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9.奇跡のような偶然(後編)


「黒影さんも、漫画買いに来たの?」


白坂くんは、ボクのことを真っ直ぐに見つめていた。


彼の純粋で綺麗な眼差しに耐え切れなくて、ボクは目線を少し外しながら、「まあ……うん」と曖昧な答えをしていた。


「おー!そうなんだ!黒影さん、漫画好きなんだね」


「そ、そうだね。それなりには……」


「今日はどんな漫画買ったの?」


「あ、えーと、その……」


口が上手く回らなかったボクは、持っていたダーク・ブルーの13巻を白坂くんに見せた。


「ああ!これ、黒影さん好きなんだ!?」


「う、うん、一応……」


「へー!僕も今、この試し読みで初めて知ったけど、面白いね!」


「!ほ、ほんと?」


「うん!いやー、続きが気になるなあ」


白坂くんはそう言って、ダーク・ブルーの1巻を手に取った。


「……あ、あの、白坂くん」


「うん?」


「あの、今、どこまで読んだの?」


「あー、えっとね、レインっていうボクっ子の女の子キャラが出てきたところ」


「!そ、そっか……」


「僕、結構レイン好きかも。まだ登場したばっかだから、よくはわかんないけど」


「!?」


その時、ボクはまるで……自分から出たとは思えないほどに大きな声で、彼に尋ねた。


「ど、どこがよかった!?」


「え?」


「レ、レインの、どこがいいと思った!?」


「うーんと、そうだなあ。なんていうか、飄々と掴み所のない感じだけど、ちゃんと優しいところもあるみたいな……。中性的な雰囲気なのがカッコいいなって思ったかな」


「!!」


ボクは、さっきの声を上回る勢いで叫んだ。


「ボ、ボクも!ボクもレイン好き!」


「え?」


「レインって、あの、あんまり女の子っぽくないから、そこまで人気じゃないんだけど、でも、ボク、凄く好きで!えっと、3巻の時なんだけど、レインの意外な一面が分かる描写があって!あ、あんまり言うとネタバレになるから言えないけど、これが、その、凄くよくて!ぜ、ぜひ、それを観て欲しくて!」


……ボクは、今まで溜め込んでいたものを吐き出すかのように、矢継ぎ早に言葉を漏らしていた。


ボクはとにかく、レインというキャラクターが好きだった。彼女はいつも自信に満ち溢れていて、自分の生き方に信念を持っている……。そんな彼女のようになりたかった。


まさしくボクの、憧れのキャラクターだった。彼女に影響されて、髪も短くしてるし、“ボク”っていう一人称を使うようになった。


そんなレインの話ができることが、ボクはもう堪らなく嬉しかった。


「………………」


だけど、白坂くんが目をまん丸にして驚いている顔を見て、ボクの上がっていたテンションはだんだんと下がっていった。


代わりに、言い様のない不安と焦燥感が沸き上がってきた。


ああ、また失敗した。


オタクの一番嫌われるところが出てしまった。


相手のことを考えず、自分の話したいことばかり話してしまう。気持ちばかりが先走って、言葉にならない言葉を発してしまう……。


これで今まで、何回失敗してきたことか。



『黒影さんってさ、自分の好きなことしか話さないよね』


『そうそう、しかも話してる内容もよく分かんないし……。正直、めんどくさいよね』



かつて陰口を言われていた時のことを思い出して、胸がきゅっと痛くなった。


「あ、あの、白坂くん、ごめん……。いきなり喋りまくって、キ、キモかった……よね」


ボクは絞り出すような声で、彼にそう謝った。


気を抜くと、涙がぽろっと溢れそうになるほどに……ボクの心は今、罪悪感に蝕まれていた。


ああ、やっぱりボクは、上手く人と話せないんだ。


白坂くんがいなくなるまで、待つべきだったんだ。


(ボクのバカ、ボクのバカ、ボクのバカ……)


真っ黒な霧が、ボクの胸の中を覆っていった。


痛いほどの虚無感が、全身を襲っていた。




「ははは!いいよ黒影さん、全然気にしないで」




「……え?」


そんな霧を、白坂くんの笑い声があっさりと払った。


「確かにちょっとびっくりしたけど、僕は黒影さんの好きなことが知れて、嬉しかったよ!」


「………………」


「僕、この漫画読み進めてみるよ。黒影さんの好きなところ、観てみたい!」


「ほ、ほん、と?」


「うん!」



白坂くんは、目を糸のように細めて、眩しいほどにニッコリと笑ってくれた。


「………………」


「風太ー!そろそろ行くよー!」


遠くの方で、白坂くんのことを呼ぶ声が聞こえた。白坂くんは「はーい!今行くよー!」と叫んでそれに答えた。


「それじゃ黒影さん、また明日、学校でね」


「あ、う、うん……」


白坂くんはボクに手を振って、小走りをしながらその場を去っていった。







「………………」


夕方の街を、ボクは一人歩いている。


黒い影が長く地面に伸びていて、それをぼんやりと見つめている。



『僕は黒影さんの好きなことが知れて、嬉しかったよ!』


『僕、この漫画読み進めてみるよ。黒影さんの好きなところ、観てみたい!』



頭の中で、白坂くんから言われた言葉が反響する。


それを思い出す度に、ボクはなんだか胸がむずむずして、落ち着かなくなる。


それは、決して嫌な感情じゃなかった。むしろ、ボクの冷えていた心臓を……ほんのりとあたたかくしてくれた。


(あんなこと言ってくれた人、初めてかも……)



『それじゃ黒影さん、また明日、学校でね』



「………………」


……明日、学校で会った時に、また改めて漫画の感想、聞いてみようかな。


ダーク・ブルーの話を、もうちょっとだけ詳しくしてみようかな。




──明日は白坂くんに、話しかけてみようかな。




……これが、いろんな偶然によって起きた出来事。


ボクが初めて、人と話してて楽しいと思えた、奇跡のような出来事だった。







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