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第7話 意外と快適なようです1

■ 第三章 意外と快適なようです


 バイト帰りに弱っていた子猫を拾ったところ、異世界に召喚された美夜は現在、魔王城で綺麗なお姉さんたちにちやほやされていた。

 勇者召喚の儀式とやらに巻き込まれてしまい、なぜか子猫の姿で異世界に放り出されてしまったところを、魔王に拾われたのだが──


(ん? 拾われた、で合っているよね? 浚われた、の間違い?)


 虜囚にしては待遇が良すぎるので、きっと『拾われた』が正しいのだと思う。

 この城の主である魔王は、侍女長と呼ばれていたエルフのお姉さんに美夜のお世話を命じてくれた。おかげで、今は美人なメイドさんたちにお風呂に入れてもらっている。


「はああん、かわいいでちゅねー」

「おとなしくていい子です」

「キレイキレイしましょうねぇ?」


 どのメイドさんたちも、長い耳の先が尖っている。ので、おそらくはエルフ。

 髪の色は金や銀、瞳の色はそれぞれ違うけれど、皆とびきりの美人だ。揃いのメイド服を身にまとっており、ちょっとしたハーレム気分が味わえる。ちやほやされているのは猫だけど。


 魔王さまに気に入られて、美夜の待遇は一気にVIP扱いだ。

 汚れた毛皮を気にした主人に命じられ、メイドたちがシャンプーをしてくれている。

 猫はお風呂が嫌いらしいが、美夜の中身は人間なのでむしろウェルカムだ。


(実は、自分でもちょっと匂いが気になっていたから、お風呂に入れて嬉しい……!)


 この肉体は生まれてからずっと野良暮らしだったため、こびりついた汚れは相当なもの。なかなか石鹸の泡が立たなかったし、何度もお湯を換えられた。ちょっとだけ恥ずかしい。

 丁寧にブラッシングして、灰色の毛皮を根気よく洗ってくれたメイドさんが優しく微笑んでくれた。


「うふふ。とっても綺麗になりましたよー?」

「こんなに真っ白の毛並みだったのですね。うふふ。愛らしいわ」

「本当! まるで、空を流れる綿雲のよう」


 鈴を転がすような笑い声と共に、そんな風に褒められてしまう。

 意外な反応に、美夜は耳をぴんと立てた。


(私の毛皮、白だったの? てっきり灰色猫だと思っていた)


 石鹸を洗い流して、柔らかなタオルで拭かれた美夜は、ぷるるっと身震いした。水飛沫がとびはねるが、濡れたメイドたちはきゃっきゃと喜んで、彼女を理不尽に怒ったりはしない。


(やさしい……。人間ができているわ。あ、エルフだっけ)


 もしも、これが自分の家族だったらと考えて、途端に嫌な気分を思い出してしまう。

 美夜は慌てて脳裏から家族の顔を追い出した。


(やめやめ! せっかく、あの家族と離れることができたのだもの。もっと楽しいことを考えなくちゃ!)


 異世界に召喚されたと理解してからも、美夜が比較的に落ち着いているのは、現実逃避に近いのかもしれない。

 あのまま日本で生活していたとしても、あまり良い未来は思い描けなかったからだ。


(家族仲はもともと良くなかったし、生活するためのバイトが忙しすぎて、大学に友人もいない)


 美夜が日本から消えたとしても、きっと誰も心配しない。しばらくは、彼女が失踪したことを誰も気付かない恐れさえある。

 バイト先から無断欠勤の問い合わせの電話くらいはあるかもしれないが、連絡が取れなければ、きっとそれ以上の追及はないだろう。

 バイトの学生は嫌になれば、すぐに辞めてしまう子が大勢いた。美夜もそんな一人だと解釈されるのは目に見えている。


(なんだか、寂しいな。私って、そのくらいの価値しかないって突きつけられているみたいで……)


 しょんぼりと肩を落としていると、優しく頭を撫でられた。


「にゃ?」


 顔を上げると、青みを帯びた銀髪のメイドさんが大切そうに美夜を抱き上げてくれた。


「濡れた身体を乾かしましょう」


 優しく、木製のスツールに座らせてくれる。お尻の下にはタオルが敷かれていた。


(ドライヤーでもしてくれるのかな?)


 おとなしく座っていると、メイドの手から温風が放たれた。


(魔法だ!)


 驚きに、目をぱちぱちと瞬かせてしまう。

 初めて見たが、これが魔法。美夜は目を輝かせて、メイドさんを見上げた。


(すごいわ。ファンタジー!)


 興奮のあまり、尻尾が左右に揺れてしまう。

 見守るメイドさんたちが、あらあらと微笑ましそうにこちらを見つめてくるのにも気付かず、美夜はうっとりと瞳を細めてその魔法に身を任せた。

 強すぎず、そして温かな風はとても気持ちがいい。

 濡れた毛皮を乾かす温風魔法を使うメイドさんと、もう一人のメイドさんがブラッシングをしてくれている。優しい手つきで、たまに喉元を撫でてくれながら宥めるようにお世話をされて、美夜は自然と喉を鳴らしていた。これはいい。とっても気持ちがいい。


(きっとエステって、こんな感じなんだろうなー。行ったことないけど)


 貧乏苦学生には無縁のお店だ。エステに行くお金があれば、美夜は米を買う。

 余ったお金で調味料と卵を買うのもいい。炊き立てご飯に新鮮な卵を割り入れて、お醤油をちょっと垂らして食べたい。なんて、贅沢!

