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恋する五千年前
恋する五千年前
潯 薫
SF空想科学
2024年12月20日
公開日
3万字
完結済
第四次世界大戦中に散布されたナノマシン兵器は、戦争終息後も人類を脅威に陥れていた。
無秩序に暴走するナノマシン兵器の脅威を逃れるには、一時的に地球を離れる以外に方法がなかった。
十歳の誕生日を迎えたばかりの天藍《テンラン》も、大好きなアンドロイドのアネモネを地球に残し、両親と共に宇宙へと旅立った。亜光速の宇宙船で約五十年かけて地球へと戻ってくる航路。その間、殆どの時間をコールドスリープ状態で過ごすため、少女にとっては、あっという間。
 しかし、その間アネモネは地球で五千年の時を過ごすことになるのだった。製品寿命、約百年のアンドロイドにとっても、五千年は長かった。天藍《テンラン》との「ヤクソク」のため、孤軍奮闘し、少女の帰りを待つアネモネだったが……。
 五千年の時を越え、人とアンドロイドの垣根を越えて紡ぐヒューマンドラマ。
 ラストシーンは、執筆しながら涙が止まらなかったのは、秘密。

第1話 約束とヤクソク

 少女は、無垢むく故のひたむきさをもって、小さな体の全てで、表情で、特にキラキラとあおく輝く双眸そうぼうで、目の前のアンドロイドを見上げ、熱心に話しかけた。


「待っててね、アネモネ。ちゃんと、帰ってくるから。それまで、お留守番して待っててね!」

「えぇ、きっと。天藍テンランさま。お帰りをお待ち申し上げております」


 少女がアネモネと呼んだアンドロイドは古風なメイド服のドレスに手を沿わせて、皺を作らないよう気を付けつつ膝を折り、少女の目線で笑顔を作った。


「きっとよ! ヤクソクなんだから!」


 ――――ヤクソク。


 その言葉を引き金に、アネモネは記憶メモリの検索を行った。そして、十年前の……天藍テンランが産まれた日のことをストレージからキャッシュ上に展開した。それは人間の回想に相当する。


「ん……、うん……」

「奥さま、大丈夫ですか?」

「大丈夫。伸びをしてるのかしらね。すっごく突っ張ってる」

「痛くはないのですか?」

「痛いのとはちょっと違うわね。でもすごく突っ張ってて。ふふふ。元気だわ」


 短い夏の昼下がり。都市部の喧噪けんそうからは、少し離れた郊外の住宅街の、そのまた外れの一軒家。アネモネはテーブルに一人分のアフタヌーンティーの用意を整えていた。カフェイン抜きの紅茶とハーブティーのブレンド。料理データベースのデータを頼りに初めて試すブレンドだ。気に入ってもらえると良いのだが。


「アネモネ、ほら触ってみて」

「え? 奥さま、よろしいんですか?」


 アネモネは、軽い驚きと嬉しさの入り混じった表情で《戸惑い》と《喜び》を表現し、さり気なく再度意思を確認した。アネモネはHAAホームアシスタントアンドロイドに分類されるアンドロイドだ。老人や重い病の人、共働きで子どもの世話人が欲しい人、そして出産を控え身重な家族を一人家に残さねばならない人。そういうヘルパーを必要とする家庭で導入する人が増えてきていた。

 こうしたアンドロイドには、出荷時点では感情と呼べるものは備わっていない。しかし、人とのコミュニケーションを円滑に行えるように、あらかじめ感情を持っているかのような仕草や表情を作る機能が備わっている。そして、コミュニケーションや経験の蓄積によって、感情に近いものをどんどん身に着けていく。


「もちろんよ」

「では、失礼します」


 アネモネは、ニット地のゆったりとしたマタニティの上から、そっと女性の臨月の近い、大きなお腹に触れた。


 ――――母体:ケイ・アヴルさま。出産予定日まであと五日。呼吸正常。脈拍正常。体温正常。血行良好。外傷なし。

 ――――胎児:命名前。性別は女児。心音良好。発育正常。状態安定。


 アネモネは、備わったセンサーでデータを収集すると同時に、ホームドクター用のデータベースにアクセスし、センサーで収集したデータを照会し、母子共に健康であることを確認した。


 ――――母子共に良好。


「「あ……」」


 二人は同時に声を発した。


「うふふ。あなたにも、分かった?」

「はい、しっかりと。私にも赤ちゃんが動いたのがわかりました」


 銀色に近い薄紫のセミディ(セミロングとミディアムの間ぐらいの長さ)の髪。ぎりぎり鎖骨に触れない長さのナチュラルウェーブの人工毛。同じく銀色に近い薄紫のつぶらな目。覗き込むと、瞳孔の代わりに奥にカメラのレンズが見える。全体的に幼い顔立ちで、使用者が引け目を感じるような美人でも、欲情をそそられるような艶っぽさでもない。しかし、引き込まれるような笑顔には、愛嬌があり、人の心を和ませるものがあった。


「凄いです」

 そう言うと、アネモネは、ぱちぱちとまばたきをした。

 眼を涙によって保護し、乾燥しないようにする必要のないアンドロイドにとって、まばたきは、カメラの視野を一瞬ふさぐだけの無意味な動作だ。しかし、まばたきをしないと、人間は、「不気味の谷」現象と呼ばれる強い嫌悪感を覚えてしまう。

