目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第31話 魔王の葛藤2

「陛下、それはトラのぬいぐるみです。ミヤさまではないので、ミルクは飲めませんよ?」


 メイドの一人が戸惑いがちに声を掛け、アーダルベルトは我に返った。

 昼食を取りつつ、いつものようについ膝の上の子猫に食べさせようとしていたらしい。

 アーダルベルトは小さく咳払いをして、何事もなかったかのように、スプーンを置いた。子猫が膝にいないと、なぜか食欲を覚えない。ワインを飲み、肉を少しだけ咀嚼すると食事を終えた。

「もうよろしいのですか」

「ああ。下げてくれ」


 子猫がいないと、することがない。仕方がないので、黙々と書類仕事に励んだ。

 ずっと執務室にこもっていると体が鈍る。鍛錬場に行くか、いっそダンジョンでストレスを発散するか、と考えていると、獣人族間での争いがあったとの報告があった。

 宰相が軽く顎を引いて文官たちに指示を出す。

「調停員をすぐに派遣しましょう。人選は──」

「私が行こう」

 羽根ペンを放り出して、アーダルベルトが告げると、宰相が眉を顰めた。報告に訪れていた文官がぽかんと口を開けて呆けている。

「は? 陛下、いま何と……?」

「くどい。私が直々に行って、調停をしてやろうと言っている」

「お待ちください、陛下!」


 制止しようとするテオドールを退けて、魔王アーダルベルトは執務室の外に転移する。

 魔王城の上に立つと、背から翼を生やして、心配性の宰相と侍女長に止められる前にさっさと飛び立った。

『魂のツガイ』である、愛しい少女に会えない憂さを晴らすべく、魔王は颯爽と目的地へと飛び立っていった。


◆◇◆


 無事に調停を終わらせて、少しだけスッキリした表情で帰ってきた魔王アーダルベルトを迎えてくれたのは、美しくも恐ろしい侍女長だった。

「おかえりなさいませ、アーダルベルトさま」

「うむ、戻った」

 優雅な所作で一礼する侍女長に、アーダルベルトは鷹揚に頷いてみせる。

 内心では、またお説教かと少しだけうんざりしていたのだが、予想に反して彼女は穏やかな表情で魔王のマントを受け取った。


「──怒らないのか」

「怒りませんよ。『魂のツガイ』の存在を感知して、そこまで理性を制御されるアーダルベルトさまを誇りに思うことはあれど、怒るなど、とんでもない」

「そうか」

 長命なエルフにして、様々な種族の女性たちの相談に乗ってきた女傑にも思うところはあるらしい。

 城勤めの女官やメイド、その他の下働きの女性たちの中には『魂のツガイ』がいる獣人の女性たちもそれなりにいるのだ。

「彼女たちから聞いたことがあるのです。『魂のツガイ』とは一時だって離れているのは辛いことなのだと。一度でも出会ってしまったら、知ってしまったら、もう以前のように過ごすことはできないそうです。私はエルフなので、そんな激しい情熱を本当には理解はできませんが……」

 シャローンはうっすらと微笑みながら、アーダルベルトにカップを手渡した。

「どうぞ、ホットミルクです」

「……私は子猫ではないが」

「ふふ。ミヤさまの大好物ですよ? アーダルベルトさまには、ほんの少しだけ蜂蜜の代わりにお酒を落としているので、美味しいはずです」

「そうか。いただこう」

 一口、唇を湿らせて、己が渇いていたことを思い出す。

「うまい」

「そうでしょうとも。ミヤさまが心配でも、きちんと食事はとってください」

 元乳母の目には何でもお見通しだったようだ。

「食欲がない」

「ミヤさまはたくさん食べておいでですよ」

「そうか。……シャローンが食べさせてやっているのか?」

 ほんの少しだけ、妬いてしまったことも気付かれているのだろう。シャローンはそれはもう美しい微笑みを浮かべて、「いいえ?」と楽しそうに教えてくれた。

「子猫の時と違って、今は自由に動かせる器用な手がありますからね。ご自分でお食事をされておりますよ」

「ああ、そうか。そうだったな……」

 たしか、あの姿の勇者は十歳だった。なら、一人で食事ができるのは当然か。手ずから食べさせてやれないのは残念だが、食欲があるのならば良かったと胸を撫で下ろす。

「アーダルベルトさまが許可してくださったおかげで、ミヤさまに素敵な服を用意することができました。とても可愛らしくて、お似合いでしたよ」

「くっ……! そうか、それは良かった……」

 可愛い服を着た勇者の姿がとても見たくなり、切なく痛む胸を押さえていると、くすくすと笑われてしまった。オーガか。いや、エルフだった──シャローンが水晶玉を取り出した。

「うふふ。意地悪でしたね、今のは。申し訳ございません。どうぞ、姿を映してまいりました」

「うむ、そうか。では、見せてもらおう」

 つとめて何でもないことのように頷いてみせると、アーダルベルトは素早く水晶玉を受け取った。これは対象の映像を写し取る魔道具のひとつだ。

 賢者が発明したもので、これまでも便利だとは思ってはいたが──


「すばらしい。この水晶玉を発明した賢者には褒美を送っておけ」

「もう報酬は支払っていますよ、アーダルベルトさま。……聞いていませんね? まったく、素直じゃない子です」

 何やら小言を言われているようだが、アーダルベルトの耳を素通りしていく。なぜなら、水晶玉に映し出された、愛らしい少女の姿に釘付けだったので。

 子猫の姿の時そのままの、ふわふわの獣耳と尻尾を揺らしながら笑う、空色の瞳の少女。

 白銀色の髪と、淡い紫色のワンピースがとてもよく似合っている。すばらしい。この服を作った者には褒美を取らせなければなるまい。

「針子にも特別報奨金は支払っておりますので、ご安心を」

「そうか。よくやった、シャローン」

「下着に夜着も数着ずつ作っております。ワンピースは十着ほど」

「うむ。……足りないのでは?」

「足ります。ミヤさまがあの姿なのは満月の三日間だけですから。……が、もっと仕立てても良いとは思いますわ。可愛らしい服がお似合いですから!」

「では、その件については侍女長に任せよう」

「うふふ。お任せください。アーダルベルトさまがメロメロになるくらい、素敵に仕上げましょう!」


 もう既にメロメロなのでは? という指摘をする者が、執務室には誰もいなかったため、魔王と侍女長は笑顔で会話を終了して、その日の執務を終えた。

 調停ついでに、気晴らしで入ったダンジョンでミノタウロスを乱獲した魔王の所業を耳にした宰相テオドールが頭を抱えることになったが、それでストレス発散になるのなら問題ない、と部下の大臣を筆頭に文官たちにまで訴えられて、渋々と認めることになったのは余談である。


 かくして、満月の間のみ、魔王陛下がダンジョンにこもられることは暗黙の了解となった。

 ちなみに倒したミノタウロスの肉は厨房に回され、勇者ミヤが美味しく平らげました。


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?