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第8話 意外と快適なようです2

 豪奢な椅子に座っている魔王に、エルフの侍女長は笑顔で美夜を差し出した。


「アーダルベルトさま、とても良い子ちゃんでしたので、この子を褒めて差し上げてくださいね?」

「な、なに。褒めるのか? この、私が?」

「はい。お湯から逃げませんでしたし、私たちを噛もうとしたり、爪を立てることもありませんでしたわ」


 優しくて素晴らしい子でしょう? と笑顔の侍女長。押しが強い。


(まぁ、中身が人間だからね)


 侍女長に促され、魔王は小さく咳払いをした。


(え? 本気で褒めるつもり?)


手渡された子猫に向かい、魔王は生真面目な表情で口を開く。


「さすが勇者、我が宿敵よ」

「アーダルベルトさま! もっと優しく、笑顔で!」

「なんだと。なぜ、笑顔」

「ミヤさまが怯えてしまわれます!」

「そ、それはいかん。分かった」


 口角を上げてどうにか笑顔らしきものを作る魔王アーダルベルト。

 だが、アウトだ。これは酷すぎる。

 無理やりに引き上げた口角は引きっており、かっ広げられた切れ長の目は充血していた。とても怖い。典型的な悪役の哄笑スタイル、そのものだ。このまま頭から喰われそうだと思う。


「さすが勇者、我がしゅ、」


 しかも、また同じ文言。侍女長の額に青筋が浮かんでくる。こっちの方が怖い。

 面倒になった美夜は、魔王の腕の中から伸び上がった。後ろ脚で立ち上がり、短いあんよを精一杯伸ばして、邪魔なお口を封じてやる。えいっ。


「ふっ、む」


 成功だ。余計な一言で、仕事のできる綺麗なお姉さんを怒らせるのは得策ではない。

 黙ってな、お嬢ちゃん。そんな気分で魔王の口を閉じさせてやった。

 肉球に触れる唇の感触が生々しい。だけど、宿敵とか呼ばれるのは勘弁して欲しかったのだ。


(そんな呼び方が定着したら、魔王に可愛く甘えて飼い猫になっちゃうぞ作戦が失敗しちゃうかもしれないじゃない!)


 肉球で押さえ込んだ唇が小刻みに震えている。

 なんだろう、と覗き込んだ魔王の頬がほんのり桜色に染まっていた。まるで乙女だ。

 わりと既にメロメロになっている気がしないでもないが──


「みゃああああん?」


 美夜はしっかりと手応えを感じながらも、追撃を怠らなかった。

 保護欲を刺激すると噂の、消え入りそうな声音で魔王に向かって愛らしく鳴いてみせる。

 途端に、動揺したように視線を揺らす魔王。ちょろい。

 お風呂で綺麗に洗ってもらったおかげで、気分はとてもいい。だが、おかげでもうひとつの欲が我慢できないほどに育ってしまったのだ。

 きゅう。愛らしい音が室内に響く。小動物の鳴き声ではない。子猫のお腹の音だ。


(お腹が空いて、死にそう!)


 そういえば、美夜は夕食もまだ食べていない。

 バイト先から帰宅してから、いつもあり合わせのものでお腹を満たすのがルーティンだった。召喚の儀式に巻き込まれて、夕食を食べ損ねているので空腹なのは仕方ない。

 それに、この肉体の持ち主である子猫も生粋の野良育ち。いつもお腹を空かせていた子なのだ。

 きゅうきゅうと可愛らしい音を立てる子猫のぺったんこのお腹に、口を塞がれて呆然としていた魔王の視線が向けられる。

 美夜はここぞとばかりに訴えた。


「ごあああん」


 ご飯ください、と。


◆◇◆


 歴代最強とエルフメイドさんたちが自慢する魔王アーダルベルトは珍しい【鑑定眼】スキル持ちらしい。

 どうして、自分の名前が「ミヤ」であることを魔王城の皆が知っているのか不思議だったのだが、それはこの【鑑定眼】のおかげだとか。

 鑑定スキルは優秀で、対象人物のステータスはもちろん、無機物も詳細を知ることができるらしい。とても便利だ。おかげで、ミヤは美味しい夕食を堪能できている。


「ミヤさまが【毒耐性】持ちで良かったですわ」

「ええ。種族によっては、私たちの食べ物が猛毒になってしまうこともありますもの」


 メイドたちが恐ろしげに身を震わせている。

 そんなに物騒な食べ物が異世界にはあるのか、とミヤも震撼した。


「そうね。でも、ミヤさまは平気らしいから、私たちと同じ食事を楽しめますわ」

「ええ、そうですわね。ただし、幼いミヤさまには柔らかい食事が必要だと、シャローンさまが仰っていたわ」

「さすが、博識でいらっしゃるわ。魔王さまの乳母ですものね」


 ほうほう。ミヤは三角の猫耳を揺らしながら、しっかりと聞き耳を立てる。

 あの侍女長はシャローンという名前で、そして魔王の乳母らしい。だからあの恐ろしげな魔王にもはっきりと意見を通せるのか。


(侍女長さんだけは怒らせないようにしておかないと)


