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4.無彩色の日々



……ボクなんて、居ても居なくても同じだ。


ボクが今死んだところで、誰も悲しむ人なんていない。学校でボクが突然いなくなっても、誰にも気がつかれない。ボクの居場所なんて、輝かしい日向の上にはない。


それがボク、黒影 彩月という人間だった。






「……よーし、じゃあ夏休み前までは、この席順でいくからなー」


2025年6月2日、月曜日。午前9時。ボクのクラスである2年3組では、2ヶ月に一度の席替えがあった。


今回、ボクは窓際の列からひとつ隣の列の、一番後ろとなった。前の方にいると、クラスメイトたちの視線を背中に受ける羽目になるので、後ろの席になれたことに、ボクは心底安堵していた。


「おっ!純一!席近いじゃん!」


「うっすリョータ!」


「かなっちー!よろしくねー!」


「やったー!桜ちゃーん!」


自分の席の近くに親しい友人が来て、喜び合うクラスメイトたち。その様子を見て、ボクは静かにうつむいた。


この喧騒の中に、ボクは混ざれない。明らかな異物としてここにいる。


ああ、早くここから離れたい。今すぐにでも席を立ちたい。どうせボクがここにいたって、どうしようもないんだから。


「……こんにちは、黒影さん」


その時、突然ボクの隣の席の男の子が、声をかけてきた。


男子から話しかけられることなんて初めてだったから、思わずびくっ!と肩を震わせてしまった。


「ああ、驚かせてごめんね。えーと、僕のこと分かるかな?」


その男子生徒は、にこやかな笑顔でボクにそう尋ねてきた。


ボクは二年生に進級して2ヶ月も経つのに、未だにクラスメイトの名前がほとんど分からない。話しかけてくる彼のことも、誰なのかさっぱり分からなかった。


「ごめんなさい……」


ボクがそう答えると、彼は「ああ、いいよいいよ。全然気にしないで」と言って苦笑した。


こういう質問をするということは、彼もボクが名前を覚えていないのだろうって分かってるということだ。初めから期待されていないんだ。


自分で覚えていないのが悪いんだけど、それはそれで……なんだか少し悲しく思うのだった。


「また同じクラスになってから二ヶ月だし、ちゃんと喋ったことなかったもんね」


「………………」


「僕はね、白坂 風太っていうんだ。これからしばらく、お隣の席よろしくね」


そう言われて、ボクはぎこちない会釈をなんとか返した。


それが、ボクと白坂くんの、最初の出会いだった。






……ボクの毎日は、いつも静かだった。


家族以外との誰とも口をきくことなく、1日が終わることだってざらにある。


先生から問題を当てられて、それに答える時にだけ、ようやく口を開く。


時々声の出し方を忘れてしまって、どもったり異様に低い声が出たりと、恥ずかしくなる場面がいくつもある。


お昼休みも、ボクはいつもトイレに行って、独りでご飯を食べている。図書館の近くにあるトイレは、あまり人が立ち寄らないので、ボクのお気にいりの場所だった。


カレンダーのマスを塗りつぶすだけの、お粗末な日々。無意味な人生。そんな風に思う毎日を送っていた。




『……逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ……!』


6月10日、火曜日。夜の10時頃。ボクはくたびれた灰色のパジャマを着て、自分の部屋のベッドに横たわりながら、スマホを使って好きなアニメを観ていた。


正確には、そのアニメの名シーンを集めた動画だった。


何回、このアニメを見返したことだろう。もうすっかり、次のシーンの台詞を覚えてしまった。


『やります……!僕が乗ります!』


(あー、やっぱ面白いなあ……)


好きなアニメをこの時間が、1日で一番心安らぐ。もう一生、お布団に入ってこのまま永遠に眺めていたい……。


明日のことを考えるだけで、心底憂鬱になる。朝なんて来ないで、永遠に夜でいてほしい。


(そうだ、確か明日の体育は水泳だったよね……。ああ、絶対嫌だ、出たくない……)


きっとボクは、水泳というものを永遠に好きになれないと思う。


まず、泳ぐことがそもそもできない。身体を浮かせられないし、顔を水につけられない。足のつくところでも溺れてしまう。そんな無様なところを先生やクラスメイトに見られるのを想像しただけで、心臓が痛くなる。


それに、水着を着るのもすごく抵抗がある。ボクの……女の子として全然魅力のないぺったんこな身体を、公開処刑させられる。周りの可愛い女の子たちと比べられて、死にたくなる。


中学生の頃、ちょうどそれで男子にからかわれたことがあった。


クラスのマドンナだった女の子は、『◯◯ちゃん可愛いー!』って褒められてたけど、ボクはずっとバカにされてた。


身体が細くて弱々しいから、『枯れ木』ってあだ名をつけられていた。


『おい見ろよ!枯れ木いんぞ枯れ木!』


『あいつの身体やべーなー!ぜってー女じゃねえだろ!』


『ケツ蹴ったら一発で死にそー!ぎゃはははは!』


そうして、ずっと笑われていた。女の子の中でも、ボクを見てクスクス笑っている者もいた。


ボクはもう耐え切れなくなって、先生に生理が来たって嘘をついて、トイレに逃げた。


そして、トイレの個室の中で、独り声を殺して泣いた。


「…………………」


ボクは目を瞑って、息を吐きながらスマホを枕元に置く。仰向けになって、右手を目の上に乗せる。


真っ暗な目蓋の向こう側に、今までボクを笑ってきた人たちの姿が見える。空いた左手が、ベッドのシーツをぎゅっと握り締める。


『笑えば、いいと思うよ』


枕元に置いたスマホから、アニメの台詞が流れている。


(……明日、休んじゃおうかな)


嫌な授業がある日や、嫌なイベントがある日は、こうやっていつも休もうとする。昔は仮病を使うことが多かったけど、最近は本当に風邪を引くようにしている。仮病だと、すぐお母さんにバレちゃうから。


ボクみたいに体力がなくて免疫の弱い人間は、簡単に風邪が引ける。氷枕をお腹に忍ばせたり、下剤をたくさん飲んだりすれば、すぐにできる。


「…………………」


ボクは身体を起こして、ベッドから出た。そして、服を全部脱ぎ始めた。


色気が無さすぎる黒色の下着が、部屋の床に落ちていく。


一糸まとわぬ状態になったボクは、部屋の電気を消してから、またごろんとベッドへ寝転がる。最近は雨が続いているから、結構夜は冷え込む。だからこうして裸になって、布団を被らずに寝たら、すぐ風邪を引ける。


氷枕を使うのが一番なんだけど、氷枕は台所の冷蔵庫に入っている。そして台所は、リビングのすぐそばにある。今の時間は、まだお父さんもお母さんもリビングでテレビを観ているから、氷枕を取りにいけない。だからこうして裸になる方法を選んだのだった。


『そうやって、嫌なことから逃げているのね』


またスマホから、アニメの台詞が聞こえてくる。ボクはすっと目を閉じて、そのアニメの音声を黙って聞いていた。


『いいじゃないか……嫌なことから逃げ出して……』




『何が悪いんだよ』







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