 とはいえ、自分でお金を払うわけでもない、この子猫エステ。意外と悪くない。

 ちやほやされながら、優しく身体を洗ってくれて、マッサージまでしてくれるサービスっぷり。バスタブの湯加減もちょうど良かったし、石鹸はとてもいい香り。

 何より、綺麗なエルフのお姉さま方が「かわいいかわいい」と誉めそやしてくれるのだ。承認欲求が満たされまくる。


(ドライヤーの魔法がまた気持ちいいし……ふわぁ)


 あまりの気持ちよさに、つい目蓋が重くなってしまう。さっき、あれだけ眠ったばかりだというのに、子猫の身体はすぐに疲れてしまうのが難点だ。

 うとうとと微睡まどろんでいる間に、お手入れは済んだようだった。


「とっても綺麗ですよ、ミヤさま」


 スツールからそっと抱き上げられて、地面に降ろされる。

 地面とはいえ、そこは魔王城。ふかふかの絨毯がまるで草原のよう。

 美夜はよちよちと歩いて、鏡の前に立ってみた。

 綺麗に磨かれて汚れひとつない、ぴかぴかの鏡をそうっと覗き込む。


「みゃ?」


 そこにいたのは、白色の毛並みの愛らしい子猫だった。

 魔王の執務室の窓ガラスに映っていた、貧相な灰色猫の毛色とはまったく違う。


(あの灰色は汚れだったのね。だから学生にシロって呼ばれていたんだ……)


 ずっと不思議だった、学生たちの名付けに納得だ。うん、これならシロと名付けたくなるというもの。

 それにしても、我ながら綺麗な毛並みだった。

 魔法で乾かされた、ふかふかの毛皮に晴れた空の色をした、大きな瞳。ふさふさの長い尻尾がチャームポイントの愛らしい子猫姿を目にして、美夜は満足げに微笑んだ。


(ふふふ、このラブリーキュートな子猫姿で魔王をメロメロにしてやろう……!)


 ご機嫌で鏡の前でポーズを取っていると、ふいに抱き上げられた。


「にゃっ?」


 見知った顔だ。

 そう、魔王の執務室で出会った、侍女長さん。


「まぁ、ミヤさま。とても綺麗になりましたね。アーダルベルトさまもきっと満足されることでしょう」


 メイドとは違う、シンプルながら仕立てのいいドレス姿の侍女長に抱っこされ、恭しく魔王の元へと運ばれていく。うむ、よきにはからえ。

 浴場から魔王の執務室までは距離があるが、自分で歩くわけでもないので快適だ。抱き上げられているため、視界も良好。おかげで、城の中をじっくりと観察できた。

 ひときわ立派な重厚な扉を前に、エルフの女性が立ち止まる。

 一息をおいて、軽くノックをする。


「アーダルベルトさま。ミヤさまをお連れしました」

「入れ」


 ドア越しに響く、低く艶やかな声。魔王だ。

 不機嫌そうな声音を耳にして、自然と美夜の尻尾が揺れる。ちょっと怖い。

 腕の中の子猫が怯えていることに気付いた侍女長が宥めるように、優しく背を撫でてくれた。


「失礼します」


 凛とした声音でそう告げると、侍女長は執務室のドアを開けた。

 広々とした執務室の奥にあるデスクに、黒衣の男の姿がある。腰までの長さを誇る髪が邪魔なのか、後ろでひとつに括って、仕事中のようだ。

 デスクの上には羊皮紙の束が積み重なっている。物凄い量の書類仕事をこなしているようで、書類に目を通しては、流れるようにサインをしていた。


「ふみゃあ……」


 すごいなぁ、と思うと同時に気が抜けたような声が零れ落ちてしまう。

 と、先端が尖った魔王の耳がぴくりと揺れた。

 ゆっくりと端正な顔が上げられて、紫水晶アメジストのような双眸がひたりと美夜に向けられる。


(うん、何度見ても美形だわ。こんなに綺麗な顔をしている人、初めて見た)


 イケメンというよりも玲瓏とした美貌の持ち主、という表現が相応しい。

 最初に目にした時には妖艶とした恐ろしい魔王といったイメージがあったのだが、その後の反応から「妖艶」とか「恐ろしい」の形容詞はとりあえず引っ込めた美夜である。


「うふふ。見違えましたでしょう? とっても愛らしくて、驚きましたわ」


 軽やかに笑いながら、侍女長は腕の中の子猫をそっと魔王の方に差し出してみせた。

 綺麗に洗われた子猫の愛らしさに、魔王は再び「うぐぅ」と呻いた。

 玲瓏とした美貌の持ち主が出してはいけない声だと、美夜は真剣に思う。

 奇声は発するが、美貌が崩れないのはさすがと言うべきか。

 お風呂上りでふかふかのぴかぴかに磨き上げられた子猫姿の美夜は侍女長に運ばれて、魔王のもとへと連れていかれた。

 心の中でドナドナを歌う。気分は売られていく子牛である。



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