 心のメモ帳にしっかりと書き記しておく。

 あの魔王さえ頭が上がらない権力者なのだ。彼女の前では子猫を被りきらなければ。

 それはそれとして、魔王城で用意された食事が美味しくてたまらない。せっせと口元に運ばれるスプーンの中身に舌を這わせて、ミヤは美味しさに身悶えする。

 魔王が壁際に控えるメイドに尋ねた。


「これは何だ?」

「まだ幼い子ですので、山羊ミルクです」

「それと、コカトリス肉を茹でてほぐした物を用意しましたわ」

「にゃああん」


 ごはんごはん! 美夜は愛らしい声音でおかわりをねだった。

 慌てて、魔王がスプーンを差し出してくる。美夜は魔王の膝の上で、ぱかりと口を開いて待機。

 ハチミツがひとさじ投入されたホット山羊ミルクを、魔王アーダルベルトがぎこちない手つきで飲ませてくれる。スプーンですくい、口元まで運んでくれる甲斐甲斐しさだ。

 空腹の美夜は遠慮なく飲み干した。濃厚なミルクとハチミツの甘さが絶品だ。これは止まらない。

 物凄い勢いでピチャピチャとミルクを舐め取る様子を魔王が「おお……!」と感嘆のため息と共に眺めている。

 ミルクの次は鶏肉だ。聞いたことのない種類の鶏肉だが、ササミっぽくて良い匂いがする。

 こちらも魔王さま直々に口元まで運んでくれた。ササミといえば、上手に調理しなければパサパサとした微妙な食感になりやすいが、これはとてもジューシー。

 柔らかいのに、旨味が凝縮されており、ジュレのよう。夢中で食べた。


「うみゃいうみゃい」


 もぐもぐ食べながら、そう訴えると、魔王が驚愕している。


「旨いと言っているぞ⁉︎」


 魔王、うるさい。耳元で叫ばないでほしい。

 騒ぐ男を無視して、美夜は茹でた鶏肉を夢中で咀嚼した。細かくほぐしてくれているため、食べやすい。味付けは薄めだけど、そのおかげで素材の味の良さがダイレクトに伝わってくる。

 貧乏飯に慣れてはいるが、かろうじて貧乏舌ではないのだ。


(これはとってもお高い素材の味! おいしい!)


 お腹がいっぱいになって、満ち足りた気持ちで美夜は顔を洗う。


「ふにゃあ」


 気の抜けたあくびがもれる。

 あれだけ眠ったのに、お腹がいっぱいになると、またすぐに眠くなるのは子猫の肉体だからだろうか。

 重い頭がふらふら揺れ始めるのを、魔王がハラハラとしながら見守っている。

 ゆらり、と揺れてそのまま地面に倒れそうなところを、魔王の大きなてのひらが受け止めてくれた気がするが、美夜の意識は既に夢の中だった。


◆◇◆


 目が覚めると、巨大な寝台の上にいた。


(うむ。今日も知らない天井だね。ここはどこ?)


 あまりにも寝心地が良すぎて、昨夜は一度も目を覚まさなかった。

 最後の記憶を遡って、思い出したのは美味しい夕食。


(そうそう、魔王の膝に座って、ご飯を食べたんだった!)


 ハチミツ入りのホットミルクが素晴らしく美味だったことを思い出す。山羊ミルクなんて高級品、日本では口にしたことさえない。少しクセがあると聞いたが、まったく気にならなかった。

 それと、鶏肉。おそらくは胸肉なのだろう。脂が少なく、むっちりとした食感をしたジューシーなお肉だったことを覚えている。あれも絶品だった。うっとりと瞳を細めた。


 鶏肉は低温でじっくりと過熱すると、柔らかな食感を楽しめる。

 貧乏な苦学生だった美夜はバイト代が入ると、業務用スーパーでお得な食材を買い溜めて、一ヶ月を生き抜いたので、よく知っていた。

 モモ肉は美味しいけれど、高い。なので、選ぶのは海外からの輸入肉。しかも、胸肉。皮の部分は栄養たっぷりで柔らかくて美味しいが、皮なしを選べば、もっと安く手に入る。

 安いといえば、鶏ガラだ。あれもとてもお得な食材である。何といっても、良い出汁が取れるのだ。たっぷりの水と野菜くずと一緒に煮込むと、美味しいスープが作れる。

 滋味たっぷりの優しい鶏ガラスープだ。ガラにはほんの少し、肉が残っていることが多いので、そこも残さず、こそいで食べる。骨の周辺のお肉は意外と美味しい。

 硬くてパサパサだと不評な胸肉だって、片栗粉をはたいて低温で茹でると、しっとり柔らかに仕上がるのだ。水晶鶏すいしょうどり。素敵なネーミングだ。良質なたんぱく質も摂れて、しかも美味しい。

 鶏といえば、レバーも栄養たっぷりである。

 痩せ気味の美夜はよく貧血に悩まされていたが、鶏レバーを食べれば鉄分もばっちりだ。業務用スーパーでキロ単位の内臓を安く手に入れて、甘辛く煮付けると、ご馳走になる。

 見た目が悪いから嫌われがちだが、サプリなどよりよほど手軽で、しかも美味しい。最高だ。



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