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第3話 勇者として召喚されたようです3

 視線を向けた先には、例の長身の男がいた。なぜだか、口元を片手で覆い、肩を震わせている。

 良く分からないが、こちらに何かをしてくる様子はないようなので、気にしないことにした。


(子猫の姿になってから、何だか楽観的になった気がするけれど、きっと気のせい)


 毛繕いをしながら、美夜はこっそりと男を観察する。恐ろしいほどに容貌が整った男だ。

 腰までの長さのある黒髪は紫を帯びており、切れ長の双眸は紫水晶アメジストにそっくりの神秘的な色を宿している。芸術的に整った美貌は暗い色彩を纏っているためか、どこか妖艶なイメージがあった。

 生きていくのに必死だった美夜は恋愛方面への興味が皆無で、ついでに面食いでもない。そんな美夜でさえ、見惚れてしまいそうな美貌の男の頭にはツノが二本、生えていた。


(メリノ種の羊の雄のツノに似ているかも)


 こっそり観察しての、感想だ。

 くるん、と巻き貝のように立派なホーンである。ちょっと触ってみたい。

 大きなツノの下にある耳はほんの少し尖って見えた。ファンタジー世界でよく見かけるアレである。エルフや吸血鬼の描写で見慣れた造形だ。ただし、長さは普通の人間と同じくらい。

 黒紫色の長髪イケメン大男はどうやら異形の存在であるようだった。


(どう見ても人間じゃないよね? 高レベルのコスプレイヤーとかでもないかぎり)


 それにこの男の声には聞き覚えがある。

 夢うつつの中で聞いた、あの老人が「魔王」と呼んだ相手の声だ。

 そして、この「魔王」とやらが自分を「勇者」と呼んでいるということは。


(……これは絶望的な状況では?)


 勇者などと誉めそやされたとしても、今の自分の姿は子猫なのだ。剣や魔法が使えるどころか、よちよち歩きだ。生きていくのも精一杯な、か弱く愛らしいだけの生き物でしかない。


(詰んだ…………)


 絶望のあまり、美夜は短い前脚でそっと両目を覆った。現実逃避ともいう。

 後ろ脚だけではバランスを保つことが難しい。そのまま、ぽてんと地面に転がってしまう。頭がやたらと大きいから仕方ない。


「みゃ」


 幸い、ふかふかの絨毯のおかげでダメージはなかった。だが、仰向けに転がってしまったせいで起き上がれない。太くて短い手足を動かして必死に立ち上がろうとする美夜だが、「ふぐううう」という奇声が聞こえてきて、動きを止めた。


「みゅう……?」


 なぁに? と背後に視線を向けると、アメジストの瞳と目が合った。

 美貌の魔王がなぜか顔を真っ赤にして口元を手で押さえている。その指の間から、たらりと滴る真っ赤な液体。子猫の嗅覚で、その正体にはすぐに気付いた。


(え、血が出てない? なんで? 鼻血?)


 唐突な流血沙汰に戸惑う美夜に向かい、美貌の魔王がびしっと指さしてくる。


「ききき、貴様! なんだ、その技は! 卑怯だぞ、そんな、そんな……けしからん格好で!」

「ピァ?」


 けしからん格好とは。美夜は大いに戸惑った。

 もしかして、この仰向けで起き上がれないでいる、不可抗力な姿勢のことだろうか。


「ぐはっ!」


 小首を傾げた美夜を目にして、魔王は再び悲鳴を上げた。

 口元を覆った指の隙間から、だばだばと鼻血が溢れ出している。とても怖い。いくらなんでも、それほど出血したら命の危険はないのだろうか、と心配になるほどで。

 とはいえ、百人中百人は振り返りそうな美貌の主が小さな子猫を前にして、鼻血の大出血サービス中なのはシュールな光景ではある。


(いくらイケメンでもこれはちょっと……)


 呆れたように男を見上げると、美夜はぽそりと鳴いた。


「みゅう(ひくわ)」

「よせ、なんだ、その気の抜けた声は! 魅了魔法か? けしからん! 小癪な!」


 魔法とか意味が分からない。

 でも、なぜだか美夜が何もしていないのに、この魔王は勝手にダメージを負っているように見える。


(もしかして、常時発動魔法みたいなものが発動しているとか?)


 魔法なんて見たこともないので、美夜には分からない。


「うっ……そんな、つぶらな目で見上げてくるな!」


 文句を言いつつも、どうやら魔王は子猫姿の美夜から視線が離せないようだった。

 魔王の目は潤み、白皙の頬は上気している。貧血症状は出ていないようで一安心だ。

 それはそれとして、こんな表情をした人をどこかで見たことがある気がする。


(あぁ、そうだ。推し活のために働いているのだと言っていた、バイト先の同僚だ)


 推しアイドルの動画を眺めながら、今の魔王と同じような表情をしていた──


(んん…? なんか、大丈夫そう……?)


 魔王が子猫である美夜を眺める視線に、嫌悪やら殺気などの悪感情は覚えない。

 推しを見る目とそっくりの眼差しを向けてくるということは、もしかして勝機があるのかもしれない。美夜は空色の瞳をきゅっと細めて思案する。


(試してみる価値はありそうよね!)


 頑張ったおかげで、どうにか身を起こすことができた美夜は、魔王の足元にぽてぽてと歩み寄った。そして、硬直したように立ち尽くす美貌の男をきゅるんとした表情で見上げてみた。


「みゃあああん?」


 思い切り甘えた声音でわざとらしく鳴いてみると、雷にでも撃たれたような表情でこちらを凝視してくる魔王。

 わきわきと指先をうごめかせている。動きは不気味だが、よく見れば怖くはない。あれは、きっとエアなでなで。直接、子猫を撫でる勇気がない魔王の欲望が無意識に両手を動かしているのだろう。

 美夜は確かな手応えを感じて、むふんと鼻を鳴らした。

 ちょろい。これでいいのか魔王。

 物欲しそうに、ふわふわの毛皮を見据える魔王の眼差しを目にして、勝利を確信する。


(よし、この作戦だね!)


 美夜はさっさと腹を括った。

 何の間違いか、どうも勇者として子猫の姿で異世界に召喚されてしまったようだが、天敵である魔王の元で生き残るために、全力で媚びてみせよう、と。


(そのためなら、かわいい子猫ちゃんのフリをするのも平気だもんね!)


 さっそく、その作戦を決行する。

 よちよち歩いて辿り着いた魔王の足元で、そのすらりと長い足に美夜は頬をすり寄せた。


「みゃお~ん」


 プライドなどクソ喰らえ。生き汚いのがモットーなのだ。

 見たところ、この魔王サマ、初めて目にした可愛い子猫ちゃんの姿に大いに戸惑っている。

 ちょっとした仕草にときめきまくっているのが見て取れた。

 猫には猫好きが分かるのだ。


(もうひと押しで堕ちる……!)


 本能でそれを確信した美夜は床に仰向けで転がり、ふわふわのお腹を魔王に披露した。


(ほらほら、魅惑のふわふわボディだよ? 撫でていいのよ?)


 小首を傾げて、上目遣いでもうひと鳴き。


「にゃおん?」 


 それが、トドメだった。


「…………ッ!」


 あっさりと、子猫の手管にやられた魔王は言葉もなく、その場で両膝をついた。

 美貌の魔王に無言で抱き上げられ、お腹に顔を突っ込まれた瞬間に美夜は「勝った……!」と可愛いらしい子猫姿でニヤリとほくそ笑んだのだった。




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