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第7話

「いただきます」


今日の夕飯は、おばあちゃん直伝の田舎煮を中心とした和定食だ。

私はおばあちゃんの料理をたくさん食べて育ったし、私に料理を教えてくれたのもおばあちゃんだ。

だから私が作る料理は、必然的に茶色い和食料理が多くなる。


太晴からはよく「ババくさい料理ばっか」と笑われていたっけ。

付き合っている時は気を使って洋食も作るようにしていたけれど、今はもう私の好きなものを作っても

あれこれ言う人はいない。


「うん、美味しい」


おばあちゃんの味にはまだ届かないけれど、今日の煮物は中々の自信作だ。

だからこそ、1人で食べるのは何だか味気なかった。


今日も早川社長は帰りが遅いのかな?


昨日の話の通りなら……今日の夜、早川社長はポメラニアンになる。

真っ白でふわふわな毛並み、くりくりの瞳。

またあの尊い存在に会えると思うと心が弾んだ。


いやでも、いくら可愛くても中身は早川社長だ。

この前みたいに無遠慮に撫で回すことは、さすがに自嘲しなければ。

そう心に決めて、私は残りの食事を平らげるのだった。



食事後の片付けを終えた頃、玄関のドアが開く音がした。

早川社長が帰ってきたのだろう。

けれど続くはずの足音は聞こえなくて、玄関まで出迎えに行ってみることにする。


「おかえりなさーい……?」


玄関には、いつかと同じように散らばるビジネスバッグとスーツ一式。

そして、ちょこんと佇むポメラニアンがいた。


「早川社長……ですか?」


「……ワンッ」


私が尋ねれば、その愛くるしい生き物が一声鳴いた。


♢


バッグとスーツを拾い集めて、ポメラニアンとなった早川社長と一緒にリビングに戻る。

それから滞りなく自動の給餌器と給水器から飲食を終えた早川社長は、ソファの下でぺたりと座り込んでいる。


それを一通り見守っていた私。

早川社長が言っていた通り、生活には問題なさそうな様子を確認しても尚、その存在から目線を逸らせなかった。


ああ……なんて魅惑のコロコロボディ。

綿あめみたいな毛並みは食べちゃいたいくらいふわっふわ。


見れば見るほどに惹かれるその姿……もう辛抱ならなかった。


「あの、ちょっとだけ……ちょっとだけでいいので、撫ででもいいですかっ?」


少し前の決意を忘れて、私は早川社長ににじり寄る。

でもしょうがない。

中身が何であろうと、可愛いは正義なのだから。


「……ワン」


少しの間を空けて、早川社長が鳴く。


これは……OKってことで、いいよね?


「ありがとうございます、失礼します!」


私は早速手を伸ばし、魅惑のモフモフに触れる。


「……はぁぁぁ〜……可愛いの暴力……!」


そこからはもう夢中だった。


可愛い・尊い・天使……これらをひたすら繰り返しながら、撫でる愛でる撫でる愛でる。


早川社長……犬になっている時は、色々と紛らわしいから心の中で“ポメ川社長”と呼ぶことにしよう。

ポメ川社長もコロンとお腹を見せて、愛らしさが頂上突破。

その無防備なお腹も丁重にモフらせてもらう。


ちょ……ちょっとだけ……吸ってもいいかな……?

