ポメ化した姿を合法的に愛でられる権利を得たからといって、そもそもポメ化しないことには始まらない。
そんなこんなで、私はいつもように専業主婦(仮)をしながら過ごしていた。
早川社長は相変わらず忙しそうで、一緒に朝を迎えることになったあの日以降、またすれ違い生活が続いていた。
そして今日は、世間で言うこところの休日。
こんな生活をしていると、どうも平日と休日の区別がつきにくくなる。
毎朝味噌汁を飲みたい派の私は、いつものように和朝食作りの最中だ。
味噌を溶かし、匂い立つ香りを鼻から吸い込んだところで、扉が開く音がする。
「あっおはようございます」
現れたのは、ラフな装いの早川社長。
普段はセットされている髪は、今は無造作におろされていて。
ゆっくりと視線がこちらに向く。
「……おはよう。早いな」
この間も思ったけれど、寝起きの早川はいつもよりどこか無防備に見える。
いつも隙のない完璧人間にように見える人だから、余計にそう思うのかもしれない。
一緒に住むことになっていなければ、一生知らなかったことだろう。
「今日はお仕事は……?」
「一旦落ち着いたところだから、今日は休みだ」
珍しい、と真っ先に思う。
早川社長といえば、休みの日だって忙しそうにしているイメージだった。
でもやっとゆっくり休めそうなら何よりだ。
そこで私は思い至る。
「あの……良かったらご一緒に朝食どうですか?
もうすぐできるところなので」
鉢合わせているのに、私だけ食べるというのも何だか申し訳ない。
少し多めに作ったから、2人分くらいなら余裕で足りるだろう。
「いや、だが料理は契約外だろう」
確かに、契約の中に“料理を作ること”は含まれていなかった、でも。
「早川社長は、恐らくポメラニアンになってしまうことはなるべく避けたいですよね?」
「それはそうだな。
やはりそれだけ仕事の効率が落ちたりリスクに繋がるから」
予想通りの答えを聞いた上で、私は続ける。
「それに冷蔵庫の中身を見る限り、ご自宅ではしっかりと食事をとられることって少ないですか?」
「ああ……忙しさも相まって、手軽なゼリー飲料なんかで済ませることも多い」
やっぱり、そうだった。
それなら、やはり私は早川社長にも朝食を食べて欲しい。
「差し出がましいようですが……ストレスなどがポメ化の原因になるのなら、それを防ぐには健康的な食事も必要だと思います」
私が言い切ると、早川社長は少し驚いたような顔をした。
「朝食は、1日の始まりを知らせ身体の調子を整えてくれる……つまり、元気の源だから一番大事!っておばあちゃんに教わってきたんです」
朝食は必ず食べなさい、がうちのおばあちゃんの口癖だった。
包丁がまな板を叩く小気味のいい音。
漂う味噌のいい香り。
それらが私に、今日も変わらぬ朝が来たことを教えてくれていた。
そんな思い出を消さないように、守れるように。
私は、どんな時でも朝食を食べるようにしている。
「……そうだな」
早川社長が、納得したように呟く。
「せっかくだし頂けるか」
「とはいえ、大したものは作っていないのでお口に合うかどうか……」
今日の朝食メニューは、筑前煮、豆腐とネギの味噌汁、だし巻き卵、お漬物。
豪語したわりには、筑前煮は昨日の残りものだし、他にも簡単なものばかり。
高級料理を食べ慣れているだろう社長の口に合うものか、急に不安になってきて勢いが萎む。
ダイニングに2人分の食事を並べ終わると、私は早川社長の向かいに座った。
「いただきます」
きちんと手を合わせた後、箸を手に取る早川社長。
口に運ばれていく様子を、私はドキドキしながら見守る。
お漬物を口に入れた早川社長が、少し驚いたように視線を上げて私を見た。
「これはぬか漬けか?」
「あっそうです。……お嫌いでしたか?」
好みもきかず出してしまったと後悔が滲み出すのを遮るように、早川社長が言う。
「いや、美味いよ」
「本当ですか?
うまいこと漬かってくれてよかったぁ」
その言葉が嬉しくて、知らずのうちに笑顔が溢れた。
「これは君が漬けたのか?」
「はい!
