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徒花ー大正時代版ー
ANAMATIA
文芸・その他純文学
2024年12月19日
公開日
9,346文字
連載中
※不定期更新(ネオページオンリー)
※初めて、神視点に挑戦!

第一次世界大戦の終結を期に、西洋文化が定着し、大衆文化が花開いた時代。
――大正。
その頃おいに、白壁に蒼い屋根が美しい洋館を訪れた、一人の美しい少年がいた。
少年の名前は、麻生薫(あそうかおる)。
朝日に照らされた稲穂を彷彿とさせる黄金に輝く金髪と、夏の晴天のように美しい碧眼を持った、混血児(あいのこ)である。
没落寸前の傍系の貴族家から買い取られた薫は、義姉となる少女・吾桑絹依(あそうきぬえ)と対面する。
絹依は赤い振り袖を着て、ぬばたまの黒髪を背中に流し、一房だけ菫色のリボンを髪に編み込んだ可憐な少女だった。
「あなたがわたくしの弟になるお方ですの?」
小鈴の音に似た愛らしく響く声に、薫はふっくらとした頬を、桜桃(さくらんぼ)色に染めた。
「わたくし、吾桑絹依と申します。お友達には『ぬい』とも呼ばれておりますの。よろしかったら、『ぬい姉様』とお呼びになって」
おっとりと朗らかに笑う絹依に、薫は「よろしくおねがいします。ぬい姉様」と言った。
すると絹依は、心の底から嬉しいと言わんばかりに、太陽のような笑顔を見せた。
そのまばゆいばかりの笑顔に、薫の心は一瞬で奪われてしまった。
それは薫が、絹依に一目惚れし、生まれて初めて『愛』という感情を抱いた瞬間だった。
――穏やかに年が過ぎ、薫が十四歳、絹依が十六歳の頃。
絹依に、江戸川槍輔(えどがわそうすけ)という想い人ができてしまう。
槍輔は、色素の薄い茶色い髪とチョコレートのように甘い瞳をした、大日本帝国陸軍中尉の肩書を持つ偉丈夫だった。
そして、絹依と槍輔は婚約してしまう。
「ぬい姉様は、僕のものだ。誰にも渡さない」
愛する絹依を取り戻す為、薫は自分の容貌と身体で、槍輔を誘惑することを決意する。
果たして、薫の目論見通りに二人は婚約を破棄し、薫は絹依を手に入れることができるのだろうか?

この物語は、愛することで与えられ、愛することで失ってしまう、愛に翻弄される三人の登場人物の群像劇である。

第一話 麻生薫 壱

 第一次世界大戦の終結を期に、西洋文化が定着し、大衆文化が花開いた時代。


 ――大正。


 その頃おいに、白壁に蒼い屋根が美しい洋館――吾桑あそう伯爵邸を訪れた、一人の美しい少年がいた。少年の名前は、麻生薫あそうかおる。朝日に照らされた稲穂を彷彿とさせる黄金に輝く金髪と、夏の晴天のように美しい碧眼を持った、混血児あいのこである。

 没落寸前の傍系の麻生家から買い取られた薫は、アイアン製の柵や門扉に絡まる茉莉花ジャスミンの甘く爽やかな香りを感じながら、庭園に続く木香もっこう薔薇の淡い黄色と緑のアーチをくぐり抜けた。うっとりと陶酔感に浸っていると、アーチを抜けた先に、義姉となる少女・吾桑絹依あそうきぬえが母親と並び立っていた。絹依は赤い振り袖を着て、ぬばたまの黒髪を背中に流し、一房だけ菫色のリボンを髪に編み込んでいる可憐な少女だった。


「あなたがわたくしの弟になるお方ですの?」


 小鈴の音に似た愛らしく響く声に、薫はふっくらとした頬を、桜桃さくらんぼ色に染めた。


「わたくし、吾桑絹依と申します。お友達には『ぬい』とも呼ばれておりますの。よろしかったら、『ぬい姉様』とお呼びになって」


 おっとりと朗らかに笑う絹依に、薫は「よろしくおねがいします。ぬい姉様」と言った。すると絹依は、心の底から嬉しいと言わんばかりに、太陽のような笑顔を見せた。そのまばゆいばかりの笑顔に、薫の心は一瞬で奪われてしまった。それは薫が、絹依に一目惚れし、生まれて初めて『愛』という感情を抱いた瞬間だった。


 この当時、薫は十歳。絹依は十二歳であった。



◆◇◆◇◆◇



 没落寸前の麻生男爵家には『鬼の子』がいる。されども、その混血児あいのこは、大層見目よいと評判であった。 

 しかし母を殺して生まれてきた赤子は、祖父母に疎まれており、幼い頃から下男の扱いを受けて育った。この日もいつもと変わらず、炊事と洗濯を終わらせて、門扉もんぴの前を竹箒ほうきで掃いているところだった。すると、薫から少し離れた場所に、一台の車が停まった。薫は手を止めて、細部まで美しく磨き上げられた黒塗りの車に、ほれぼれと見入ってしまう。

 さて、薫の視線など構わず、真白ましろい手袋をした運転手が車を降りてきて扉を支える。次いで、後部座席から降りてきたのは、見るからに上等なスーツを身にまとい、ステッキを手にした壮年の男であった。男はシルクハットを被り、ぼんやりと佇立ちょりつしている薫を見た。男の黒々とした瞳と目が合った薫は、ハッと我に返り、鳥打帽とりうちぼうし目深まぶかに被った。


