目次
ブックマーク
応援する
3
コメント
シェア
通報

第五話 吾桑絹依 弐

 父の帰りを待つ間、絹依きぬえの提案で、義弟おとうとに花冠を贈ることにした。絹依と母は色とりどりの花を摘み、庭園の端に設置してあるガーデンテーブルの椅子に座り、花冠を作ることに没頭していた。

 アイアン製の白いテーブルの上には、紫色の可憐な花をつけたラベンダーの他に、透けるような白い花弁が愛らしい小花のポテンティラ。淡い黄色の八重咲きの木香もっこう薔薇と、矢車状に咲いた青紫色のヤグルマギクに、野花のシロツメクサやヒメジョオンがところ狭しと置いてある。

 絹依は、器用に手際よく花冠を作っていく母の手元を見ながら、四苦八苦と花々を編み込んでいく。

 れど、生来手先が不器用な絹依は、ことごとく失敗を繰り返してばかりであった。絹依は、いじりすぎて萎びてしまった不格好な花冠をまじまじと眺め、がっくりと肩を落とした。


「……お母様。わたくし、花冠を作る才能がないみたいですわ」

「おかしいですわねぇ……絹依さんの手は、美しい花を育てる妖精の手だというのに」


 頬に手を当てて首を傾ける母の手には、売り物になりそうな程、素晴らしい出来の花冠が握られている。絹依は唇を尖らせて、其れを横目に見ると、再び深いため息を吐いた。普段は褒められて嬉しい『妖精の手』も、目の前にある無惨な姿の花冠を見れば、ただの嫌味にしか感じない。もちろん、母にそのつもりがないということは、絹依も重々承知の上だが。

 もう一度挑戦してみよう、と絹依がラベンダーに手を伸ばすと、玄関扉から女中の千代子が現れた。紫と白の矢絣やがすり柄の着物の上に、白いエプロンを着ている千代子の手には、二人分のティーカップとソーサーが乗った盆があった。其れを見た絹依の顔に生気が戻る。休憩にしましょう、と元気に椅子から立ち上がり、千代子の元へ駆けていく真赤まあか振袖姿を見送った母は、おっとりと微笑んだのだった。



◆◇◆◇◆◇



「で、出来ましたわ……!」


 今までで一番上手く出来た――といっても、よれよれではあるのだが――花冠を手に、絹依はやりきったという顔をした。其の姿を微笑ましく見ていた母は、車が走ってくるエンジン音を耳にして、椅子に座ったまま門扉の方を振り返った。それにつられるようにして、絹依も門扉の方を見遣る。

 黒塗りの車が停車し、ほどなくして、父と鳥打帽子とりうちぼうしを被った少年が降りてきた。少年の顔こそ見えなかったが、帽子を被っていてもわかる金髪は、思わず感嘆の声が漏れるほど美しいものであった。


「なんて綺麗な金色の髪なの」


 絹依はほうっと息を吐いて、頬を桜色に染めた。運転手が門扉を開き、父と笑顔を浮かべた少年が、妖精の道を歩いてこちらにやってくる。――あの花の道は、父から贈られた洋書の影響を受けた絹依が、『fairy road妖精の道』を想像して作り上げたものであった。其の妖精の道を、まさに妖精のように美しく、愛らしい子が通っている。


「……お母様。わたくし、夢でも見ているのかしら?」

「あら。どうなすったの? 絹依さん」


 うっとりと少年の姿に見入っていると、蒼穹を思わせる青い瞳がこちらを見た。時を同じくして、母が椅子から立ち上がる。


「あなた、おかえりなさいませ」


 ハッとした絹依も、急いで椅子から立ち上がった。


「おっ……お父様、おかえりなさい!」


 母に続いて父に駆け寄ると、父はシルクハットを脱いで朗らかに笑った。


「ああ、ただいま。絹依。喜ぶといい。お前の義弟おとうとを連れて戻ったよ。――さあ、薫。こちらにおいで」


 父が手招きすると、陶磁器製の人ビスクドール形のように彫りの深く整った顔立ちをした少年――薫がおずおずと近づいてきた。絹依は高鳴る胸を押さえながら薫に歩み寄る。しかして堪らず、小さく柔い手を両手で握りしめた。


「あなたがわたくしの弟になるお方ですの?」


 絹依が話かけると、薫はふっくらとした頬を、桜桃さくらんぼ色に染めた。


「は、はい! 薫と申します!」


 ――なんてことだろう。声まで美しいではないか!


 ウグイスの鳴き声に似た、透き通った声音に陶酔し、ゆるゆると頬がゆるんで自然と笑みがこぼれる。


「わたくし、吾桑絹依あそうきぬえと申します。お友達には『ぬい』とも呼ばれておりますの。よろしかったら、『ぬい姉様』とお呼びになって!」


 いきなり図々しいだろうかと思いつつこいねがうと、まるで紅を塗ったみたいに血色の良い唇が、躊躇いがちにゆっくりと動いた。


「よろしくおねがいします。……ぬい姉様」


 水面みなもに水滴が落ちたかの如く美しく響いた声に、感極まって目頭が熱くなった。絹依は其れを誤魔化す為に、キッと父をめつける。


「お父様ったら酷いわ! かおくんがこんなに愛らしい子だなんて、わたくし聞いておりませんでした!」

「か、かおくん?」

「あら、いやだ。わたくしったら。薫さん。わたくし、薫さんのことを、『かおくん』とお呼びしたいの! ……駄目かしら?」


 少しあざとらしくお願いすると、薫は押しに弱いのか、こくこくと頷いてみせた。嬉しくて嬉しくて、絹依は、ぱあっと満面の笑顔になった。


「かおくん、お顔が真っ赤ですわよ? 照れていらっしゃるのね? ああ、なんて可愛らしいのかしら! かおくんみたいな、綺麗で愛らしい義弟おとうとができて、わたくしはとっても幸せですわ!」

「ぼ、僕も! ぬい姉様みたいな、美人で優しいお姉様ができて、とても幸せ者だなって思っています!」

「あら。それじゃあ、わたくし達は両思いですわね!」


 絹依が笑いかけると、薫も笑みを返してくれた。しかる間、母が花冠を取って戻ってきた。


「絹依さん。これを」

「あっ、そうでしたわ! かおくん。歓迎のしるしに、この花冠を受け取ってくださいまし」


 そう言って、鳥打帽を外し、代わりに花冠を乗せる。


「まあ! とっても似合うわ!」

「そ、そうですか?」

「ええ! とーっても! ……どうかしら? 気にいっていただけて?」


 薫は頭に乗った花冠を、さわさわと触ったのち、まろい頬を薔薇色に染めて、ふわりと花笑みを浮かべた。


「はい! とても気に入りました! ありがとうございます、ぬい姉さま!」

「うふふ。かおくんに喜んでもらえて、わたくし、とっても嬉しいわ!」


 こうして薫は、絹依の自慢の義弟になったのだった。



この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?