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7.僕とボク(後編)


……放課後になり、クラスメイトたちは雪崩のように教室から出ていく。ボクは席に座りながら、全員がいなくなるのをじっと待っていた。


そして、隣にいる白坂くんへ、今日は日直であることを告げようと、心の準備を始めていた。


(と、とりあえず、何も話さないで恨まれる方が怖いから、ちゃんと話はしよう……)


ボクは緊張で落ち着かない手をぎゅっと握り締め、小さな勇気を振り絞って、彼に声をかけようとした。


「あ、あ、あの、し、白坂く……」


だけど、ボクのタイミングが悪かったらしく、もう白坂くんは席を立って、教室から出ようとしていた。


「あ、あ……」


なんとか声を出そうとしたけど、出てくるのは情けない掠れ声。ただただボクは、白坂くんの背中が遠退いていくのを見ている他なかった。


「………………」


気がつくと、教室の中は誰もいなかった。さっきまでの喧騒が嘘のように、辺りはしんと静まり返っていた。


「……はあ」


ボクの小さなため息が、教室の中に木霊した。


一人でのろのろと、日直の仕事をこなしていく。


黒板の日付を変え、黒板消しをはたいて汚れを落とし、日誌を記録する……。


「……結局、ボクは一人になる運命なんだなあ」


独り言が、ボクの口から無意識の内に漏れていた。


そうだ、ボクという人間は、なんにつけても上手くいかない。


やりたいことも満足にできず、いつまでも独りぼっちだ。


(……ああ、もしかしたら白坂くんは、ボクと一緒にいるのが嫌で……日直の仕事をせず、帰ったのかも知れない)


ボクが何か怒らせてしまうことをして、彼を幻滅させてしまったんだ。きっとそうに違いない。さっき声をかけた時も、本当は彼に声は届いていて、その上で無視されたんだ。


「ありがとう」とまともに言えない。自分が何度の熱だったか満足に答えられない。そんなボクと一緒にいたいはずがない……。


次、風邪をひいたとしても、彼はもう、差し入れをくれないだろう。いやひょっとしたら、明日から挨拶もしてくれないかも知れない。


白坂くんがどういう人なのか、ボクにはまだ全然分からないけど、きっと彼も……他のみんなと同じで……。


ボクの元から、すぐに離れていってしまうんだろう。


「………………」





「黒影さん、何書いてるの?」




その時だった。


ボクは真横から、突然声をかけられた。


それは、白坂くんだった。


完全に一人だと思い込んでいたボクは、思わず「きゃっ!?」と声を上げた。


「し、白坂くん……い、いつの間に……」


「ごめんごめん、ちょっと忘れ物をしてて、取りに来てたんだ」


「あ、ああ……そういうこと……」


「黒影さん、まだ帰らないの?何か書いてるみたいだけど」


「あ……えーと……」


ボクが彼にどう話せばいいか迷っていると、白坂くんは「あっ!?」と大きな声を出して、ボクのことをじっと見た。


「うわー!黒影さん、ごめん!日直のこと、すっかり忘れてた!」


「あ、いや……ぜ、全然、大丈夫」


「もしかして、他の仕事も全部終わっちゃった?黒板の日付とか、黒板消しを掃除するとか……」


「う、うん……」


「あちゃ~!ほんとごめんね!全然頭になかったよ……」


白坂くんは申し訳なさそうに眉をひそめて、ボクに謝ってきた。


……この様子から考えると、忘れていたのは本当っぽい。ああ、安心した。嫌われたせいで仕事を押し付けられたとか、そういうものでなくてよかった。


「黒影さん、何か好きなジュースとかある?僕、お詫びにそれ奢るよ」


「い、いや、大丈夫だから……。ボクは、き、気にして、ないから。だ、だって昨日、白坂くんから……その、さ、差し入れ貰ったし……。そのお返しって、ことで……」


「ええ?ほんとにいいの?」


「う、うん……。ボクはほんとに、気にしてないから……」


「ほんとにごめん、黒影さん」


白坂くんはふっと表情を緩めると、目を細めて……ボクにこう言った。




「代わりにやってくれて、ありがとうね」




「………………」


この時のボクの気持ちを……上手く言葉にすることができない。


なんて言えばいいのだろう?とても不思議な感覚だった。


(……白坂くんって、なんだか、綺麗な人)


