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第13話

 改札を出ると、目の前の風景の異様さに混乱してしまう。視界一面の、薄桃色。その正体は、桜である。小高くなった駅から、数メートル低い川沿いに植えられた桜は、ちょうど目線の高さ辺りで満開になっていた。

 朔は今、大阪にいる。降り立ったのは大阪有数の桜の名所。といっても、花見をしに来たわけではない。この春から大阪に異動となり、ここがオフィスの最寄り駅なのだ。

 駅および桜並木には人が溢れ、バーベキューの香ばしい匂いや、数々の屋台から食べ物の匂いが入り交じる。澄み切った青空にぽかぽか陽気も相まって、これから仕事に向かうのが馬鹿馬鹿しく思えてくるような、そんな光景。スーツ姿が場違いだと感じるほどに。


「今回の異動、自分から希望出したんだってな」

 最終出勤日のこと、なんと件の先輩からランチに誘われた。もちろんとてつもなく驚いたが、これが最後だと思うとこんな先輩でも少しばかり寂しくなり、誘いを受けた。

「はい」

「俺の顔見たくないからだろ」

「はは、それもあるかもしれないですね」

 先輩は憎々しげに舌打ちしたが、冗談だとわかっている上でのそれである。

 いつからだろう、こんな軽口をたたき合えるようになっていたのは。それはやはり、あの一件からに他ならない。

「……大阪にいるのか、例のあの」

「そう、です」

「そうか。住んでる場所も把握してるんだな」

「いいえ」

「そうか。まあ、あっちに行けば連絡すればいいし、サプライズにもなるし」

「連絡先も知りません」

「は? 大阪舐めてんのか? そんなんで再会できるわけないだろ」

 先輩の呆れ顔をよそに、朔は面白そうにふふっと笑った。そんな余裕綽々の笑みが憎らしく、先輩はあの約束を再び引っ張り出してきた。

「俺だってたまに大阪へ出張することもあるんだからな、そのときこそ紹介しろよ」

「無事巡り会えてたら、喜んで」

「お、どういう風の吹き回しだ、あんなに嫌がってたくせに」

「ですけど、その子、男ですよ」

「うん。男なあ。って、ええっ?!」

 そのときの先輩の顔が忘れられない。思い出してはまた笑ってしまう。


 陽気な人々の波をかき分け、目的地に到着した。今日から朔が働く場所である。高層ビルのワンフロアを借り切ったそのオフィスからは、先ほどの桜並木が見下ろせた。おびただしい数の人がうごめいている。その歩道脇を固める、終わりが見えないほどに並ぶ屋台の数々。

 ――彼は今もまだ、たこ焼きを焼いているのだろうか。

 思い出としてそっと胸のうちにしまっていた存在を思い出す。

「人すごいやろ。夏は夏で、大きな祭りの花火大会でごった返すねんで」

 ぼーっと窓の外を見ていたら、上司から声を掛けられてしまった。

「あ、すみませんつい」

 慌てて仕事に取りかかろうとしたが、かまへんかまへん、と笑顔で返され、ほっとした。


 忘れていたわけではない。諦めたわけでもない。そもそも大阪への異動だって朔から希望したことだ。けれど日々の生活に紛れてどんどん薄れつつあった太陽の顔、声、匂いの記憶が、いっぺんに朔の元に舞い戻ってきた。

 先輩が言った通り、大阪へ来たからと言ってすぐに見つかるはずがない。否、見つかるとは到底思えない。大阪といっても広いし、人も多い。たこ焼き屋をしていたのも人の代理だと言っていた。本職は知らない、名字も知らない。かつて太陽の想い人を捜した時より、無謀だ。

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