先輩からの呼び出しがかかったのは、その翌週のこと。
「聞いたことだいたいまとめて話してみたわ、たぶんこいつじゃないかって」
その言葉と共に手渡されたのは、会社のパンフレット。付箋が貼られたページを開くと、『先輩社員の声』というコーナーに何人かの社員の写真とコメントが載っていた。その中の一人に、蛍光マーカーで丸がついている。その顔は太陽が言っていた通り、細身で、派手なつくりではないけれど、温和そうで上品な顔立ち。間違いない。
「多分、この人だと思います」
写真の横には『国内営業 沢渡拓也』と書かれている。
「お、ビンゴか。あいつなかなか優秀だな」
先輩は見事探し当てた同級生に感心している。
「今どうされてるんですか、この人」
「去年の末に結婚して、今年度からはカナダに赴任したってさ。ついこないだ子どもも産まれたらしい」
「そう……ですか」
どうりで見かけなくなったわけだ。
「あんまり楽しい結果じゃなかったな」
少し同情を帯びた様子で先輩が言うので、朔は驚いた。
「その子に話すの、辛くないか」
「いえ、大丈夫です。ありがとうございます。それで、見返りの件ですが……」
「本気にしてたのか?」
ブハッと噴きだす先輩は、もういつもの先輩だ。
「チャラだよ。あの時のミスと」
「あっ」
「あの時は、悪かったな」
「……大丈夫です」
謝られたからと言って簡単に許せるほど寛大ではない朔だが、時間も経っているし、何より今回の件で世話になったのは間違いない。
「約束通り、その子紹介しろよ!」
「約束してませんって」
「最近あの子とよく一緒にいるよね? 妬けるな」
朔が去っていったあと、先輩に声をかけてきたのは同期入社の腐れ縁だ。
「気持ち悪いこと言うなって」
「でもホント、どっちかっていうとあの子のことあんまり好きじゃなかったでしょ? けっこういじめてなかった?」
「いじめ……ては、ない」
故意にいじめていたかどうかはさておき、あまり好きではない、という指摘はごもっともだった。飄々としていて何を考えているかわからない、いつも涼しい顔で澄ましている朔が気に入らないとは思っていた。しかし今回の件を持ちかけてきたときの朔は全くそうではなく切羽詰まっていて、なんとかどうにかならないかという熱い意志がひしひしと伝わってきたのだ。力を貸してやろうと思ったのは、その意外な熱意に柄にもなく心動かされたからだった。
これからは仕事でその熱意を見せてくれよ、と思いながら。
退社後はもちろん、パンフレットを手に太陽の屋台へ。
「あ、うわ……これ……うん……そう……この人……」
パンフレットを持つ太陽の手が震えている。再会の感動とも言えるその取り乱しように、これから告げなければならない真実を思うと、朔は気が重い。
「で? 今何したはるん?」
「去年の末に結婚して、今年度からはカナダに赴任したって」
できるだけ、感情を込めることなく、必要最低事項だけを告げた。
「……はは、そっか、そらあんな人、相手おって当たり前やんな、しかも海外かあ」
痛々しいほど空元気の太陽に、かける言葉が朔には見つからない。
「これですっきりさっぱり、大阪帰れる」
「……そう、だな」
「もう俺のたこ焼き食べられへんと思うと寂しい?」
重苦しい雰囲気を一掃するようにおどけた口調で太陽は言ったが、朔は答えずただ静かに笑みを浮かべた。