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第9話 意外と快適なようです3

(久しぶりにモツ料理が食べたくなったかも……)


 節約料理に思いを馳せていると、途端にお腹が空いてきた。

 そろそろ起きよう。朝ごはんが待っている。

 閉じようとする目をどうにか叱咤して、美夜はのそりと起き上がった。

 ふわゎ、とあくびをして、周囲を見渡す。ふかふかのお布団に清潔なシーツ。上を見上げると、何やら絵が描かれている。


(これはもしや天蓋てんがいというやつでは?)


 木製の木枠で囲まれたベッドの天井には豪奢な宗教画のようなものが刻まれていた。

 そして、ベッドを覆い隠すように綺麗なカーテンが垂らされている。繊細に編まれたレースのカーテン。これ一枚でどれほどの価値があるのか。


(爪を引っ掛けても、弁償できないから気を付けよう……)


 こくり、と喉を鳴らしながら、美夜はそうっとカーテンから離れた。

 そうして何気なく反対側に目をやって、思わず「みゃっ」と声を出してしまう。


(な、なんで隣に魔王がいるの!)


 背中側には、ふかふかの枕に頭を沈ませた、美貌の魔王が眠っていたのである。

 今更ながら気付いたのだが、どうやら自分は彼の腕枕で眠っていた恐れが濃厚だった。

 なぜなら、魔王の逞しい片腕が伸ばされており、子猫を囲むように寄り添われていたので。


(全然、気付かなかった! ふかふかのお布団が温かくて気持ちよくて……あたたかくて……もしや、魔王が温めてくれていたの? え、優しい)


 美夜は面食いでもなんでもないが、無償の優しさには弱い。

 思わず、眠る魔王の横顔を熱心に見つめてしまう。


(あらためて眺めても、めったにいない美形ね、魔王)


 紫を帯びた黒髪はさらさらだ。人間であった頃の美夜も黒髪ストレートだったが、寝相が悪いので、起きるといつも爆発していた。鳥の巣だと姉にはよく笑われたものである。

 だが、この腰まである長髪の持ち主はいったいどんな魔法を使っているのだろうか。まったく絡まった様子もなく、さらりとシーツに散らばっている。

 吸い込まれそうに深くて神秘的な紫水晶アメジストの双眸は、今は目蓋の裏に隠れているが、その瞳を彩る睫毛はとんでもなく長い。白皙の頬に影が落ちるほど濃くて、とても羨ましい。

 鼻筋はすっと通っており、硬く引き結ばれた唇は薄い。が、どのパーツも信じられないくらいに完成度が高かった。


(完璧な素材を最上の位置に配置した、まさに神の御業みわざとも言うべき、極上の美貌ね)


 ここまで美しいと、むしろ芸術品を鑑賞している気分になってくる。

 ずっと眺めていても飽きそうにない──などと考えたのは、ほんの一分ほど。

 きゅう、と情けない音が腹から響いてきた。お腹の虫が切なく鳴いている。昨夜、あれほどたらふく食べたのに、もう空腹を訴えてきているのだ。燃費が悪いにもほどがあるのではないか。


「にゃ……」


 ごはん。小さな子猫の頭の中が、その一言で飽和しそう。

 お腹が空いた。お腹が空いたのだ!


「にゃー!」


 我慢ができなくなった美夜は、眠る魔王の顔面にダイブした。


「ぶっ! な、なにが……勇者っ?」


 突然、顔面に降ってきた子猫に驚いて、魔王が飛び起きた。

 にゃーにゃー鳴きながら、顔にしがみついてくる小さな子猫をどうにか剥がすと、魔王は呆然と呟いた。


「いったい、何が……」

「ごあーん!」

「…………飯か」


 イケメンよりもご飯です。

 懸命に訴える美夜の様子から、切迫さが伝わったのか。

 魔王はため息を吐くと、寝台横の棚に置かれていたベルを鳴らした。ちりん。涼やかな音が響くと、二十秒ほどで寝室のドアがノックされた。


「入れ」

「失礼致します、アーダルベルトさま」


 楚々とした様子で入室してきたのは、侍女長だ。

 気だるげに身を起こした魔王と、その片腕に収まる子猫を目にして「あら」と口元を綻ばせている。


「よく眠れたようですわね」

「猫とは存外にぬくい生き物のようだ」

「まぁ、羨ましい」

「羨ましいか? 昨夜は動き回る勇者を踏み潰さないか、心配でなかなか寝付けなかったぞ」


 それは申し訳ない。

 美夜は肩を竦めつつ、ごめんねと鳴いた。


「なあん」

「何だ、しおらしい。一応、気にしていたのか、勇者よ」


 昔から、寝相だけは悪いのだ。

 くく、と魔王が喉の奥を震わせるようにして、低く笑う。


「腹がへったとうるさくてたまらん。朝食の用意を頼む」

「かしこまりました」


 ごはん!

 食事を用意してくれると聞いて、美夜は途端に顔を上げて元気よく鳴いた。


「にゃああん!」

「まぁ、お可愛らしいこと」

「うむ! いや、その何だ……」


 咄嗟に頷いて同意を示してしまった魔王が慌てて、首を振る。

 あらあらまぁまぁと侍女長が生温い眼差しを投げ掛けてくるのを、魔王は咳払いでごまかした。


「早急に準備をするように」

「仰せのままに」


 完璧な微笑を閃かせて、侍女長が優雅な所作で部屋を辞した。


「はー……」


 大きな寝台に腰かけたまま、肩を落としてため息を吐く魔王。朝から疲れているようだ。

 天敵から一転、小さくて弱々しい子猫の保護者と化した彼を慰めるために、美夜はそっと男に寄り添ってやることにした。

 分厚い膝に頑張ってよじ登る。小さな爪を立てつつ、そっと後ろ脚で立ち上がった。


「にゃあ?」


 魔王、大丈夫?

 顔を覗き込んで尋ねると、魔王は端正な顔に微苦笑を浮かべた。


「何だ、勇者。この私を心配しているのか?」

「にゃっ!」


 命綱だからね、当然だよ!

 それはそれとして、昨夜は美味しいご飯と素晴らしい寝床を提供してくれた感謝の気持ちを伝えるべく、美夜は魔王の鼻先に己の鼻をちょん、と触れ合わせてやった。


(お鼻ちょん、は猫の親愛のしるしって聞いたことがあるし!)


 自信満々のお礼は、少しばかりサービスが過ぎたようだ。

 魔王は再び顔面を両手で押さえて、低く呻き声を上げ始めてしまった。

 血の匂いに戸惑いつつ、美夜はこてんと小首を傾げてみせた。


(魔王、レバー食べる?)




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