そう、綺麗だなと思った。白坂くんの笑顔は、まるで明るい太陽のようで、それを見ているとあたたかい気持ちになる……。


思い返せば、他人からお礼を言われたのは、初めてかも知れない。


こんな風に、誰かに「ありがとう」と言われた経験がほとんどない。いや、もしかしたらあったのかも知れないけど、今はもう記憶にない。


だから……彼の笑顔が、綺麗に見えるのだろうか。


「もし今度、何か困ったことがあったら、僕に言ってよ。なんでも手伝うから」


「い、いや、そんな、ボ、ボクなんかに、そこまで、気を……使わなくて……」


と、そこまで言葉を口にした時に、ボクはようやく……自分の失態に気がついた。



……一人称を、“ボク”のままにしてしまっていた。



これは、昔好きな漫画のキャラに憧れて、ボクという一人称にしたのだった。でも、クラスメイトや家族から笑われて……人前では“私”と言うように気をつけていた。


ただ、あまりにも人と話すのが久しぶり過ぎて、つい“ボク”と言ってしまった。


(や、やばい、どうしよう、絶対また笑われる……)



『ねえ、黒影さんってなんか漫画みたいな喋り方じゃない?』


『わかるー!あれちょっとイタいよね~。オタク過ぎて気持ち悪い~』



あの時のトラウマが、脳裏に浮かぶ。全身から血の気が引いていくのが、感覚的に分かる。


「……?ど、どうしたの?黒影さん」


白坂くんはボクの異変に気がついたみたいで、怪訝な顔をしながらそう尋ねてきた。


ボクは「あ、いや、えっと……」と言葉を濁しつつ、必死に言い訳を考えていた。


(い、一人称が……ボクでも大丈夫な理由……。なにか、なにか……)


「ち、違う、その、ちょっと……今のは、違くて……」


「違う?何が違うの?」


「え、えっと、だから……ボ……あの、普段は、“私”って言うんだよ?“ボク”じゃなくて、“私”って」


「……?あ、もしかして一人称のこと?」


「う、うん、そう……。い、今は、と、友だちと、一人称を変えようって遊びをしてて、そ、それで、今は“ボク”って言ってるだけで……。ほ、ほんとは違うからね?」


「ああ、そういうことなんだね」


「う、うん……」


よ、よかった……。なんとか白坂くんに納得してもらえた。


ああ、でも……なんて情けない言い訳だろう。友だちなんて一人もいないのに、さも友だちがいるかのように振る舞って……。見栄を張って嘘をついて……。


自分のダサさ加減に、つくづく嫌気がさす。うっかり気を抜いたら、泣いてしまいそうになる。


「ふふふ、いいねその遊び。楽しそうだね」


そんなボクの気持ちなんて知らない白坂くんは、にこにこと笑いながら、こんな冗談を言ってきた。


「僕も……いや、“それがし”もやってみようかな?なんて!はははは!」


「……は、はあ……」


ボクはなんて返していいか分からなくて、気の抜けた返事をする他なかった。


ああ、やっぱりこの人は、ボクなんかとは違う。


明るくて、元気で、笑顔が眩しい人だ。日向に住める人だ。


そんな人が、なんでボクなんかを構うんだろう?昨日もボクのために差し入れをくれたし、何かと気にかけてくる。そんなことをしても、全然メリットなんてないのに。


(白坂くんって……なんだか、不思議な人)


ボクは頭の片隅でそんなことを考えながら、彼のことを見つめていた。





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