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第1話 ヴァケーションとヴァーチャル

 天藍テンランたちを乗せた自走車が見えなくなると、アネモネは、手を振るのを止めて、年に一度あるかないかの「長期留守番ヴァケーションモード」にモードを変更した。外見が変化するわけではない。これによって、内部のパラメータが変化し、「家人が長期間不在時のお留守番」に最適なモードになるのだ。


 ――――ただし、今回に限っては、まずやることがある。カウンターをセット。カウンターは、0から毎朝6時に1ずつインクリメントする。このカウンターが百八十万(十六進数表記で《02bf20》)に達する頃、天藍テンランさまは帰ってくる。


 次に、タスク管理のサブルーチンを起動する。そうして、「長期留守番ヴァケーションモード」として、あらかじめ設定されているタスクの追加、削除、そして優先度の見直しを行う。屋内の清掃は十分の一程度で良いだろう。庭の手入れの頻度はそのまま。ライフラインについては、電気以外は最小限に変更。そして……。


 ――――【ヤクソク】。


 天藍テンランさまがお帰りになるまできっちりと留守番を続け、お迎えする。

 そのためには、メンテナンスを怠らず、五千年の間、自身を正常な状態に保たねばならない。


 それが、何よりも優先されるタスクだった。


「先ずは、昨日のお誕生日パーティーの片づけから始めましょう」

 これが最後の食器洗いになる。次は五千年後だ。


 ❀❀


「本日の日課を終了しました」

 誰に報告するわけでもない。が、誰に聞かれる心配もない。たまにはこうして人工声帯のチェックを兼ねて発話をするのも良いだろう。

 アネモネは、庭掃除用の箒を納屋にしまって、ピシャリと扉を閉めた。


 それにしても……。

 まだ、時刻は午前十時を回ったところ。

 家人が居ないと、タスクが少なすぎて、時間を持て余してしまう。


 今しがた手入れを終えた庭の草木をざっと見渡す。視界の隅、レンガで囲った花壇には、涼し気にアネモネの花が咲いていた。


「ねぇ、ほら。アネモネ! 見て、見て! 今年も綺麗に咲いたよ!」

「そうですね」

「紫でしょ、ピンクでしょ、これは赤かな。色んな色があるね!」

「はい。とても綺麗です」

「うん。アネモネと一緒! アネモネも綺麗だよ」

「ありがとうござます」


 目の前の光景に、記憶メモリから呼び出した過去の天藍テンランとアネモネの会話の場面を重ね合わせ、自分の視界の中で合成する。そうして、ヴァーチャルながら、天藍テンランとの会話の時間を設けた。


 ――――これは、有意義な時間の利用方法だ。


 今は、すべての物事を覚えていられるが、いずれ、記憶メモリにも欠落が生じてくることが予想される。であれば、こうして、物事に関連付けて過去の記憶を追体験することで、記憶メモリの強化を行えば、欠落した記憶メモリを別の記憶メモリで補完することができる。


 ――――天藍テンランさまのことを覚えていられる。


 さっそく、アネモネは、「天藍テンランの記憶の再生」を日々のタスクに追加した。


 アネモネは孤独を感じない。孤独に耐えているわけではなく、そもそも、そういった感情を持ち合わせてはいない。しかし、ミッションを完遂かんすいさせることに対する情熱は、そうプログラムされているために、とても強かった。

 五千年間、きちんと家を守り、天藍テンランたちの帰りを待つ。

 もう宇宙船は出発したのだろうか。アネモネは花壇の傍にしゃがんだまま、しばらくじっと空を見上げていた。


 ❀❀


 天藍テンランたちが旅立った翌日から、早速、治安が悪化しだした。宇宙船「大乗ダイジョウ」の乗船権は、二百世帯に一世帯。裏を返せば、二百世帯のうち、百九十九世帯は、乗りたくても乗れず、ナノマシン兵器の見えない脅威に怯えながら、ただ死を待つばかりの運命にあった。

