少女は、
「待っててね、アネモネ。ちゃんと、帰ってくるから。それまで、お留守番して待っててね!」
「えぇ、きっと。
少女がアネモネと呼んだアンドロイドは古風なメイド服のドレスに手を沿わせて、皺を作らないよう気を付けつつ膝を折り、少女の目線で笑顔を作った。
「きっとよ! ヤクソクなんだから!」
――――ヤクソク。
その言葉を引き金に、アネモネは
「ん……、うん……」
「奥さま、大丈夫ですか?」
「大丈夫。伸びをしてるのかしらね。すっごく突っ張ってる」
「痛くはないのですか?」
「痛いのとはちょっと違うわね。でもすごく突っ張ってて。ふふふ。元気だわ」
短い夏の昼下がり。都市部の
「アネモネ、ほら触ってみて」
「え? 奥さま、よろしいんですか?」
アネモネは、軽い驚きと嬉しさの入り混じった表情で《戸惑い》と《喜び》を表現し、さり気なく再度意思を確認した。アネモネは
こうしたアンドロイドには、出荷時点では感情と呼べるものは備わっていない。しかし、人とのコミュニケーションを円滑に行えるように、あらかじめ感情を持っているかのような仕草や表情を作る機能が備わっている。そして、コミュニケーションや経験の蓄積によって、感情に近いものをどんどん身に着けていく。
「もちろんよ」
「では、失礼します」
アネモネは、ニット地のゆったりとしたマタニティの上から、そっと女性の臨月の近い、大きなお腹に触れた。
――――母体:
――――胎児:命名前。性別は女児。心音良好。発育正常。状態安定。
アネモネは、備わったセンサーでデータを収集すると同時に、ホームドクター用のデータベースにアクセスし、センサーで収集したデータを照会し、母子共に健康であることを確認した。
――――母子共に良好。
「「あ……」」
二人は同時に声を発した。
「うふふ。あなたにも、分かった?」
「はい、しっかりと。私にも赤ちゃんが動いたのがわかりました」
銀色に近い薄紫のセミディ(セミロングとミディアムの間ぐらいの長さ)の髪。ぎりぎり鎖骨に触れない長さのナチュラルウェーブの人工毛。同じく銀色に近い薄紫のつぶらな目。覗き込むと、瞳孔の代わりに奥にカメラのレンズが見える。全体的に幼い顔立ちで、使用者が引け目を感じるような美人でも、欲情をそそられるような艶っぽさでもない。しかし、引き込まれるような笑顔には、愛嬌があり、人の心を和ませるものがあった。
「凄いです」
そう言うと、アネモネは、ぱちぱちと
眼を涙によって保護し、乾燥しないようにする必要のないアンドロイドにとって、
外見や動作が「人間にきわめて近い」だけではだめで、「人間とまったく同じ」と感じられるアンドロイド。そうして、はじめてアンドロイドは人間の日常生活を支えることができる。
アネモネは、至るところにレースのあしらわれたゴシック風のキュートなメイド服に身を包んでいた。148センチという低身長も相まって、妹の誕生を心待ちにするお姉ちゃんといった風情だ。
運搬用など、アンドロイドの用途に寄ってはもっと大型の場合もあるが、
「あら、このお紅茶、とても美味しいわ。マカロンにもよく合うし」
「ありがとうございます。今日は苺のマカロンをご用意いたしました。マカロンの香りを楽しんでいただけるよう、紅茶の香りは少し控えめになるようブレンドしています」
女性が紅茶と苺のマカロンを楽しんでいる間、アネモネは、ルーティーン通り、女性の背後の壁ぎわに静かに立っていた。
「アネモネ。そんなところに立つのは
「はい、奥さま」
こうして、アヴル家にやってきて半年のアネモネは、まだまだ一つ一つ、その家のルールを学んでいるところだ。使用者のアンドロイドとの接し方、距離感は人ごとにまちまちだ。アンドロイドは家庭内でのルールをそうして覚えていくのだった。
ガシャン!
ティーカップが床に打ちつけられて割れる音と同時に、女性が悲痛な声をあげた。
「あっ! あああっ!」
「奥さま!」
すかさず駆け寄りながら、アネモネは状況を分析する。破水だ。予定日より早いが無い話ではない。アネモネは内蔵の通信モジュールからコールを発信し、自走車を一台、「緊急度:高」で呼び寄せた。
破水から三日を要する難産ながら、子どもは無事に産まれた。産まれた子どもは、母親譲りの東洋人の顔立ちと、父親譲りの真っ青な目を持つ女の子だった。特にキラキラと
しかし、産後の肥立ちが悪く、母体の回復は思わしくなかった。
「アネモネ。どうか、この子の生涯を、私の代わりに、あなたが見守ってちょうだい。私には出来なかったあの子の未来を……」
「奥さま。はい。必ず」
「約束よ……」
「分かりました。お約束いたします」
臨終の際に、
✿✿
「きっとよ! ヤクソクなんだから!」
――――【約束】。可能な限り、守るべき優先度の高い指示、目標。
アネモネの膝に
――――呼吸正常。脈拍正常。体温正常。血行良好。外傷なし。
スキンシップ中の通常ルーチン。アネモネはいつものように
――――
「さあ、
「はい、お父さま。じゃあね、アネモネ。五十年なんてあっという間よ。コールドスリープで一眠り。そうしたら、また会えるんだからね!」
父親に手を引かれて自走車へと向かいながら、
――――奥さまと交わした【約束】。
しかし、以後は、
アネモネは、
そう。
しかし、残されるアネモネにとっては……地球では、その間に五千年の時が流れることになるのだった。
アンドロイドにとっても五千年は長かった。製品寿命は百年ほど。なので、五千年の時を越えて、