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第30話 魔王の葛藤1

■ 第十章 魔王の葛藤


 アウローラ王国に住まう魔族と獣人、竜種には『魂のツガイ』という特別な存在がある。

 より強い子孫を残すために、最適の伴侶となり得る同族と出逢うと、互いを魅了する香りを放つようになる。


 異世界出身の元勇者である賢者曰く『ふぇろもん』という物質なのではないか、とのことで。それは本能を強く刺激して、抗いがたい欲を覚えるものらしい。

 賢者は「まぁ、こっちの世界で言うところの魅了系スキルみたいなものかな? お互いにツガイ相手限定の魅了だけど」とからりと笑っていた。他人事だからか、それはもう楽しそうに。


 ともあれ、元々は種族繁栄のための生存本能に近いものだったはずなのだ。

 それが何故か、現在では種族に関わらず、『ツガイ』が現れるようになってしまった。

 長命で博識なエルフの長老も不思議がっていた。

 同族の少ない種族が「子を生せる相手を見つけた場合、子孫を残すために発情しやすくなる」といった本能は元来あったものだ。

 だが、子ができにくい異種族を『ツガイ』と認識してしまうのは、もはや『魂の設計図』とやらに齟齬そごが生じたとしか思えない、と。

 賢者やエルフ族の長老の話には納得したが、疑問もある。


(魔族や竜種は希少種族ゆえ、『ツガイ』として惹かれ合う理由も納得できるが、獣人は数が多い。恋のシーズンもある種族だ。ならば、『ツガイ』は必要ないのではないか?)


 数の多い獣人たちの間から、同族外の『ツガイ』が現れるようになったのだ。

 オオカミの獣人とキツネの獣人が番い、やがて人と獣人も伴侶になることが増えてきた。

 中には、天敵であるはずのオオカミとウサギの獣人の組み合わせまであった。

 意外だったのは、そうして伴侶となった二人の間にも、子が生まれたことだろう。他種族との間に生まれた子供はどちらかの親の性質をきっちりと引き継いでいた。

 人と獣人の間に生まれた双子は、兄が獣人で妹が人間だった。能力も普通か、少しだけ低い。

(つまり、より強い子孫を残すための『ツガイ』ではなかったということだ)


 最強種の竜が人間の女を『ツガイ』に選んだ時には、王国中が驚きに包まれた。

 そこから竜人族──ドラゴニュートが生まれた。他の種族とは違い、ドラゴニュートは特殊だ。

 男性はその外見に竜の血が濃く残り、女性は人間そっくりの外見だが、魔力の扱いに非常に長けている。強靭なオスに、魔法使いのメス。最強の組み合わせである。


 同族以外でも強く惹かれるようになってからは、『ツガイ』は『魂のツガイ』と呼ばれるようになった。

 子が生まれる『ツガイ』もいたが、もちろん子に恵まれない『ツガイ』もいる。

 魔王であるアーダルベルトは『魂のツガイ』については知識として知っていたが、どこか他人事に感じていた。

 あんなものは眉唾ものだと考えていたのだ。

(ただ単に、恋情を抱いた相手を運命の伴侶だと言い張っているだけだろう。くだらない)

 ずっとそう考えていた。

 同じ魔族からも『魂のツガイ』に狂わされたものが現れてからは、特に。

(たかが色恋沙汰で国を揺るがすようなことなど、あってはならぬ)

 魂で繋がっている『ツガイ』がどうだと騒ぐ連中をアーダルベルトはずっと白い目で眺めていた。自分は絶対にそうなるまい、と達観した気持ちでいた。

この自分が、たかが色恋沙汰に振り回されることなど、あり得ない。そう思っていたのだ。


 だが、どうだ。

 実際に『魂のツガイ』相手と出逢うと、こうまで惑わされてしまうとは!

「まさか、この私に『魂のツガイ』が現れるとは……」

 魔王アーダルベルトは頭を抱えた。

 どうしよう。いや、どうもできない。

(嘘でも、方便でもなかった……)

