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第3話 帰宅

 こうして、天藍テンランは、宇宙船大乗ダイジョウで四十年の歳月を過ごし、五十歳という肉体年齢で空港に降り立った。


 ――――地球の重力、なめてたわ。


 自作の車椅子のお陰で、移動には支障がないものの、全身に感じる重力の影響はすさまじかった。第一、手に持っていた物から手を放すと、その場に留まらず、床に落ちてしまうという現象に慣れなかった。


 ――――十歳までは、普通に地球で暮らしてたのにね。


 空港の到着ロビーの外には、この日のためにと新造された自走車が停まっていた。ただし、台数が足りず、他の乗客との乗り合いになった。


 乗り合わせた家族は、五十年ぶり(……と言っても、本人たちにとっては、一年ぶり程度)の間に、見違えてしまった景色を眺めて騒いでいた。

 天藍テンランにとっても、その景色は驚くばかりだった。しかし、乗り合わせた家族の会話に混ざる気にはなれなかった。


琥珀アンバー、一緒に乗ってるご婦人の迷惑になるから。もう少し落ち着きなさい」

 そう父親に窘められるのを聞いて、乗り合わせた家族の女の子が、宇宙船大乗ダイジョウで冷凍睡眠装置に入る直前にできた新しいお友だちだと思い至った。なるほど、琥珀色の綺麗な瞳に見覚えがある。


 ――――あなたは、あの時のままなのね。


 天藍テンランは、自分があの時の女の子だと名乗り出ても仕方がない気がして、乗り合わせただけの他人で通すことにした。アンバーちゃんが今の天藍テンランを見て気が付くことはないだろうから。


 窓外に見えるかつてタワーマンションだったものは、植物にすっぽりと覆われ、まるで緑色のモノリスだった。流れる車窓の風景は、天藍テンランにとって、とても陰鬱としたものだった。全てが植物に覆われ、何もかもが太古の遺跡と化している。

 そんな景色ばかりみていたせいで、我が家が近づくにつれ、天藍テンラン大乗ダイジョウに戻りたくなってきていた。四十年の歳月を過ごしてきた場所。いまやあの船こそが我が家だ。


 ――――それに……。


 家に帰ったところで、父もアネモネも居ない。あるのは四十年前の思い出だけだった。

 しかし、門扉の前で車椅子に体を移し、自走車を降りた天藍テンランは、予想とはまるで違う我が家のたたずまいに驚いた。


 門扉から、玄関まで緩やかなカーブを描く小道も、その両側に広がる庭も、しっかりと手入れが行き届いていた。植木はきちんと枝が刈り込まれ、花壇に咲く花も手入れが施されているのが見てとれた。落ち葉ひとつない。


 半ば廃屋のような状態だとばかり思っていたのに、人の生活や息吹すら感じさせる庭だった。それは、天藍テンランの記憶にあるままの我が家だった。


 ――アネモネ!


「そうだ、そうに違いない」


 空港で見かけたアンドロイドは、たまたまアネモネに似ているような気がしただけった。今もアネモネは家の中にいる。そうでなければ庭がこんなに綺麗なわけがない。アネモネが今も綺麗にしてくれているのだ。天藍テンランは、期待を込めて玄関のノブに触れた。

 ノブを回し、扉を引きながら、出来た隙間にそっと車椅子を押し込む。そうして扉の内側に車椅子ごと入り込み、向きを変える。


「まぁ……」


 天藍テンランを出迎えたのは、アネモネではなく写真だった。

 玄関から真っ直ぐ奥に見えるキッチンまで、壁という壁にびっしりと貼られた写真、写真、写真。

 ここからは見えないが、リビングにもダイニングにも、あらゆる壁に貼られていそうだった。


 天藍テンランの写真。

 天藍テンランと父親の写真。

 天藍テンランの写真。

 天藍テンランと母親の写真。

 天藍テンランの写真。

 天藍テンランと両親の写真。

 天藍テンランの写真。

 …

 …

 天藍テンランとアネモネの写真。それだけは鏡に写った鏡像だった。

 …

 …

 それらの写真はすべて、アネモネが、内部記憶に留めておくことの出来なくなった、大切な思い出をプリントアウトし、壁という壁に貼りつけたものだった。

 アネモネの、大切な記憶を失いたくはないという、戦いの跡だった。


 だが、肝心のアネモネの姿はどこにも見当たらない。

 「アネモネ? アネモネ? 居ないの? 私よ、天藍テンランよ?」

 家中のすべての扉を開けてアネモネを探す。そうして確認して回ったどの部屋にも写真が貼られていた。


 記憶にもない一歳未満の、未だ母親が生きていた頃の天藍テンラン

 初めての寝返りをする天藍テンラン

 初めてのはいはいをする天藍テンラン

 初めてのつかまり立ちをする天藍テンラン

 どの写真にも、母親が一緒に写り、笑っていた。


 一歳の頃の初めてよちよち歩きをする天藍テンラン


 二歳の頃の天藍テンラン

 庭に作ってもらった砂場で遊ぶ天藍テンラン

 お絵描きをして遊ぶ天藍テンラン


 なんとなく記憶の残る三歳の頃の天藍テンラン

 お気に入りの絵本を広げて笑う天藍テンラン


 幼稚園の制服を着て嬉しそうな天藍テンラン

 小学校の帽子を被ってどこか恥ずかしそうな天藍テンラン

 パジャマでベッドではしゃぐ天藍テンラン

 ご飯つぶを頬に付けてスプーンをくわえた天藍テンラン

 よそ行きのお洒落着を着た天藍テンラン

 二ホンのキモノを着せて貰った時の天藍テンラン

 雪だるまを作って遊ぶ天藍テンラン

 防空壕の中で人形遊びに興じる天藍テンラン


 六歳の泣きじゃくり、母親の記録再生を見る天藍テンラン


 八歳のシロツメクサの花飾りの結婚式をする天藍テンラン


 十歳のお誕生日パーティー、宇宙へ行く前日の天藍テンラン

 当然ながら、それ以降の写真はない。


 天藍テンランは、左手で口元を覆い、嗚咽をあげ、しゃくりあげながら、頬を伝う涙も拭かず、一枚、一枚の写真に右手でそっと触れつつ、見て回った。


 それは、天藍テンランの過去でありながら、アネモネの過去でもあった。

 それは、天藍テンランの思い出でありながら、アネモネの思い出でもあった。

 それは、天藍テンランの写真でありながら、アネモネの……アネモネの魂の叫びだった。



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