実はおばあちゃんから引き継いだぬか床があって、それを持って来させていただいて……」
つい上機嫌で話しながら、ハッとする。
いや契約結婚で繋がっただけの関係の女が作ったぬか漬けとか、気持ち悪いって思われたかな。
だって太晴には、臭いしそんなものかき回してる女ありえないって、かなり嫌厭された。
だからそれ以降、1人でささやかな楽しみとして食べることにしていたんだった。
恐る恐る見た早川社長の顔には、嫌悪感などは一切浮かんでいなかった。
「凄いな。
通りでこんな美味いわけだ」
それどころか、その表情はどこか優しげで。
「君の料理はどこか懐かしくて……俺の好きな味がする」
そう言って頬を緩める姿に、胸がきゅうっとなる感覚がした。
料理を「美味しい」と喜んでもらえるのが、こんなにも嬉しいって忘れていたような気がする。
「ご馳走さま」
綺麗に食事を食べ終えた早川社長が、席を立とうとするところに声をかける。
「あの、良かったら早川社長がまた時間を取れる時は、今日みたいに朝食を用意してもいいですか?」
振り返った早川社長は、また微かに微笑んだ。
「―――君がいいなら、また食べさせてくれ」
「……はい!」
次は何を作ろうか。
去っていく後ろ姿を見ながら、すでにそんなことを考えて心が温かくなるのを感じた。
♢
side:太晴
どこか忙しなさに包まれる昼下がりのオフィス。
俺も例外にもれず、時間に追われながらパソコンに向き合っていた。
「荒井さん、丸鉄さんへの提案資料ってどうなってます?」
そんな中、無遠慮に声をかけてくる後輩。
「あー、今日までにはチェックして完成版上げるよ」
「え……でも昼までにって話でしたよね?」
どこか不満そうに言ってくる姿にイラッとする。
「見て分かるだろ、今忙しいんだよ。
打ち合わせには間に合うようにするから」
苛立ちを隠さずにそう言えば、後輩はすごすごと引き下がっていく。
ったく、余計な時間とらせやがって。
無能は大人しく俺に従ってろよ。
「つーかなんでこんなに忙しいんだよ……」
積み上がっていくばかりの仕事を前にして、思わずため息がもれる。
資料集めなんてだるいこと、わざわざ俺がやることじゃないだろ。
今まではこまごまとした雑用は、全部音に任せていた。
派遣の契約上表立ってできないことは、家で俺がやった体にして手伝わせたりして。
それが消えたのが正直イタイが、一応社員の立場であるレナのことは、音のようにあまり都合良く使えない。
これまでの疲労も重なり、のしかかるような気怠さに頭も働かなくなってくる。
『コーヒーどうぞ。
……眉間に皺よってるよ。少し休んで』
音はこんな時、何も言わずともそれを察して珈琲を持ってきてたな。
そういう気遣いができる女だった。
地味目だったが顔も好みの方だったし、もうちょっと上手いことやって引っ張りゃ良かったかな。
そんな時に、スマホに届いたメッセージ。
『今日は私たちの3ヶ月記念日♡
フレンチ予約しておいてくれたよね?』
ちらりと目を向ければ、送り主であるレナが微笑んでくる。
『予約はしたけど、仕事が溜まっててキツイ。
また今度にしないか?』
ただでさえ忙しい時期に、記念日だ何だってやってられるかよ。
俺の返信を見たレナが、席を立ってこちらに歩いてくる。
「ねえ、今日行けないの?」
いかにもな不満顔でそう言ってくるレナ。
「見ての通りすげー忙しいんだよ。
だからまたゆっくりできる時にでも……」
「でも最近、たぁくん忙しいってそればっかり。
今日くらいはいいんじゃない?
たまには息抜きも大事だよ?」
女のお気楽な仕事と一緒にすんなよ。
疲れている今は、可愛いと思えていたレナの無知さにもどこか苛つきを覚える。
やはり断ろうとした俺の耳元に、レナが顔を寄せた。
「……せっかく今日、えっちな下着つけてきたのになぁ」
情事の時を思い出すような、甘ったるい囁き声。
ピタリと胸を強調するようなそのセーターの下は……一瞬で欲望が頭をもたげる。
「しょうがねぇなあ、レナは」
回り切らない仕事なんて、後輩にでも押し付ければいい。
跡取り筆頭候補の俺が言えば、逆らう奴はいないだろう。
「じゃあ今夜はたっぷり楽しませてくれよ」
あーやっぱ、女は若さとデカい乳だわ。
side:太晴end