■ 第十一章 子猫に戻りました
異世界では煌々とした満月が三日間、夜空に浮かんでいる。
あの赤みを帯びたまんまるのお月さまを眺めてから四日目──。
美夜は猫の獣人の姿から、子猫の姿に戻ることができた。
元々は普通の人間だった彼女からしたら、子猫の姿に戻るという表現は違う気がするが、朝起きて小さな子猫の姿を目にした途端、侍女長がほっとしていたので、これで良かったのだと思う。
(それに、獣人の姿だと、魔王と一緒にいられないもの!)
最初は自分用に豪華な個室が与えられて喜んでいたのだが、二日目から寂しくなってきたのだ。
考えてみれば、異世界へと召喚されてからずっと、一緒に過ごしていたのが魔王なのだ。手ずから食事を取らせてくれて、日中は膝の上でお昼寝させてくれるし、起きたら疲れるまで遊んでくれた。
お風呂だけはメイドさんにお願いしていたが、夜は腕枕で一緒に眠ってくれていたのだ。なのに、唐突に一人だけで過ごすことになり、美夜は落ち着かない夜を過ごすことになった。
端的に言うと、一人で眠るのが寂しくなったのだ。
(ずっと一人で生きてきたから、平気なはずなのに)
幼い子供の姿に精神が引きずられてしまったのだろうか?
(でも、十歳の時には私、達観していたように記憶していたんだけど……?)
物心がついた頃には既に、両親は美夜に無関心だった。愛らしく要領の良い姉だけを溺愛して、美夜のことはちょうどいい小間使いとしか見ていなかったように思う。
──あなたは、要らない子だったんですって。産むつもりもなかったのに、できちゃったから仕方なく育てているってお母さんが言っていたわ。かわいそう。
姉はいつも美夜のことを「かわいそう」だと言って、笑っていた。
(まぁ、そんな性格の悪い家族に囲まれて生きてきたもの。私がこういう性格に育ったのも仕方がないよね?)
最低な家族のことを反面教師としていたから、これまでは努力できていたのだ。
勉強して良い大学に受かって自立する。稼げる企業に就職して、完全にあの家族と縁を切ることだけを夢見て頑張ってきたのだ。
それが、唐突に異世界の勇者召喚とやらに巻き込まれて、子猫の姿になってしまった。
元の世界へ戻るどころの話ではない。もともと、元の世界への執着もそれほどなかったが、今この姿のまま戻されても、行き倒れる未来しか見えなかった。だって、無力な子猫の姿なのだ。
大学に住み着いて、地域猫として生き残れるだろうか? ──否、優しい学生も多かったが、中には動物嫌いの学生もいて、近寄ってくる猫を蹴ろうとする姿を見掛けたこともある。
ちゃんとした食事が手に入る可能性も低い。猫を飼ったことのない人は悪気なく、自分たちのランチの残りなどを食べさせてやっていた。玉ねぎ入りのハンバーグや味付きの唐揚げ。水の代わりのお茶も危ない。ニンニク入りの餃子も犬猫には毒になるのだ。
(もしかして、毒耐性持ちの今の私なら平気かもしれないけど、どうせなら、ちゃんとしたご飯が食べたい……)
愛猫家に拾われたら、衣食住は安心かもしれないが、魔王城で料理長が作ってくれた美味しい魔獣肉料理にすっかり慣れ親しんだ自分が、もはや市販のキャットフードで我慢ができるとは思えなかった。
(うん、やっぱり私はここで魔王のペットとして生きていくのがいちばんね!)
