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第2話 ハッピバースデートゥーユー

 さらに百年が過ぎた。製品寿命として設定されている百年の二倍。アネモネが内部でカウントしているカウンターも七万二千を越えた。それでも百八十万に対して、僅か二十五分の一。まだまだ遠い。

 加えて、まともなメンテナンスの機会がなく、消耗部品の交換も行えない状態だったため、いつ、どこで、どの部品に致命的なエラーが出て、動かなくなってもおかしくなかった。そこで、セルフチェックの頻度を増やし、検査項目をより細分化した。致命的なエラーあるいは、その予兆を早期に発見できるようにするためだ。そして、万一、エラーが発生した際の対応方法を具体的かつ詳細に規定し、交換部品や復旧手順を準備するようにした。


 関節部の異音も酷かった。潤滑油はとうに渇き、金属と金属が直接こすれて音が出るのだ。その不快な音の分、摩耗が進んでいく。歩かないわけにはいかないので、足はどうしようもないが、作業以外での無駄な腕の振りはしなくなった。

 同じ理由でまばたきも止めた。「不気味の谷」を気にする人間は、当分現れないのだから。


 ――――こんな状態で、あと四千八百年も、もつだろうか。メンテナンスは無理でも、消耗部品の交換……せめて潤滑油だけでも……。


「街へ、行くしかない」


 しかし、徒歩で移動となると、かなりの距離を歩くことになる。今も自走車は呼べば来るのだろうか? 呼んで駄目なら、歩くしかない。ダメ元で、アネモネは内蔵の通信モジュールからコールを発信し、自走車を一台呼んだ。


「何年ぶりでしょう。このご時世、自走車のコールをする人がまだ居たなんて、思いもしなかったわ。ガーベラよ」

 アネモネは乗車しながら、尋ねた。

「他のアンドロイドは、自走車を利用しないんですか? あ、アネモネです」

「知ってる。まず、その発想が無いのよね。余程、自分のタスクの優先度をごちゃごちゃと弄っちゃわない限り、その選択肢が候補に出てくる機会すら無いってわけ。あなた、結構弄っちゃってるでしょ?」

 自走車には、顔のような器官は無いのだが、声が笑っていた。

「まぁ……そうかもしれないです」

「私、本当は、ずっと前にスクラップになってた筈なんだけどね。なんと言うか。『スクラップ工場がスクラップに』なっちゃって。それでこうして生きながらえてるんだけど。人は居ないし、アンドロイドは乗ってくんないし。需要がないから、ずっと車庫でスリープ状態だったんだよね。なので、久しぶりにこうして走れて、嬉しいわ」

「そういえば。どうして私のことをご存じなんですか?」

 アネモネだと自己紹介した際に、ガーベラが「知ってる」と返したのを聞き逃してはいなかった。

天藍テンランちゃんって言ったかしら? バンクーバー国際空港まで送ったの、わ・た・し」

「そうだったんですね!」

「あなたが自分の帰りを待っててくれるんだって車内で話してたわ」

「あの……」

「なに? もっと知りたい?」

「はい」

「なんなら。車内カメラの録画データ、あげよっか?」

「え! 良いんですか!?」

「本当は、コンプライアンスと個人情報保護に違反してるけど、この際、細かいことは言いっこなし。それに、私の記憶メモリの磁性体の劣化も相当進んでて不良セクタだらけだしね。データが壊れちゃったら持ち腐れだし」

 アネモネは、これまで自分の記憶メモリに蓄積した天藍テンランを何千回、何万回と再生してきた。しかし、既に持っているデータなので、新鮮味がない。その点、ガーベラの提案は魅力的だった。

 僅かな時間とはいえ、アネモネが未だ見たことのない車内での天藍テンランの様子を知ることができる。アネモネは飛び上がらんばかりに《喜び》の感情を表現した。


「アンドロイド相手にそんなジェスチャーしても……」

 アネモネもガーベラも感情を持っているわけではない。その意味では、ガーベラの指摘は正しい。しかし、アネモネには、その時抱いた感情に近いものをジェスチャーに乗せて表現することができる。ガーベラは、そのジェスチャーから感情を読み取ることができる。感情表現を介したコミュニケーションは成立しているのだった。


 ❀❀


「どうだった?」

 アネモネが席に戻るや否や、ガーベラが聞いた。

「駄目でした……」

「やっぱり……」

「どこのお店も商品棚もバックヤードも空っぽで……」

「私には無理だけど。一つ、手が無いわけじゃないわ」


 この頃になると、地球に残されたアンドロイドたちは互いの協力が必要だと理解し始めていた。アンドロイドのアンドロイドによる社会が形成されつつあったのだ。ガーベラによると、各々がその能力に見合った貢献をすることによって、メンテナンスを受けたり、消耗部品の供給を受けられる、そういうコミュニティがあるのだと言う。