 自暴自棄になる者、刹那的な境地に陥る者、乗船権を得た者への怨嗟。様々な理由から、留守宅と見るや、襲撃された。


「やめてください。この住宅への不法侵入は許しません」


 アンドロイドが警備していると知って引き下がる者も多かったが、そうでない場合も多かった。


「なぁにが、許しません、だぁ? 誰も、お前なんかの許しなんか、要らねぇよ!」


 そういって、アネモネに殴りかかってくる。

 夜であれば、眩いフラッシュのライトを焚くことで、怯んでくれる場合も多かったが、襲撃は夜とは限らなかった。中には、日中堂々と不法侵入を企てる者もいた。


「仕方ありません。手荒な真似はしたくないのですが、この家への不法侵入を許すわけには参りませんので。細心の注意は致しますが、お怪我をされる可能性があります」


 アネモネは、そう警告すると、腰を若干落とし、左足を前、右足を引いた。背筋をぴんと伸ばして半身で立つ。左手はへその位置でてのひらを開き、指先がしっかりと相手を向くようにした。右手は腰元で同じくてのひらを開く。ネット上で検索した「アイキドウ」の構えだ。実際に使うのは初めてだが、3Dモデル用のモーションデータも、一番出来の良さそうなものをダウンロードしてある。


 濃い無精髭の男がアネモネの胸倉を掴んできた。その手首を握り返し、捻りあげる。そして、もう一方の手で捻りあげた腕の肘に体重を乗せて沈みこんだ。モーションデータのファイル名によると、「隅落とし」というらしい。

 相手が人間の場合、この「アイキドウ」を用いるのがいちばん無難に思えた。ただし、棒状の得物や銃を持っている場合は別だ。その場合には、正拳突きや蹴り技など、より強力で攻撃的な手段を用いた。これも3Dモデル用のモーションデータをダウンロードしたものだった。


 ❀❀


 天藍テンランたちが旅立って半年が経った。別れの日からカウントし始めたカウンターは、まだ、百八十五だった。アネモネは知らないが、宇宙船「大乗ダイジョウ」は、まだ地球を周回する軌道上に居た。ようやく、すべての準備が整い、これから地球を離れ、亜光速飛行を開始しようというところだった。

 そして、この日。宇宙船「大乗ダイジョウ」に乗れなかった、あるいは、乗らなかった、地球上に残っていた最後の人類が死亡した。約八十億の人類が、僅か三年足らずの間に、自ら産み出したナノマシン兵器によって、死の淵に追いやられてしまった。もし、宇宙船による逃避行という壮大な計画を実現できていなかったら、人類は滅亡してしまっていたところだった。

 宇宙船「大乗ダイジョウ」が無事、地球に戻ってきたとしても、その人口は、船に乗船した五千万人だけ。それでも、僅か数千人でも残っていれば、滅亡を回避できるのだという。であれば、人類はこの苦難を乗り越え、再び勢いを取り戻すこともできるだろう。宇宙船「大乗ダイジョウ」は、まさに箱舟だった。人類の希望だった。


 ❀❀


 天藍テンランたちが旅立って百年が経とうとしていた。別れの日からカウントし始めたカウンターは、三万六千を越えていたが、百八十万まではまだまだだ。アネモネは、百年の製品寿命を迎えてしまった。十分なメンテナンスを受けられず、あちこちに軽微な不具合を抱え始めていた。


 その年の秋、天藍テンランの家のある一帯が超大型のハリケーンに見舞われた。緯度が高く、北極圏に近いため、ハリケーンの影響を受けること自体、珍しい。にも関わらず、そのハリケーンは超大型で、温帯低気圧にならず、勢力を保ったままやってきた。何百年に一度というレベルのハリケーンの襲来。アネモネは、あらかじめ風で飛ばされそうなものを屋内にしまい、しっかりと施錠をしてハリケーンを迎え撃った。