たまに
美夜は身軽く、ベッドから飛び降りた。このくらいの高さなら、もう怖くない。
したっと着地すると、美夜は侍女長を見上げて大声で鳴いた。
「みゃおう!」
「まぁ」
魔王と言ったつもりだが、やはりどうしても「みゃおう」になってしまう。
侍女長にくすくすと笑われてしまうが、何を言いたいかは、ちゃんと伝わっていたようだ。
「では、アーダルベルトさまのもとへ行きましょう」
そっと抱き上げられて、運んでくれる。
入れ違いで部屋に入ってきたメイドたちが、慣れた手つきでシーツを交換してくれた。
じっと眺めていると、気付いた侍女長が「部屋はそのままにしておきますので」と教えてくれる。
「おそらく、次の満月の際にもミヤさまは変化する可能性が高いと思われますから」
「……にゃ」
こくりと頷いておく。
子猫から獣人姿に変化した時はとても苦しかったが、眠っている間に子猫の姿に戻っていたので、これにはほっとしている。苦しいのも、痛いのも嫌だった。
(満月の時にまた苦しくなるのは嫌だけど、猫耳少女姿だとちゃんと話ができるのは嬉しい)
子猫の名残りなのか、たどたどしい口調とナ行がニャ行になってしまうのは恥ずかしいけれど。
(自分でご飯が食べられるのも嬉しいし、部屋と服を貰えたのも幸せ!)
実家では四畳半の仏間を自室として使わされていたし、服はすべて姉のお下がりだったのだ。それも綺麗で状態の良い物はフリマアプリで売ったから、と渡されるのは薄汚れていたり、微妙なデザインの安物ばかり。
今でこそ、服は丈夫で着心地優先だと割り切っているが、絵本のお姫さまに憧れていた幼少の頃には可愛らしいワンピースがずっと欲しかったのだ。すっかり忘れていたけれど、猫耳付きの少女に変化して、その夢を叶えることができた。
この世界の満月は三日間なのに、侍女長を始めとしたメイドさんたちやお針子さんが十着以上のワンピースやデイドレスを大急ぎで作ってくれて、可愛らしく着飾らせてくれたのだ。
こんなに綺麗な服を着こなせるとは思えなかったけれど、瞳と髪色が変化したせいだろうか。それとも愛らしい猫耳と尻尾のおかげかもしれないが、意外と似合っていて、これも嬉しかった。
あまりの可愛さに、魔王に見せびらかしに行きたくなったが、残念ながら止められてしまった。
陛下の理性が信用なりませんので、と宰相にまで反対されてしまった。解せない。
猫耳の獣人だと可愛い服も着られるし、自分でできることも増えるけれど、ただ魔王と一緒に過ごせないことだけは不満だった。
(私が『魂のツガイ』だから、今はまだ傍にいられないんだよね……?)
人に近い、獣人の姿だと、ツガイ相手の魔王が理性を見失いがちになるから、自衛のためにもしばらくは離れているべきだと宰相と侍女長には説明されている。
勇者である美夜が魔王の伴侶だとバレると、国内政治的にもよろしくないのだろうな、と素直に納得した。魔王のことは保護者として信頼しているが、今すぐ伴侶にと迫られても困るので、美夜は大人しく侍女長の助言に従って、獣人姿の際には別室で過ごしたのだ。
(昨日はちょっとだけ、魔法の練習のために中庭に出て、失敗しちゃったけど)
風魔法と水魔法をマスターして、良い気になっていたのかもしれない。
そのまま土魔法と火魔法も使えるようになりたい、と城の外に出てしまったのだ。
問題なく発動した土魔法はともかく、攻撃性の高い火魔法に関しては魔力を多く込めすぎてしまい、あわや火事になるところだった。
そこを助けてくれたのが、執務室から様子に気付いて駆けつけてくれた魔王である。
パニックになった美夜を落ち着かせてくれ、鮮やかに火を消してくれた。さすが、魔王。
てっきり叱られるかと思いきや、優しく抱きしめてくれたのだ。イケメンすぎる。
久しぶりの魔王の腕の中は居心地が良く、あのままお昼寝をしたいくらいに快適だった。
血相を変えた侍女長が駆けつけてきたことで、つい宥めるために手を伸ばしてしまったが、本当はそのまま魔王にしがみついていたかった。
(でも、あの姿では傍にいたらダメって言われていたし)
母性の塊のような侍女長を前にして、ほっとしたのも事実ではあったけれど、後で魔王が肩を落としていたのを目にして、ちょっとだけ申し訳ない気分になったのだ。
(だから、猫に戻ったからには! すぐに魔王を慰めてあげなくちゃね!)
ふふふんと胸を張って、美夜は侍女長に運ばれた。いざ、魔王のもとへ!