「駅の向こうに出てる屋台のたこ焼き、食ったことある?」
社内でそんな声が聞こえてきたものだから、朔は思わず聞き耳を立てた。
「あるある! たこ焼きってけっこう美味しいんだね」
「この辺ってなかなかたこ焼き屋さんなんかないから、こんな手軽に買えて嬉しいんだよね」
駅の反対側に出ているというのに、案外知っている者は多いようだ。
「それに店の子イケメンだしね」
「あんたまたそれ?」
ああ、やっぱり彼はイケメンの部類に入るのか。しかしイケメンと言うよりは、そこらの女の子よりずっとーー
「ちょっと」
「はいっ」
「最近ぼーっとしすぎじゃないか? 昨日言っておいた見積もり、送っといてくれた?」
「あ、すみません……」
ぼーっとしすぎていると言うなら、それが始まったのはお前が俺にミスを擦り付けたあの日からだよ、そう言いたいのをぐっと堪えた。
二年先輩のこの男は、上にはヘコヘコして下には横柄な、器が小さくつまらない男だ。苛立ちを隠しながら、慌てて仕事に取り掛かった。
三日続けては怪しい、そう思っていたはずなのに。
「いらっしゃい! もうすっかりウチのたこ焼きのファンやな」
気づけば、来てしまっていた。
「今日はポン酢で」
「せやな、そろそろさっぱりも試して欲しかったとこや」
その店のたこ焼きの種類は、醤油・ソース・柚子ポン酢・塩マヨネーズ・明太マヨネーズの五種類。とにかく全種類を制覇するまでは、来店の口実がある。今日で三つ目。
「もともとたこ焼き好きなん?」
「いや、食べるのはまだ人生で五回目ぐらい」
「マジで?!ウチ来るまで二回しか食ったことなかったんかいな!」
笑いながら雑談を交わす。なんだか距離が縮まっているように思えた。
「あっそうや、そんな常連様に言うとかなあかんねんやったわ。今週の金曜は店出さへんから」
「そうなんだ」
あらかじめ休みの情報を教えてもらえるだなんて、と、すっかりお得意様扱いされていることが、朔には嬉しかった。
「『エリダヌス』のライブ行くねん!」
エリダヌスとは、今や押しも押されもせぬ、日本を代表するロックバンドである。瞳をキラキラと輝かせて話す太陽より、朔の瞳の方がさらに輝いた。
「お、俺も行く、そのライブ」
「うそ! めっちゃ偶然!!」
実は朔だって学生時代からかなりのエリダヌスファンで、彼らがまだ出身地周辺の小さなライブハウスで地道に活動している頃からライブに通っていた。社会人になってからはさすがになかなか足を運べずにいたが、今回なんとかチケットを手に入れ、仕事の都合だってずっと前からこつこつと前倒しで調整をつけているところなのである。
「一緒に行かへん? 実は会場までのアクセスようわからんねん」
言葉遣いでわかるように、彼はこの辺の出身ではないのだろう。
「いいよ。それじゃあ待ち合わせは――」
その日から、朔はたこ焼きを買いに寄らなくなった。ライブの日、定時退社を死守するために前倒しで仕事をしまくったこともあるが、何より太陽とプライベートな約束をしたことで、なんとなく気恥ずかしさのようなものが芽生えてしまった。いつも無造作に後ろで一つに結わえた赤みがかった髪に真っ赤なエプロン姿しか知らない彼は、当日どんな姿で待ち合わせ場所に現れるのだろうか。自分はと言うと仕事の後なので変わり映えのしないスーツ姿なのだが。