普段、化粧はわりと薄い方だと思う。
濃いめの化粧が似合わないことに加え、人前に出て失礼にならなければOKという手抜き基準の元生きていることもあり。
そんな私でも、プロの手にかかれば化粧の力を実感することができるらしい。
「すごい……何だかツヤ感が」
化粧に加え、ヘアセットもして貰って、律さんに買ってもらったドレスに身を包む。
そうして鏡の前に立つと、まるで別人になったかのようだった。
左手の薬指には輝くダイヤ。
前よりはこの指輪に相応しい人間になれただろうか。
全ての準備を終えて、律さんの元へ向かう。
「お待たせしました」
私の声に、律さんが顔を上げる。
「……綺麗だな」
少し目を丸くして、律さんが呟いたその言葉が、まるで率直な本心が零れたかのように聞こえて。
「あ、ありがとうございます……っ」
かぁっと頬が熱くなるのを自覚した。
この人の前だと私、赤くなってばっかりだ。
いけないいけない、ちゃんと気を取り直さないと。
「行こう」
「……はい!」
だって今日はパーティー当日。
“早川律の婚約者”という重大なお役目があるのだから。
パーティーは高級ホテルのワンフロアが貸切られ、立食形式で行われるようだ。
「音、手を」
聡子さんへ挨拶に行った後から、律さんは普段から私を名前で呼ぶようになった。
私もそれに倣い、少しずつ名前呼びに慣れてきている今日この頃。
差し出された律さんの手をとり、エスコートされながら会場に入った。
「ねえ見て……!」
「あれはGliateの社長と……隣の人は?」
途端に集まる人々の視線。
ひそひそと囁きあう声。
「どうして早川社長が女性を連れてきているの?」
主に女性からの視線が……とても痛いです。
これまで女性を寄せ付けず、冷徹社長と呼ばれてきた人が、急に見知らぬ女を連れて現れた。
当然注目を浴びるだろうとは思っていたけれど、まさかここまでだなんて。
「社長」
ヒールの音を鳴らしながら、女性二人組がこちらに近づいてくる。
「お待ちしておりました。
……それで、そちらの方が社長の……?」
長い髪は綺麗に巻かれ、甘い香水の香りを漂わせ、ボディラインが分かるようなドレスを身にまとう華やかな女性たち。
その目が揃って私を見つめるから、緊張に身が強張るのを感じた。
「ああ。私の婚約者だ」
はっきりと宣言する律さん。
「彼女たちはうちの社員だ」
私にもそう二人のことを紹介してくれる。
「いつも早川社長にはお世話になってます」
「社長が婚約者さんを連れてくるって聞いて、私たち楽しみにしてたんですよぉ」
表面上はにこやかに挨拶をしてくれるが、明らかに値踏みされているのが分かる。
「思った以上にじ……かわいらしい方で驚いちゃいました~」
だって目が全然笑ってない!
なんでこの女が?
そんな疑念をひしひしと感じます。
分かるよ、分かる。
早川社長は、きっとこういう爆美女の方たちにも靡かなかったのだろう。
そこに突然平凡な女が表れたら、そう思うのも当然だ。
でも、どうにも居た堪れない。
「音」
苦笑いしかできない私の名前を、律さんが呼ぶ。
「何か飲み物でも貰いに行こう。
君たちも今日は楽しんで」
ほっとした心地で、軽く頭を下げてから彼女たちに背を向ける。
じっとりとした視線が、背中にいつまでも突き刺さっているようだった。
乾杯の意でグラス同士を軽く合わせ、スパークリングワインを口に含む。
「すまない。
注目を浴びて息苦しいだろう」
「緊張はしますけど……大丈夫です。
それだけ律さんが注目されている証拠ですね」
それに、と私はずらりと並ぶ色とりどりの食事に目を向ける。
「美味しそうなものがたくさんありますし、せっかくだから堪能して帰ります」
そう言えば、律さんがふっと笑う。
「それはいいな。
でも悪いがその前に、挨拶回りに付き合ってくれるか」
それからは律さんと共に、関係者の方々に挨拶をして回った。
律さんはその度に私のことを”婚約者”として紹介した。
さすがに会社のお偉い様となると、驚きはしつつも友好的な対応を見せてくれる人が多く、少しずつ私も場に慣れていくことができた。
それに……私は会場内を改めて見渡してみる。
やっぱりいない。
危惧していた太晴の存在は、どこにもなかった。
よかった。
