ……やだなって思う時も、ある」
【癒し手】の力は、使用するとき直接的に接触しなくちゃいけない。俺の打撲ぐらいなら手でさする程度でいいが、重症の場合は、もっと接触する面積を広げる必要がある。薄手の服はそのためで、接触範囲を広げるっていうと、つまり。
「んじゃ、今度もっと大きな怪我してみるか。そん時はお前を指名するよ」
「指名って、そう言うのの無いから!」
法則【癒し手】が使えるその力の名は【乙女の献身】だ。
正直俺は、リコのこの仕事も気に入らなかった。献身。法則で縛られたこの世界で、献身なんて名前の力、押しつけがましいだろ。
「これねぇ、そういうお役目。別にえっちな事するわけでないし……。ってか! 意識する方がヤラシいんだよ、馬鹿!」
「法則がなきゃこんな仕事しなくていいんだぜ」
俺の言葉にリコはきょとんとした顔をする。しばらく考えて、意図が伝わったのか、しょうがないなぁみたいな苦笑をした。
「ねぇ、法則に準じるのは良いコトなんだよ。ジョバンニがおかしいだけ」
「本当にそう思ってるのか?」
「そうだよ。はっきり言ってあげる。このデーンブルで君以外に、そんな事言ってる人は居ない。そんなわけわかんない
「異端だよ異端。あー、困っちゃうなー? 私シスターなのに、幼馴染が異端者だって。不味いなー? 捕まって火あぶりにされちゃうかもー?」
「そんな教義、ここには無ぇだろうが」
「無いかなぁ? わかんないよ。もし有ったら危なくない?」
「じゃあ、聖典でも調べとけよ。まぁ、俺が知る限り【火あぶり職人】とかの法則持ったヤツが居ないからな。ねーんだよきっと」
「おお、確かに! ジョバンニ、あったま良いねー!」
「お前が馬鹿なの」
そんなやり取りで会話を締めて、リコに手を振り、聖堂を後にした。
聖堂の中はいくつもの燭台が掲げられていたから気にならなかったが、ずいぶんと長居をしてしまったらしい。いつの間にか、外はすっかり闇に落ちていた。
出口を抜ける時、俺は最後に柱の神をもう一度見る。
『
俺だけだ。世界で俺だけが、疑問を持っているらしい。
俺だけが、この教えを心の底から信じられずにいる。