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第11話 魔王の戸惑い2

◆◇◆


 食事を与えるにあたって、魔王の【鑑定眼】スキルが大いに役立った。

 まずは勇者ミヤのステータスを再確認し、詳細を鑑定していく。異世界の生き物なのだ。この国の食べ物が子猫には毒になってしまうかもしれない。

 それは困る。とても困るので、細心の注意を払って、勇者の体質を鑑定した。

 結果、彼女には【毒耐性】スキルがあるため、たいていの食材は食べられることが判明。


 厨房を預かる料理長もほっと安堵のため息を吐いていた。

 食事のメニューは侍女長シャローンと料理長が頭を突き合わせて真剣に協議した結果、まだ生後一ヶ月の赤ちゃんということで、食べやすいように消化の良い食材を柔らかく煮込んで提供することになった。


「いわゆる、離乳食というものです」

「離乳食。乳のあとに食わせる、どろどろの食い物だな?」

「アーダルベルトさま。その言い方だと、とても不味そうですわ?」

 にこり、と微笑んで注意をされた。素直に謝っておく。目が笑っていない侍女長はとても怖い。

「肉食の獣人の皆さまは、わりとすぐにお肉を食べられますが、ミヤさまの場合は……」

「なんだ? 猫という動物は、獅子族や虎族と祖先が近いらしいと賢者から報告があったが、肉は食えないのか?」

「いいえ。おそらく、お肉は好まれると思われます。先程、食材をお見せしたところ、コカトリス肉を嬉しそうに眺めておられましたから」

「なら、なぜ……」

「アーダルベルトさま。こちらをご覧ください」

「む?」

「ミヤさま、失礼しますわね」

「んにゃ?」

 身を屈めた侍女長が子猫を抱き上げて、己の膝の上に乗せた。

 そして、一言断ると、指先で小さな口を開かせた。突然の暴挙に、空色の瞳が真ん丸になる。

「ほら、ここ。見てくださいな。この、小さくて頼りない牙を」

「なんだと? これが、牙……だと……!」


 アーダルベルトはひゅっと息を呑んだ。

 侍女長が指先で示して見せたのは、穀物のタネほどの小さな白い粒。そう、粒だ。あんなものが牙だとは、とても思えない。

 それほどに小さくて頼りない牙だった。


「ええ、牙ですわ。まごうかたなき、立派な……その、お可愛らしい牙です」

「牙……」

 ショックのあまり、アーダルベルトは足元が揺らぐような気持ちになった。

 こんなに小さな牙で、勇者は何ができるというのか。

 攻撃どころか、まともに肉を引き裂いて食らうことさえ無理に決まっている。

「同じ生後一ヶ月でも、そこらの森で跳ねているホーンラビットの方がよほど鋭い牙を持っているのではないか……?」

「ええ、ええ。その通りですわ。なので、ミヤさまはまだ私たちと同じような食事は無理なのです。なので、料理長には離乳食を用意させております」

「なるほど、よく分かった。この牙なら仕方あるまい」


 この牙この牙と、バカにされたように思ったのだろうか。

 ようやく侍女長の手から解放された子猫はぷんすか怒りながら、アーダルベルトの手にじゃれついてきた。本人的には怒りのあまりの攻撃のようだが、そんなことをしても可愛いだけである。

(牙もそうだが、この爪も小さくて細いな……)

 子猫はアーダルベルトの掌と同じくらいの大きさだ。獲物としてもちょうど良い大きさだと思ったのか。彼の膝の上で転がりながら、四肢でしがみついてきた。

 アーダルベルトの手を逃さないように前脚で押さえ込みながら、あぐあぐと指先に嚙みついている。ついでに、後ろ脚で手首の辺りを蹴り上げてきた。

 あぐあぐ、けりけり。ドヤ顔でアーダルベルトを見上げながらの、ささやかな攻撃である。

 あいにく痛くも痒くもない──いや、ちょっとだけ痒かったかもしれない。

 魔王の強靭な皮膚は、生後一ヶ月の子猫の牙も爪も、それこそタンポポの綿毛レベルの感触だとしか認識しなかったので。


「ああ……っ…なんて、愛らしいの……」

 感極まったように叫ぶ、侍女長。理知的でクールないつもの様子はどこへやら。

 すっかり、子猫姿の勇者に魅了されているようだった。おそるべし、勇者。

(まぁ、この歴代最強の魔王と謳われる私でさえ魅了する勇者であるからな。仕方あるまい)