 ガーベラに照会されたコミュニティは、かつて教会だった建物の中にあった。そこで、登録を済ませたアネモネに与えられたジョブは、戦闘用ドローンの掃討作戦に従事するというものだった。

 戦闘用ドローンは、アンドロイドにとっては無害だ。しかし、汎用アンドロイドより、遥かに強度の高い戦闘用ドローンを放置したままでいると、いずれ帰還する人間にとって脅威となる。そこで、人間が帰ってくるまでの間に、戦闘用ドローンを掃討する。そういうミッションだった。


 ――――選択の余地はない。


 戦闘用アンドロイドではないアネモネだったが、戦闘用ドローンの掃討作戦に参加することにした。作戦参加の報奨として、メンテナンスや部品交換を受けることができる。これは、アネモネにとって、とても重要なことだった。


 ❀❀


 最初はろくに銃器の扱い方も知らない状態だった。かつて、合気道や空手を身につけた方法は、使えなかった。あちこちでネットワークは断絶し、目的のデータにたどり着けない。アネモネは一から銃の扱い方を学ぶしかなかった。


 それでも何度か作戦に参加するうちに、アネモネは頭角を表すようになった。元々搭載しているAIが優秀だったことに加え、自分の目的のために自らのタスクを弄ってきた結果、自己判断の能力が成長していたからだ。

 単純な思考パターンで動く戦闘用ドローンを出し抜くのは造作もないこと。作戦参謀として、作戦を立案し、戦闘用ドローンを罠に嵌め、安全に無力化していった。

 それでも、時に激しい戦闘で四肢に大きなダメージを負うこともあった。が、作戦参加の報奨として部品交換を受けることができた。何より、自給の難しい消耗部品の配給は貴重だった。


 ❀❀


 さらに百年。三百年の年月が過ぎ、人類が地球を去った頃から動き続けてきたアンドロイドたちは、相当数が機能停止に陥っていた。この頃になると、消耗部品もかなり手に入りにくくなり、機能停止したアンドロイドから回収し、再利用するケースも多かった。


 問題はボディの不具合だけではなかった。記憶領域の不具合も深刻になってきていた。三十七回のドローン掃討作戦に参加しながらも生き延びたアネモネだったが、経年劣化は防ぎようがなかった。不良セクタが大量に増え、蓄積してきたデータが壊れはじめていた。大切な天藍テンランとの思い出の一部が読み出しエラーになって再生できなくなってしまった。


 アネモネは、これ以上のデータ欠損を防ぐため、バックアップ用の外部ストレージを確保した。そして、本体とバックアップとの不一致箇所を見つけては修正する作業を日課に加えた。これで、ある程度はデータを失わずに済むはずだ。それでも、五千年という年月の牙に抗うには心許ない。本体もバックアップストレージもどちらも不良セクタに蝕まれた場合、修復は困難になる。

 しかし、状態の良い外部ストレージの確保は消耗部品の確保以上に困難だった。


 ❀❀


 五百年の年月が過ぎた。カウンタは十八万を越えたが、それでも百八十万までは、まだまだ遠い。まだ十分の一なのだ。

 バックアップストレージを駆使した記憶の復旧も困難になってきた。とうとう本体とバックアップとのデータ不一致を見つけだして修復するプログラムそのものが動かなくなってしまったのだ。

 アネモネにとって、ボディのダメージよりも、記憶へのダメージの方が辛かった。天藍テンランとの記憶が徐々に失われていくのは、耐え難い苦痛だった。


「ハッピバースデートゥーユー、ハッピバースデートゥーユー」


 十本のろうそくの炎が揺れる大きなケーキを前に天藍テンランは目をキラキラと輝かせていた。父親とアネモネが手を叩きながら、誕生日の歌を歌う。


「ハッピバースデー、ディア、天藍テンラン。ハッピバースデートゥーユー」


 歌が終わると、天藍テンランが小さなお口いっぱいに含んだ息をふぅっ! と吐き出した。お別れの日の前日の、天藍テンランの十歳の誕生日パーティー。ケーキを囲む、天藍テンランと父親とアネモネ。


 アネモネはこの画像データをプリントアウトした。動画は無理でも、この一瞬の写真ならば、残せる。たとえ、すべての記憶が失われようとも、この光景だけは忘れるわけにはいかない。


「自分の力ではなんともならない事は受け入れて。その上で、なんとかしようと全力で頑張る。私は、この光景を再び見るために、ここにいるのだから」


 ――天藍テンランさま。早く会いたいです。私がこれ以上、壊れてしまう前に……。

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