己の欲求に抗えず、もふもふに鼻先を埋めて息を吸い込む。


「……極楽浄土はここにあった……」


天を仰いだ。

ポメ吸いは世界を救う。

きっと、絶対、間違いない。


そうして飽きもせず戯れているうちに、ポメ川社長がクワァと欠伸をした。

あらやだちらりと覗く小さな牙がキュート。


時計を見れば、いつの間にか夜半を回っていた。


「ベッドまでお連れしますね」


クゥン、と眠たげな声で鳴くポメ川社長を優しく抱き上げる。

私の腕の中にすっぽりと収まってしまう小さな命。

人間が犬になれるなんて、今でも夢を見てるみたいだ。


「失礼しまーす……」


早川社長の部屋の前に着き、ドアを開ける。

初めて入った部屋の中は、必要最低限にしか家具や物が置かれていないシンプルさだった。


ポメ川社長は、抱っこされながら運ばれるうちにうとうとと半分寝かけていた。

そんなポメ川社長をベッドに降ろす。


すると温もりが離れたことで無意識にだろう、ポメ川社長が鼻にかかった寂しげな鳴き声をもらす。

これではもちろんその場を離れることなんてできない。


「……ちゃんといるから大丈夫ですよ」


だから、安心してください。


その気持ちが伝わるようにポメ川社長を撫でた。

そうしたらつぶらな瞳が段々と閉じていって、天使の寝顔がお目見えする。


その姿から、伝わるモフモフな毛並みから、マイナスイオンが発せられているようだ。

多幸感を抱きながら撫でる手だけは止めずにいたら、段々と私の瞼も重くなっていって。


ここで寝たらダメ……自分の部屋に、帰らない、と……。

―――そこから先の記憶はない。



少しずつ浮上する意識が朝の訪れを認識し始める。

起きないと。今日はスムーズに開いた瞳。

そして目と鼻の先には、端正な早川社長の寝顔。


「……へ?」


反射的に体を起こして、ベッドの上で後ずさる。


「ええええ……っ?」


どうして私たち一緒に寝てるの?


「ん……」


伏せられたまつ毛が揺れて、早川社長が目を開く。

まだどこか眠たげな様子の瞳は、普段の鋭さを和らげているようだ。


そして私はようやく思い至る。

ポメ川社長を寝かしつけるつもりで、そのまま私も一緒に寝落ちたのだということに。


寝起き一番のイケメンどアップ、ダメゼッタイ、心臓にワルイ。


そして私は更に気づいてしまった。

少しはだけた布団から見える、早川社長の素肌。

つまりこの人は今、服を着ていない?


早川社長がベッドの上で体を起こすと、裸の上半身があらわになる。

スーツの上からでは分からない、程よく鍛えられて引き締まったその体。

そして、毛布がギリギリ隠してくれているその下半身。

……もしかして履いていないでしょうか?


「……おはよう」


「おはよう……ございます……」


あのすみません、どうか服を着てください。


「すまない。

犬化から戻った後はどうしてもこの状態になってしまうんだ」


手早く衣服を身につけた早川社長は、そう謝罪と共に説明をしてくれた。

「大丈夫です」と答えながらも、先程の立派な胸板が

チラついて思わず目を逸らしてしまう。


「……やはり気のせいではなかった」


そう呟いた早川社長は、人間に戻った手のひらをまじまじと見つめている。


「え?」


「どうやら君に犬になった状態を可愛い可愛いと褒められ撫でられると、この姿に戻るのが早くなるようだ」


「そ、そうなんですね……」


私がモフることに、意味があった……!?


「犬になった俺を拾って、介抱してくれた時。

ほっと安心するような心地のよさを感じた」


あの日、雨の中。

ポメ川社長を家に連れ帰った時のことが頭に浮かぶ。

目の前で人間(しかも裸)になったのは本当に驚いたな。


「君に契約結婚を申し込んだのも、それが一番の理由だった」


私である必要があったのだと、そう言われているような気がして。

その言葉を素直に嬉しいと思った。


「お役に立てるようなら何よりです。

……ところで」


そこで私は、ゴクリと唾を飲む。


「早く人の姿に戻れるということは、私はこれからも早川社長がポメラニアンになったらモフモフしていいということでしょうか……っ?」


これは、今後も合法的にモフモフする権利を得られるチャンス。

若干の緊張を期待感を孕みながら、早川社長の返事を待つ。


「あ、ああ……こちらとしても、早く元に戻れる方が有難い。

その分手間をかけるがかまわないのなら……」


「かまわないです。

むしろご褒美になるので」


さてはこの人、自分(犬)の殺人級な可愛さを自覚していないな?


食い気味にそう答えれば、早川社長がふっと表情を緩めた。


「……そうか。

じゃあよろしく頼む」


「……はい!」


こうして私は、魅惑のポメ川社長を合法的に愛でられる権利を得たのであった。




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