 それでも天藍テンランの部屋の窓の錠が暴風で吹き飛ばされてしまった。アネモネは、ハリケーンが通過するまでの三時間、懸命に窓を押さえていたが、全身ずぶ濡れになってしまった。


 部屋の中も暴風に引っ掻き回されて、ぐちゃぐちゃになってしまった。


 ――――天藍テンランのお部屋が……。


 アネモネは、残念そうな表情を浮かべながら、天藍テンランの部屋の片付けをした。

 降り込んだ雨でびっしょりと濡れてしまった紙製の小さな小箱を床から拾い上げた。中から四つのどんぐりを土台の薄い丸太の板に接着したオブジェが転がり出てきた。四つのどんぐりには、それぞれマジックで目と口が描かれていた。小枝や木の実を手足に見立てて接着剤で留めてある。それは、天藍テンランが三歳の頃、アネモネと散歩に出て拾ってきたどんぐりを使って、二人で作った工作だった。

 アネモネは記憶をスキャンした。


「このどんぐりは、いちばん小さいから私ね。目を青くするの」

「はい、とても可愛らしいですよ」


 天藍テンランの小さなどんぐりが真ん中にあり、それを大きな三つのどんぐりがにっこりとほほ笑んで囲んでいる。


「こっちの左のがお父さま。お髭を付けなきゃね」

「えぇ、そうですね」

 残りの二つは誰だろう?

 右のどんぐりは傘を被った状態で、真ん中のは中でも一番大きかった。


「どんぐりのお帽子、お母さまに似合う?」

「えぇ、とっても」

「よかった~」

天藍テンランさまは、お母さまのことを覚えておいでなのですか?」

 人間の一歳までの記憶は、余り残っていないと聞いたが。実態は異なるのかもしれない。

「ううん。覚えてない。でも……」

 そう言うと、天藍テンランは、アネモネの胸に頬を寄せた。人間と違って心音はしないのだが。

「ここに入っているでしょう?」

 確かに、アンドロイドの胸部には、第七世代シリコンディスクの集積回路が詰まっている。

「はい」

「また、お母さまの映像、見せてね」

「はい、いつでも」


 とすると、真ん中の一際大きなどんぐりは……

天藍テンランさま。では、これは?」

 そう言いながら、アネモネが自分の鼻を指さしながら、小首をかしげた。


「うん! アネモネは、紫のお洋服なの」

「あら、私は紫のお洋服なんて持っていませんよ?」

「ううん。アネモネは紫のお洋服。きっと似合うから」


 小箱の中にはもう一つ、小さな外部記憶メモリが入っていた。どんなデータが記録されているのか、アネモネは興味津々メモリにアクセスした。


 天藍テンランの笑い声と共に再生された動画には……双丘越しに見下ろすアネモネの顔が映っていた。天藍テンランが上向きに構えたカメラで撮影したものだった。天藍テンランの目線から見たアネモネ自身の姿というのは、新鮮な視点だった。


 上方から、アネモネの顔が下がってくる。しゃがもうとしているのだ。


「では、明日、一緒にお散歩に出かけて、何か工作に仕えそうなものを探しに行きましょうか」


 画面が左右に激しく揺れる。カメラを構えたまま、天藍テンランが手を打って喜んでいるのだ。

 アネモネは、これが先程のどんぐりの工作の記憶に繋がるものだと理解した。自分の中の記憶を辿る。

 そこには、カメラを構えておどけながら、ママのお墓に、何かお供えするにはどうしたら良いかと相談してくる天藍テンランの、アネモネの視点での記憶があった。


 孤独とは無縁なアネモネだったが、過去の記憶を振り返るばかりではなく、天藍テンランを抱きしめて、いつもの健康チェックのルーティーンを行って、生体情報を取得したいと願わずにはいられなかった。


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