「お、無事定時で上がれてんな!」
終業のチャイムが鳴ると同時にオフィスを抜け出して待ち合わせ場所に到着すると、彼は当然もう先に着いていて、遠目からめざとく朔を見つけると嬉しそうに手を振っている。いつも結わえている髪は自然に下ろしていて、白のTシャツに赤エプロンのいでたちは黒のTシャツに替わっただけであったが――
「そのシャツ!」
「さすが!」
その黒Tシャツはエリダヌスがメジャーデビューしたときの記念ツアーで販売されたツアーグッズだ。
「けっこう古株なんだ」
「せやで。わかるってことはそっちも相当……ってか、名前教えて?」
今更ながら、互いに名前も知らないことに気づく。客と店主の関係では特に不便がなかったが、こうして一個人同士として話すには不便である。
「俺は太陽っていうねん。おひさんの太陽」
その名を聞いて朔は思わず噴きだした。
「人の名前聞いて笑うとは失礼なやっちゃな!」
太陽は憤慨している。朔はなおも笑いながら謝った。
「ごめ、いや、その、イメージまんまだなって」
赤々とした明かりが灯る屋台、その中でさらなる光を照らすかのように存在する彼は、まさしく『太陽』だな、と思ったのだった。
「自分は」
「ん?」
「名前」
「ああ、俺は朔。萩原朔太郎の」
「かっこええな! なんやヴィジュアル系バンドのメンバーみたいやな」
「名前負けしてるのは自覚してるよ」
「いや、似合ってるんちゃう、仄暗い感じが」
「そっちもたいがいひどいな」
「うそうそごめんて。あれやろ、新月」
朔とは新月と同義。意外と物知りだなと思いつつも、なおいじけたそぶりで反撃する。
「陰気なのは変わらない」
新月とは月と太陽が重なって月が見えない日、つまり真っ暗。そこになぞらえた自虐ネタである。
「そういう意味やないって! 真っ暗って、なんか落ち着くやん」
それはつまり、朔といると落ち着くという意味なのか。一瞬そんなことを思ったが、そんなわけない、飛躍しすぎだ、と打ち消した。
「月も太陽もどっちもまん丸でええやん、たこ焼きみたいで」
「ロマンぶち壊しだな」
そんな名前トークをしている間に電車に乗り、目的の駅に着き、降車し、気づけば会場の前まで来ていた。
「わああ、ここか! やっぱりでっかいなー」
すっかりおのぼりさんよろしく、太陽は忙しく会場の全貌や周囲の風景を写真に収めている。駅から会場へと続く街路樹は新緑が眩しく、歩いていると少し汗ばむ。周りにはさまざまな時代のツアーTシャツを着た人でいっぱいだ。気持ちの良い季候も手伝って、朔の中で、じわじわとライブ前の高揚感が湧き上がってくる。