「黒影さんも、漫画買いに来たの?」
白坂くんは、ボクのことを真っ直ぐに見つめていた。
彼の純粋で綺麗な眼差しに耐え切れなくて、ボクは目線を少し外しながら、「まあ……うん」と曖昧な答えをしていた。
「おー!そうなんだ!黒影さん、漫画好きなんだね」
「そ、そうだね。それなりには……」
「今日はどんな漫画買ったの?」
「あ、えーと、その……」
口が上手く回らなかったボクは、持っていたダーク・ブルーの13巻を白坂くんに見せた。
「ああ!これ、黒影さん好きなんだ!?」
「う、うん、一応……」
「へー!僕も今、この試し読みで初めて知ったけど、面白いね!」
「!ほ、ほんと?」
「うん!いやー、続きが気になるなあ」
白坂くんはそう言って、ダーク・ブルーの1巻を手に取った。
「……あ、あの、白坂くん」
「うん?」
「あの、今、どこまで読んだの?」
「あー、えっとね、レインっていうボクっ子の女の子キャラが出てきたところ」
「!そ、そっか……」
「僕、結構レイン好きかも。まだ登場したばっかだから、よくはわかんないけど」
「!?」
その時、ボクはまるで……自分から出たとは思えないほどに大きな声で、彼に尋ねた。
「ど、どこがよかった!?」
「え?」
「レ、レインの、どこがいいと思った!?」
「うーんと、そうだなあ。なんていうか、飄々と掴み所のない感じだけど、ちゃんと優しいところもあるみたいな……。中性的な雰囲気なのがカッコいいなって思ったかな」
「!!」
ボクは、さっきの声を上回る勢いで叫んだ。
「ボ、ボクも!ボクもレイン好き!」
「え?」
「レインって、あの、あんまり女の子っぽくないから、そこまで人気じゃないんだけど、でも、ボク、凄く好きで!えっと、3巻の時なんだけど、レインの意外な一面が分かる描写があって!あ、あんまり言うとネタバレになるから言えないけど、これが、その、凄くよくて!ぜ、ぜひ、それを観て欲しくて!」
……ボクは、今まで溜め込んでいたものを吐き出すかのように、矢継ぎ早に言葉を漏らしていた。
ボクはとにかく、レインというキャラクターが好きだった。彼女はいつも自信に満ち溢れていて、自分の生き方に信念を持っている……。そんな彼女のようになりたかった。
まさしくボクの、憧れのキャラクターだった。彼女に影響されて、髪も短くしてるし、“ボク”っていう一人称を使うようになった。
そんなレインの話ができることが、ボクはもう堪らなく嬉しかった。
「………………」
だけど、白坂くんが目をまん丸にして驚いている顔を見て、ボクの上がっていたテンションはだんだんと下がっていった。
代わりに、言い様のない不安と焦燥感が沸き上がってきた。
ああ、また失敗した。
オタクの一番嫌われるところが出てしまった。
相手のことを考えず、自分の話したいことばかり話してしまう。気持ちばかりが先走って、言葉にならない言葉を発してしまう……。
これで今まで、何回失敗してきたことか。
『黒影さんってさ、自分の好きなことしか話さないよね』
『そうそう、しかも話してる内容もよく分かんないし……。正直、めんどくさいよね』
かつて陰口を言われていた時のことを思い出して、胸がきゅっと痛くなった。
「あ、あの、白坂くん、ごめん……。いきなり喋りまくって、キ、キモかった……よね」
ボクは絞り出すような声で、彼にそう謝った。
気を抜くと、涙がぽろっと溢れそうになるほどに……ボクの心は今、罪悪感に蝕まれていた。
ああ、やっぱりボクは、上手く人と話せないんだ。
白坂くんがいなくなるまで、待つべきだったんだ。
(ボクのバカ、ボクのバカ、ボクのバカ……)
真っ黒な霧が、ボクの胸の中を覆っていった。
痛いほどの虚無感が、全身を襲っていた。
「ははは!いいよ黒影さん、全然気にしないで」
「……え?」
そんな霧を、白坂くんの笑い声があっさりと払った。
「確かにちょっとびっくりしたけど、僕は黒影さんの好きなことが知れて、嬉しかったよ!」
「………………」
「僕、この漫画読み進めてみるよ。黒影さんの好きなところ、観てみたい!」
「ほ、ほん、と?」
「うん!」
白坂くんは、目を糸のように細めて、眩しいほどにニッコリと笑ってくれた。
「………………」
「風太ー!そろそろ行くよー!」
遠くの方で、白坂くんのことを呼ぶ声が聞こえた。白坂くんは「はーい!今行くよー!」と叫んでそれに答えた。
「それじゃ黒影さん、また明日、学校でね」
「あ、う、うん……」
白坂くんはボクに手を振って、小走りをしながらその場を去っていった。
「………………」
夕方の街を、ボクは一人歩いている。
黒い影が長く地面に伸びていて、それをぼんやりと見つめている。
『僕は黒影さんの好きなことが知れて、嬉しかったよ!』
『僕、この漫画読み進めてみるよ。黒影さんの好きなところ、観てみたい!』
頭の中で、白坂くんから言われた言葉が反響する。
それを思い出す度に、ボクはなんだか胸がむずむずして、落ち着かなくなる。
それは、決して嫌な感情じゃなかった。むしろ、ボクの冷えていた心臓を……ほんのりとあたたかくしてくれた。
(あんなこと言ってくれた人、初めてかも……)
『それじゃ黒影さん、また明日、学校でね』
「………………」
……明日、学校で会った時に、また改めて漫画の感想、聞いてみようかな。
ダーク・ブルーの話を、もうちょっとだけ詳しくしてみようかな。
──明日は白坂くんに、話しかけてみようかな。
……これが、いろんな偶然によって起きた出来事。
ボクが初めて、人と話してて楽しいと思えた、奇跡のような出来事だった。