 そう、『魂のツガイ』は、単なる色恋の問題ではなかった。

 愛しい相手を目にして、その香りを嗅いだ瞬間にはもう理性が吹っ飛んでしまっていた。

 彼女に近寄りたい。触れたい。匂いを嗅ぎたい。抱き締めたい。

 そうして、己のものだと所有の証をそのまっさらな肌に刻み込みたくて、どうしようもなくなるのだ。

 あの、白く美しい首筋に己の牙を挿して、互いの心を縛り付け合いたいと、強く願ってしまう。


「……あの時、シャローンが止めてくれなければ、おそらくはそうなっていたことだろう」

 魔王は反省した。とても後悔している。かつての傲慢な自分に。そして、思ったよりも脆弱だった己の意思に。

 魔力を一点に集中させ硬化させた足で繰り出された蹴りを後頭部に受けて昏倒したのは一生の不覚にして、最上の判断でもあったのだ。シャローンには感謝している。

「魔王のツガイだと知られたら、トワイライト帝国だけでなく、王国内の不穏分子にも狙われるようになるからな……」

 あの幼く、愛らしい少女の笑顔を曇らせるような真似は決してしたくない。

 それに今は『満月の魔力』のおかげで獣人化しているが、元の姿は可愛らしい子猫なのだ。


 そう、魔王アーダルベルトの運命の相手は──……

「それにしても、相手が悪い。最悪だ。なぜ、魔王である私の宿敵、勇者がツガイ相手なのだ……!」


 異世界から召喚された、今代の勇者は人間ではない。

 どうやら中身は人の魂を持っているようだが、肉体は獣だ。それも、おそらくは最弱のスライムにさえ勝てそうにない、ふわふわの頼りない愛玩動物──猫だ。

しかも生まれたばかり。生後一ヶ月の赤ちゃんである。好物はホットミルク。かわいい。

 その勇者が此度の満月の折に、獣人姿に変化した。

 魔力が大いに満ちる、満月の夜にだけ、勇者は子猫から姿を変えることができるようだった。

 それはいい。特に問題はない。問題であったのは、獣人姿になった勇者を目にした途端、アーダルベルトが魅了されたのだ。

 抗いがたい独占欲に戸惑い、どうにか踏みとどまろうとしたが、その香りの前に、彼の理性は呆気なく蒸発してしまった。気が付けば、まだ幼くいとけない少女を強く抱きしめて、その細い首筋に牙を立てようとしていた──

 どうにか、シャローンのおかげで『マーキング』はせずに済んだが、油断するとまた襲ってしまうかもしれない。


 そう危惧したアーダルベルトは自主的に、愛しい少女から距離を置いた。

 具体的に言うと、満月の期間が終わるまでの間は離れておくことにしたのである。

 夜、一緒のベッドに入って眠ることも禁止され、多忙な執務中の唯一の癒しだった執務室で過ごすことも却下。もちろん、食事を手ずから与えることもできなくなった。

 おかげで魔王アーダルベルトの精神は闇落ち寸前だ。


 可愛い子猫と遊ぶ暇がないので、仕事ははかどった。仕事だけは捗っているが、迷惑なのはその周囲にいる者たちだった。

 癒しの存在が膝にいないため、魔王のストレスが凄まじい。

 禁断症状のように手が震えて足が小刻みにビートを刻む。賢者がいたら「貧乏ゆすりだね」と指摘したことだろう。

 苛々する気持ちが漏れ出す魔力にも影響を与えて、耐性のない文官がその刺々しい魔力に当てられて何人も卒倒する羽目になったらしい。

 耐性のあるエルフの宰相テオドールでさえ、端正な眉を顰めて苦言を呈したほどだ。


「魔王陛下。少しは落ち着いてください」

「落ち着いているが?」

「どこがです。冷静になれと言っているのですよ」

「これ以上にないほど、冷静だが?」

「……まったく、まさかこれほどに影響があるとは」

 はぁ、と嘆息するテオドール。

 自分では至極冷静であると思い込んでいるアーダルベルトは無意識に片手を膝の上に這わせていた。……いない。あの、ふわふわの素晴らしい手触りの毛並みがないと、とてつもなく寂しい。

 魔王の眉間のシワが深くなったことに気付いたテオドールは慌てて【アイテムボックス】から、母に託されたものを取り出した。

「アーダルベルトさま、これを」

 子猫のぬくもりを求めてさまよう手に、そっと握らせてやる。

「む……! これは……」

「母が縫った、ぬいぐるみです」

「ぬいぐるみ」

 それは、羊毛で作られたトラのぬいぐるみだった。

 残念ながら、子猫ではないし、手触りもあまり良くはなかったが、何もないよりは断然いい。

 アーダルベルトはそっとトラのぬいぐるみを抱き締めた。とても落ち着く。本物でないのが残念だが、ささくれだった気持ちがほんの少しだけ癒された気がする。

「…………まさか、本当に効果があるとは」

 真顔の母親に「いざとなったら使うように」と手渡されていたトラのぬいぐるみに、これほどの効果があるとは思いもしなかったテオドールだった。


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