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第1話 帰還とお迎え

 宇宙船「大乗ダイジョウ」が地球圏に戻ってきて半年。運動の第一法則の効果を99・995%まで外部から切り離すことで亜光速を実現する弥勒ミロクドライブは、加速も減速もほぼ一瞬で行える。しかし、運動の第一法則の効果を切り離したり、元に戻したりする弥勒ミロクドライブそのものの起動、停止には、それぞれ半年ほどかかる。

 高度3万6千キロ。「大乗ダイジョウ」は、地球を一周するのにかかる時間がちょうど地球の自転周期と一致する静止軌道に入り、弥勒ミロクドライブの停止シークエンスを行っていた。そして、それもようやく最終段階に入っていた。


弥勒ミロクドライブ停止まであと1時間。弥勒ミロクドライブ停止まであと1時間。現在、宇宙船「大乗ダイジョウ」は、アリゾナ上空で地球の静止衛星となっています。現在、地表の環境情報を取得中。スキャン終了予定は5時間後。それまで船内にておくつろぎください」


 コールドスリープから解放され、健康診断の最終チェックをクリアした人々が、これまでの船旅の間、ずっと過ごしてきたカプセル内で伸びをしたり、狭い通路を歩き回ったり、モニターで地表の様子を見たりしながら過ごしている。

 モニターで確認する地球は、一見以前と変わらないようにも見える。しかし、細部まで注意深く観察すると、違いが見えてくる。太陽の光があたる昼側は、かつての文明の痕跡を遺す、自然豊かな星。そして夜側は……文明の痕跡を感じさせる光は……どこにも無く、真っ暗闇だった。出発から五十年と一年。その間に、地球では五千年と一年が経っていた。


 出発時には、人類にとって脅威だったドローン兵器は一掃され、ナノマシーン兵器も製品寿命を終えていた。最終チェックが終了し、宇宙船「大乗ダイジョウ」のコンピューターは、地表の状態を《安全》と判断した。


「地表の安全が確認できました。ご乗船の皆様は、案内に従って、順にシャトルベイへ移動してください。ジョージ・ブッシュ・インターコンチネンタル空港行きをご希望の皆様は、第77シャトルベイへお集まりください。ハーツフィールド・ジャクソン・アトランタ国際空港行きをご希望の皆様は、第41シャトルベイへお集まりください。なお、タプロバニー島の軌道エレベーターは使用できません。タプロバニー島の軌道エレベーターは使用できません。軌道エレベーター行きのシャトルはありません。ご注意ください」


 やっと、人類の地球帰還の日がやってきた。長かった。 

 地表では、静かに新たに人類の帰還を迎えるためのアンドロイドの製造ラインが稼働し始めていた。稼働率は、予定していた製造ラインの1割程度。それでも、着々と人類の帰還に備え、準備が行われていた。

 一方で、人類を長い星の旅に送り出す際に稼働していた機械、人に代わってその営みを引き継ぎ、守ってきたアンドロイドは、その殆どが機能を停止し、内部にまで入り込んだ植物が根を張り、芽を吹き、覆い尽くし、至るところでモニュメントと化していた。人々が地球を離れていた約五千年の間に、地球の支配権は植物と昆虫に移っていた。


 当時のアンドロイドは、ほぼすべて動かなくなっていた。しかし、中にはまだ動くアンドロイドもいた。

 バンクーバー国際空港の到着ロビーにも、シャトルの到着を待つアンドロイドが一体いた。アネモネだった。アネモネは、まだ動いていた。天藍テンランを出迎えるために。天藍テンランとの《ヤクソク》を守るために。


 しかし、ボロボロだった。袖口や裾にレースをあしらったメイド服は、もはや見る影もなく、辛うじて首元に輪っか状に残る襟に痕跡を留めるだけだった。

 代わりにくすんだ紫色の布を体に巻き付け、腰を紐で縛った簡易ドレスで全身を覆っていた。「天藍テンランさまをお迎えするのに裸というわけにはいかない」という、アネモネなりの配慮だった。