まだ、太晴によってつけられた傷は癒えていない。
会わなくて済むならそれが一番だ。
「少し席を外す。
すぐに戻るから、ここで待っていてくれ」
「分かりました」
律さんのことを見送って、私は壁に背をつけてふうとひと息。
雰囲気には慣れてきたけれど、やはりこういう場は気疲れする。
「おいレナ、急げって」
今のうちに何か食べようかと顔を上げれば、聞き覚えのある声が耳に届いた。
「たぁくん歩くの早すぎるよぉ。
元はといえばタクシーが遅いのが悪いんじゃん」
「まさか渋滞にはまるとは思わなかったんだよ。
でも、あんまり遅れて入ったら悪目立ちするだろ」
軽い言い合いのようになりながら、パーティー会場に入ってきた男女。
それは太晴と倉谷レナだった。
まさか、倉谷さんと一緒にやって来るなんて。
気づかれたくない。
そんな思いとは裏腹に、太晴と目が合ってしまう。
「音?」
「え、ほんとだ!」
そして見せつけるように仲良く腕を組んで、私のもとにやって来る二人。
オフショルダーで華奢な肩を見せながら、ふわりと裾の広がるミニ丈のドレス。
綺麗に編み込まれたヘアスタイル。
自分の可愛さをよく分かっていて、それを前面に押し出したような装い。
「お久しぶりでーす。元気にしてましたぁ?」
そんな倉谷さんが、にっこりと笑いかけてくる。
あんなことをしておいて、どうして平気な顔で話しかけてくることができるの?
私はあなたの顔を二度と見たくなかった程なのに。
私が押し黙ったままでいると、「あれ?」と倉谷さんがわざとらしく首を傾げた。
「ていうか、どうして音がここにいるんだよ」
「そうですよぉ。
派遣もやめたんだから、宮内さんはもう部外者でしょ?」
遅れてきた二人には、私が律さんの婚約者としてここに来たということは知られていないようだった。
「……確かに私はもうそちらで働いていませんが、今日は必要があってここに来ているんです」
乱れる気持ちを抑え、努めて冷静に言葉を返す。
「はあ?なんだよそれ……」
怪訝な顔をする太晴をよそに、倉谷さんが「あっ」と声を上げた。
「分かった。
きっとたぁくんに会いに来たんだよ」
「……は?」
思わず気の抜けた声が出る。
この人は何を言ってるの?
そんな私にかまわず、倉谷さんはぺらぺらとまくし立てる。
「可哀そうに、あんなフラれ方しても諦めきれなかったんでしょ?
それでこんなところにまでもぐりこんできたんだ?」
「うわ、まじかよ……」
それを真に受けて、太晴が嫌そうに顔を歪めた。
「いくら俺のことが好きでも、こんなとこまで追っかけてくるなんてないわ」
本当に、この人たちは……この男は何を言っているのだろう。
あの日、倉谷さんと一緒に散々私を馬鹿にして、蔑んで。
ゴミのように捨てたくせに、まだ私が自分のことを好きでいると思っているの?
唇が震えて声が出ない。
そんな私に追い打ちをかけるように、倉谷さんの唇がにいっと吊り上がる。
「ねえ、知ってます?
そういうのストーカーって言うんですよ」
「私はそんなこと……っ」
この人たちは、まるで化け物だ。
対面していると心をぐちゃぐちゃに乱されて、壊される。
こんな人たちの前で泣きたくなんてないのに、瞳には涙が滲む。
「悪いけど、復縁とか無理だから」
「ですって。
頑張ってオシャレしてきたみたいですけど、残念だった―――って、え?」
上から下まで私の格好を舐め回すように見た倉谷さんの目が何かをとらえ、驚いたように固まった。
そして突然、私の左手を掴む。
「ねえ、何この指輪」
「私の婚約者になにか?」
背後から聞こえた低い声。
痛いほどに握られていた倉谷さんの手を、さっと振りほどいてくれる大きな手。
「律さん……!」
律さんはそっと私の肩を抱き、自分の方に引き寄せた。
「遅くなってすまない。大丈夫か?」
律さんの姿を目にした途端、押し寄せてきた安心感に涙が零れた。
「……これを」
「……すみません……」
律さんが貸してくれたハンカチで目元を抑える。
情けないけれどその指先も震えていた。
「……婚約者……?」
律さんに肩を抱かれたまま視線を向ければ、倉谷さんは呆然とこちらを見ていた。
その隣で太晴も驚いた顔をしている。
律さんはそんな二人を険しい目で見返した。
「これは一体どういうことか説明してもらおうか」