 ――見られてしまっただろうか? この忌々しい青い瞳を。


 薫は、難癖をつけられる前に謝ってしまおうと思い、竹箒を地面に置いて両膝をついた。視界の端に、黒光りする革靴のつま先が見えたので、今だ! と思い頭を下げようとした。が、何故か上体を倒すことができない。不思議に思ってのろのろと男を見上げると、男は人好きのする笑顔を浮かべて、薫の栄養失調気味でやせ細った肩を優しく叩いたのだ。

 薫は衝撃を受けた。この世には、混血児あいのこに対して温かく接してくれる人間ひともいるのだと、齢十にして初めて知った瞬間だった。

 男は薫を立ち上がらせて、むき出しの膝についた石粒や砂汚れを払ってくれる。こんなことをされたのは生まれてこの方初めてで、薫は対応に困ったが、結局されるがままでいた。薫はふと思う。父親とは、この男のように頼もしく、温かい手を持った存在のことをいうのではないかと。


「さあ、これで綺麗になった」

「……あの、ありがとう……ございます。旦那様」

「いいのだよ。君が突然ひざまづいた時は驚いたがね」


 茶目っ気のある言い方をされて、薫の頬は熟した林檎のように真赤まあかになった。ようやく見せた、薫の子供らしい表情を見て、男は満足げに笑みを浮かべる。


「ところで坊や。君の名前を教えてもらってもよろしいかね? 私は本家の吾桑あそう伯爵というのだが」


 まさか名前を聞かれるとは思っておらず、薫は焦って鳥打帽を脱いだ。さらりと陽光に照らされて、眩いばかりの見事な金髪がさらに輝きを増していく。薫は白い肌の眼窩がんかはまっている蒼穹の碧眼を、男――吾桑伯爵に向けた。


「ぼ、僕の名前は、麻生薫と申します。……もしや、何か粗相をしてしまいましたでしょうか?」


 名乗らされた理由が分からず、きっと何か別の理由で、叱責されるのだろうと思っていた。すると吾桑伯爵は身を低くして、薫の碧眼を覗き込んできた。吾桑伯爵の目尻には、笑い皺が深く刻まれており、ますます温かみを感じる薫であった。


「いいや。粗相などしていないよ。それよりも、薫くんは幾つになるのかな? 聞いてもいいかい?」

「はい。旦那様。僕は今、十歳でございます」

「十歳? ……もう少し幼く見えたのだが……身体つきのせいだろうか?」

「旦那様? いかがなさいましたか?」

「いいや、何でもないよ。……まだ幼いのにしっかりしているね。実に立派なことだ」


 吾桑伯爵は、ゆっくり持ち上げた手を薫の頭に置くと、よしよしと優しく撫でてくれた。これもまた、生まれて初めての経験で、薫はこそばゆいような気分になった。

 そうこうしていると、麻生家の邸の中から、草臥くたびれたスーツ姿の家令かれいが駆けってきた。それに気付いた吾桑伯爵は、背筋を伸ばしてステッキを持ち直し、運転手はお辞儀をしてから車に乗り込んだ。家令は門扉が側近くなると、ゆったりと歩いて、薫の側までやってきた。それから、薫の金髪を一瞥すると、忌々しげに右手を一振りしてみせる。家令の言わんとすることを察した薫は、ハッと自分の頭を触り、急いで鳥打帽を目深に被った。しかして、地面に伏せておいた竹箒を拾い上げようとして、吾桑伯爵に待ったをかけられた。


「私は本日、訪問の約束をしている吾桑だが……君は家令かね?」


 吾桑伯爵に声を掛けられて、慌てふためいた家令は、深々と頭を下げた。


「お出迎えが遅れまして申し訳ございません」

「ああ。それは構わない。……だが家令よ。麻生家が資金繰りに苦しんでいると話には聞いていたが、もしや、使用人もまともに雇えなくなっているのかね?」

「はい? それはどういう……」

「私の目に異常がなければ、下男の仕事をしているこの子は、麻生家の次期ご当主に見えるのだが?」


 吾桑伯爵の鋭い指摘に驚いたのは、家令だけでなく、話の中心人物である薫もだった。だらだらと脂汗を流し始めた家令を無視して、吾桑伯爵はステッキの持ち手ハンドルで車の窓をコツコツとつついた。すると車の中から、小型の手提げ鞄アタッシュケースを持った運転手が降りてきて、その鞄を家令に押し付けた。ずっしりと重い鞄を抱えて、家令は目を白黒させる。


「そこに約束の額が入っている。これで麻生家は薫の親権を手放したことになる。すぐに弁護士がくるだろうから、出された書類にサインを頼むよ」


 吾桑伯爵は家令に背を向けて、シルクハットを軽く持ち上げ、被りなおした。然して、ぼんやりしていた薫だったが、薫の紅葉のような手を吾桑伯爵が握ったことで我に返る。


「い、いけません、旦那様!」

「何がだい?」

「僕のような者に触れると不幸になります!」


 必死で叫んだ薫の言葉を聞いて、吾桑伯爵は声を上げて快活に笑った。


 ――この御方は何故笑うのか。不幸が恐ろしくはないのだろうか?


 薫が心中で不思議がっていると、吾桑伯爵は目尻に溜まった涙を拭い取り、太陽のように晴れやかに笑った。


「薫くん。君は、我が家に、幸運をもたらしてくれる子なのだよ」

「えっ?」

「はははっ! 話は道中、車内で話そうではないか。さあ、車に乗り給え」

「は、はあ……」


 こうして薫は、虐げられ続けた麻生家から解放され、温かな吾桑家へと迎え入れられたのである。


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