 ボロボロだったのは服だけではなかった。アネモネの右目はまぶたが閉じたままだった。そのまぶたの内側には、眼球カメラが無かった。左目もレンズが曇り、焦点の調整もおぼつかない。人工毛髪は殆ど無くなり、わずかに残った髪も経年劣化から、触れば粉々に砕けてしまいそうだった。

 両足はギクシャクと動きが悪く、引きずるように上半身を大きく揺らしながら歩く。倒れないのが不思議なくらいだった。

 両腕は特に損傷が酷く、人工皮膚はまったく残っていなかった。剥き出しの機械の腕にはさびが浮き、腐蝕ふしょくの進んだ指は第一関節や第二関節から先が無くなっていた。


 ――――もう、天藍テンランさまを抱きしめて生体情報をスキャンすることも出来ない……。


 至るところで回路の通電が阻害されてしまって、記憶メモリの磁性体の劣化が進んでいた。以前から発生していた不良セクタは、もはやシステムを正常に動かせないレベルだった。エラーを出さずに正常に動くプログラムのほうが珍しかった。

 この状態で天藍テンランたちの帰還を待つという、自分のミッションを見失っていないのは奇跡だった。

 当然、顔認識システムは作動していない。


 ――――それでも。天藍テンランさまを見つける。


 男性か女性か、大人か子どもか。顔認証システムが作動していなくとも、そのぐらいは判別できる。であれば、親子二人連れで、男性の大人と女性の子どものペアで降りてくる人を探せば良いのだ。


 宇宙船「大乗ダイジョウ」からシャトルが、ここバンクーバー国際空港にも到着した。到着ロビーに、続々と人が流れ出てきた。五千年ぶりに見る人間たち。出迎えのアンドロイドはアネモネだけだった。

 人々は久しぶりの地球の景色が珍しいのか、ナノマシーン兵器の脅威が残ってやしないかと不安なのか、キョロキョロとあたりを見渡している。そして、ロビーの中央で膝立ちで祈りを捧げるような姿で出迎えるアネモネを遠巻きに避けていく。


 アネモネは、そんなことにはお構いなしに、天藍テンランがゲートをくぐって現れるのを待っていた。

 なにしろ、アネモネは、のだから。


 しかし。天藍テンランはいくら待っても現れなかった。


 ――――見落とした?


 十歳前後の女の子は一人も居ない。顔認識システムが使えなくても、十歳の女の子を見落とすはずがない。ということは、このシャトルには乗っていなかったということになる。同じ空港へ向かう二便目のシャトルがあるとの案内はない。別の空港へ向かうシャトルに乗ってしまったのなら、連絡を待つしかない。

 アネモネが《逡巡》と《焦り》を覚えながら、ゲートを見守っていると、とうとう最後の乗客がゲートをくぐって出てきた。電動車椅子に乗った少し白髪の混じる年配の女性だった。天藍テンランは、どこにもいなかった。


天藍テンランさま……」


 アネモネをこれまで辛うじて動かしていた最後の糸が、プツリと切れた。アネモネの《全力》が、枯れてしまった。


天藍テンラン……さ……ま……」


 アネモネはゆっくりと頭を垂れ、目からは光が失われ……そしてとうとう、動かなくなってしまった。


 ✿✿


 なんという皮肉な運命だろうか。最後にゲートをくぐって出てきた少し白髪の混じる年配の女性。年を重ねて尚、失われないあおく輝く双眸そうぼうの輝き。彼女こそが、天藍テンランだった。


「……アネモネ?」


 紫色の布の塊に近づきながら、半ば不安げに、半ば確信をもって呼びかけたものの……反応はなかった。布の塊の中には動かなくなったアンドロイドがいた。女性型ではあるが、アネモネとは限らない。しかし、天藍テンランは、それがアネモネのような気がした。


 ――――いつから、ここで?


 まさか今のいままで、アネモネが天藍テンランの帰りを待っていたとは思いもしなかった。随分前からここでこうして動かなくなったまま、待ち続けていたんだと、そう思えるほどに、布に包まれて、うずくまるアンドロイドはボロボロだった。


 ――――きっと、私を待っていてくれたのよね。


「アネモネ。紫色のお洋服、似合ってるよ。ただいま」


 天藍テンランは、車椅子から腕を伸ばし、そっとアネモネ塊を抱きしめた。

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