 外見や動作が「人間にきわめて近い」だけではだめで、「人間とまったく同じ」と感じられるアンドロイド。そうして、はじめてアンドロイドは人間の日常生活を支えることができる。


 アネモネは、至るところにレースのあしらわれたゴシック風のキュートなメイド服に身を包んでいた。148センチという低身長も相まって、妹の誕生を心待ちにするお姉ちゃんといった風情だ。

 運搬用など、アンドロイドの用途に寄ってはもっと大型の場合もあるが、HAAホームアシスタントアンドロイドの場合、身長は一律148センチと決まっていた。少し小柄な体型なのは、人に対して威圧感を与えることなく、家庭内でのサポートに支障のないサイズとして規格統一されているからだ。


「あら、このお紅茶、とても美味しいわ。マカロンにもよく合うし」

「ありがとうございます。今日は苺のマカロンをご用意いたしました。マカロンの香りを楽しんでいただけるよう、紅茶の香りは少し控えめになるようブレンドしています」


 女性が紅茶と苺のマカロンを楽しんでいる間、アネモネは、ルーティーン通り、女性の背後の壁ぎわに静かに立っていた。


「アネモネ。そんなところに立つのはして。こちらでお顔の見えるところでお話ししましょう」

「はい、奥さま」


 こうして、アヴル家にやってきて半年のアネモネは、まだまだ一つ一つ、その家のルールを学んでいるところだ。使用者のアンドロイドとの接し方、距離感は人ごとにまちまちだ。アンドロイドは家庭内でのルールをそうして覚えていくのだった。


 ガシャン!


 ティーカップが床に打ちつけられて割れる音と同時に、女性が悲痛な声をあげた。

「あっ! あああっ!」

「奥さま!」


 すかさず駆け寄りながら、アネモネは状況を分析する。破水だ。予定日より早いが無い話ではない。アネモネは内蔵の通信モジュールからコールを発信し、自走車を一台、「緊急度:高」で呼び寄せた。


 破水から三日を要する難産ながら、子どもは無事に産まれた。産まれた子どもは、母親譲りの東洋人の顔立ちと、父親譲りの真っ青な目を持つ女の子だった。特にキラキラとあおく輝く双眸そうぼうは特徴的で、両親は宝石のラピスラズリにあやかって、天藍テンランと名付けた。


 しかし、産後の肥立ちが悪く、母体の回復は思わしくなかった。産褥さんじょく熱がなかなか取れず、腹痛と頭痛と腰痛に長い間、苦しめられた。出産で奪われた体力も回復しないまま病床から起き上がることもできず、天藍テンランの母親は、娘の一歳の誕生日を待たず、亡くなってしまった。


「アネモネ。どうか、この子の生涯を、私の代わりに、あなたが見守ってちょうだい。私には出来なかったあの子の未来を……」

「奥さま。はい。必ず」

「約束よ……」

「分かりました。お約束いたします」


 臨終の際に、天藍テンランを抱きかかえた父親と一緒に立ち会ったアネモネに、母親は静かにそう話したのだった。


 ✿✿


「きっとよ! ヤクソクなんだから!」


 ――――【約束】。可能な限り、守るべき優先度の高い指示、目標。


 アネモネの膝に天藍テンランが飛び込んできた。アネモネの胸に顔をうずめ、小さな両手をいっぱいに広げて抱きつく。アネモネは回想を打ち切り、少女をしっかりと、優しく、包み込むように受け止めた。


 ――――呼吸正常。脈拍正常。体温正常。血行良好。外傷なし。


 スキンシップ中の通常ルーチン。アネモネはいつものように天藍テンランの生体情報を収集し、記録し、ホームドクター用のデータベースにアクセスした。


 ――――天藍テンランさまの健康状態、良好。


「さあ、天藍テンラン、行くよ。低軌道シャトルは時間通りに出発する。待ってはくれないからね」

「はい、お父さま。じゃあね、アネモネ。五十年なんてあっという間よ。コールドスリープで一眠り。そうしたら、また会えるんだからね!」


 父親に手を引かれて自走車へと向かいながら、天藍テンランは何度も何度も振り返り、屈託のない笑顔でアネモネに向かって手を振った。


 ――――奥さまと交わした【約束】。天藍テンランさまを見守り続けるという【約束】。その約束は本日以降は叶えられない……以後、天藍テンランさまのそばに居てさしあげることが出来なくなってしまった。ならばこそ、天藍テンランさまと交わした【ヤクソク】は守らなければ。奥さまとの【約束】。そして天藍テンランさまとの【ヤクソク】。……必ず。

 しかし、以後は、天藍テンランさまからの指示を受け難い状況となることが予想される。天藍テンランさまとの【ヤクソク】を守るためには、かなり優先度の高い指示としてタスク管理する必要がある。


 アネモネは、天藍テンランと父親を乗せた自走車が見えなくなるまで、ずっと手を振り続けた。


 そう。天藍テンランにとっては、僅か五十年。しかもコールドスリープで一眠りするだけ。だから、天藍テンランにとってはその五十年すらも、体感では数日の出来事にすぎないだろう。

 しかし、残されるアネモネにとっては……地球では、その間に五千年の時が流れることになるのだった。

 アンドロイドにとっても五千年は長かった。製品寿命は百年ほど。なので、五千年の時を越えて、天藍テンランの帰りを待つというのは、非常に過酷な試練なのだった。

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