 やがて、やたらと硬い魔王の指先をむのに子猫が飽きた頃。

「お待たせいたしました。お食事でございます」

 料理長が直々にワゴンを押してダイニングルームへやってきた。勇者お待ちかねの「ごはん」である。

 まずは王城の主たるアーダルベルトの皿をメイドが整然と並べていく。

 帝国貴族は一皿ずつ、もったいぶって提供するらしいが、無駄を嫌う魔王の命でデザート以外は一度に持ってこさせている。

 前菜にスープ、サラダ。肉料理に魚料理、焼き立てのパンなど。どれも一流の素材を使った見事な料理だ。

 うむ、とアーダルベルトが軽く顎を引くと、メイドの代わりに料理長が恭しく小皿を掲げ持ってきた。スープボウルによく似た、深皿だ。ほんのりと甘い匂いがする。

「こちらがミヤさまのお食事です。お飲み物と柔らかくした肉料理をお持ちしました。お口に合わないようでしたら、また別の素材でお食事を用意いたします」

「ふむ。面倒を掛けるな」

「滅相もございません」

 料理長は退室する前に素早く視線を走らせて、魔王の膝の上に座る子猫を眺めると、にこにこと微笑みながらキッチンへと戻っていった。

 どうやら、勇者を見たくて、わざわざ多忙な彼がワゴンを運んできたようだ。

 いつもの給仕係のメイドたちが困惑しつつも、壁際に待機している。彼女たちの視線もアーダルベルトの膝にちょこんと腰掛ける小さな生き物に釘付けだ。

 侍女長が静かに魔王の背後に立ち、グラスにワインを注ぐ。血のように赤い、辛口のワインだ。まずは一口、唇を湿らせると前菜にフォークを伸ばした。スライムゼリーを使った美しい一品である。薄赤色の肉と鮮やかな緑の野菜が目を引く。味もいい。

 スープは干し肉と細かく刻まれた野菜をたっぷりと煮込んだもので、滋味豊かな味わいをしており、これもまた美味しい。


 次はメインの肉料理だ。フォークとナイフを手にしたところで、とても鋭い視線を感じた。

「……む?」

 視線の主を見下ろすと、膝の上の勇者が恨めしそうにこちらをじっとりと睨み付けていた。

「どうした。腹が減っているのだろう。目の前の食事を食べるといい」

 膝の上の子猫のすぐ前に、彼女の食事の皿も置いてやっているのだ。料理長曰くの「お飲み物と柔らかくした肉料理」の皿がそれぞれ並べられている。

 だが、そう告げると、彼女は途方に暮れた様子でテーブルの上とアーダルベルトを交互に見やった。

 何が言いたいのだろうか。アーダルベルトが戸惑っていると、侍女長がこほん、と咳払いした。

「失礼。……アーダルベルトさま、それだとミヤさまには届きませんよ?」

「届かない……」

「はい。ミヤさまはとても小さくていらっしゃるので、無理ですわね」

 どうにか前脚を伸ばしても、かろうじて爪先がテーブルに触れるか触れないか、の距離だったようだ。

 これでは確かに、自力で食べられそうにない。

「なので、ここは僭越せんえつながら、この私が……」

 笑顔で立候補する侍女長。既に手には小さなスプーンを握り締めている。

「ずるいですー! シャローンさま、私もミヤさまに食べさせてさしあげたいです!」

「そうですよ! 私なんて、お風呂係もできなかったんですよ? なので、ここはぜひ私に給仕係をお命じください、陛下!」

 壁際に控えていたはずのメイドたちまでもが、次々に挙手を始めた。

 それほどまでに、この子猫の面倒を見たいのか。

 そう考えると、途端に彼女たちに勇者を託すのが惜しくなってきた。


「いや、勇者には私が食わせてやろう」

「陛下がっ!?」

「そんな、アーダルベルトさま手ずから……?」

「うむ。勇者は私の客人だからな。その匙で食わせればいいのだな?」

「あ、はい。どうぞ……」


 侍女長からスプーンを奪い取ると、アーダルベルトはさっそく膝の上の子猫に深皿入りの飲み物を飲ませてやることにした。

 香りから、それがミルクであることは分かる。スプーンにすくって、口元に運んでやると、勇者は目を輝かせた。飛び付くようにして顔を近付けて、なぜか慌てて飛び退いた。

「? どうした、勇者よ。これに毒は入っておらん」

 ぷるるっと首を振って悲しそうにこちらを見上げてくる。

 困惑していると、侍女長が助け舟を出してくれた。

「アーダルベルトさま。おそらくは、熱すぎたのでしょう。ふうふうして差し上げてください」

「ふうふう」

「はい。息を吹き掛けて冷やしてから、飲ませてください」

 戸惑うアーダルベルトに分かりやすいよう説明する侍女長。

 メイドたちは密かに笑いを噛み殺していた。妖艶な美貌の持ち主である、自慢の魔王が真顔で「ふうふう」と口にしたことが、おかしくてたまらないのだ。

 当の魔王は彼女たちの様子には気付かず、元乳母の言葉に、素直に頷いている。

「分かった」

 白い液体をスプーンですくうと、なるべく細い息で冷やしてやった。

 どれほど熱いものなのか、とこっそり鑑定してみたが、全然熱くない。【熱耐性】持ちのアーダルベルトには、ぬるま湯と変わらぬ温度だった。こんなに温くても火傷しそうなほどに、この勇者はか弱い存在なのだとあらためて認識する。


「ほら、もう冷えたぞ。食え」

「にゃっ」

 何やら律儀に鳴いて返事をすると、子猫はそうっとスプーンに顔を寄せた。

 おそるおそる舌を這わせて、大丈夫だと理解したのだろう。途端に物凄い勢いで飲み始めた。

「待て、落ち着け。急ぎ過ぎるとむせるぞ」

 慌ててスプーンを下げると、子猫はぴいぴいと泣き叫んだ。言葉は分からないが、何を言いたいかはさすがに分かる。

 アーダルベルトは大急ぎで、おかわりを口元に運んでやった。

 ぴちゃぴちゃと舐めては、うっとりと瞳を細めている様子から、この皿の中身はよほど口に合ったのだろう。



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