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第3話

仕事を辞めてからは、ただ無気力に過ごす日々だった。

相変わらず食欲は沸かなくて、ここ最近で体重もかなり減った。


「……可愛いなぁ……」


起き上がる気力もなくてベッドに横になったまま、スマホで動物の動画を見る。

動物は全般好きだ。その中でも特に好きなのは犬。

昔おばあちゃんの家ではのりまきという名前の犬を飼っていて、おばあちゃんっ子だった私は

よく一緒に散歩に行ったり遊んだりしていた。


だから大人になってからも、犬を飼いたいと常に思っていた。

けれど薄給の1人暮らしの私では飼う資格が足りないんじゃないか。

そう思うと飼うまでには至らなかった。

それに、太晴は犬が嫌いだったしな……つい太晴のことを思い出すと、同時に倉谷さんの顔も浮かんできて。

早く忘れてしまいたいのに。どうしても気分が沈む。


動画を閉じたところで、そういえば朝から何も食べていないことを思い出して、私はノロノロとベッドから這い出た。


「……さすがにそろそろ、買い物行くか……」


近所のスーパーに行って帰る頃には、すっかり日が落ちて辺り一面が夕闇となっていた。

少し前まで降っていた雨はもう止んで、しめったままの帰り道を歩く。


何か……聞こえる……?


レジ袋を片手に自宅アパートまで戻ってきたところで、何やら音がすることに気づく。

耳を澄ませれば、それはか細い鳴き声のようだった。


出所を探りながら歩くと、マンション入り口の植え込みの裏に、1匹の生き物らしきものが丸まっているのを見つけた。

濡れた毛並みに小さな身体。よく見ればそれはポメラニアンだった。

私は慌てて駆け寄って、そばにしゃがみこむ。


「なんでこんなところに……迷子の子かな……?」


私の存在に気づいたポメラニアンは、警戒するように唸り声を上げる。

しかしその声はとても弱々しくて。

濡れた毛並みが張り付く身体は、凍えるように震えていた。


きっと先程までの雨に打たれたのだろう。

今の季節は冷え込みも厳しい。

目の前のポメラニアンは見るからに弱っていて、このままではきっと悪化していく一方だ。

とにかく早く温めてあげないと……!


私はポメラニアンに向かって手を差し出した。

ポメラニアンは尚も警戒を続け、私の手に向かって吠える。


「大丈夫。私は絶対に、あなたに酷いことはしない。

ほら……外は寒いでしょう?

……おいで」


少しで想いが届くように、ポメラニアンと目を合わせながら語りかける。

その大きな瞳でじっと私を見つめたポメラニアンは、キュウンと小さく鳴いた後

そろそろとこちらに近づいてきた。


私はそんなポメラニアンをそっと抱き上げる。

濡れた身体は予想通りとても冷たい。


早く帰ろうと焦る私の服にポメラニアンが噛みつき、クイクイと引っ張る。

ポメラニアンが指し示すのは茂みの方だった。

目を凝らすと、奥の方に隠れるように男性のスーツ一式とビジネスバッグが置かれていた。


「なんでこんなところに……?」


ポメラニアンがキャンキャンと吠えて、また私の服を引っ張る。


「これを一緒に持っていきたいの?」


尋ねれば頷いたように見えて。


「もしかしたら飼い主さんのものかもしれないし……よし分かった」


それにしても、これを着ていた人はどこに行ってしまったんだろう……?


疑問は残るけれど、とにかく目の前のこの子のことが先決だ。

ポメラニアンとスーツと鞄を抱え、私は急ぎ足で部屋へと向かうのだった。



部屋に入ると、すぐにタオルでポメラニアンの身体を拭く。

大体の水気をとった後は、ドライヤーで乾かすことにする。

熱すぎないように気をつけながら熱風を当てていくと、本来の白くてふわふわな毛並みが戻ってきた。


「よし……こんなものかな?

これでおしまいだよ、いい子だったねぇ。

もう寒くないかな?」


ドライヤーが終わるまで、ポメラニアンはじっと大人しくしていた。

私の声に顔を上げると、まるで言葉を理解しているみたいに一声鳴いた。


それにしても……「かぁわいいなあ……」


まるで綿飴みたいにふわっふわな毛並み、ポテっとした小さな身体、つぶらな瞳。

改めて見るポメラニアンは、まさに破壊級の可愛さだった。


やっぱり誰かに飼われている子だろうか。

それなら今頃この子を探しているひとがいるかもしれない。

飼い主に関わる情報がないか、後であの鞄の中を見させてもらわないと。


「よかったら……撫ででもいいかな?」


そっと頭に手を置いても、ポメラニアンが嫌がる様子はなかった。

そのままゆっくりと手のひらで撫でる。


「……かわいいねぇ、いい子だねぇ……」


耳の後ろを優しく撫でると、ポメラニアンは気持ちよさそうに目を細める。

のりまきも、ここを撫でられるのが好きだったな。

懐かしさを感じながら、短毛ののりまきにはなかったふわふわ感を堪能する。


私のおばあちゃんは、どんな犬もメロメロにしてしまうゴッドハンドを持っていた。

そのおばあちゃんの撫で方を見て覚えてきた私も、そこそこの腕前を持っていると自負している。

今日までは、その腕前を発揮する機会もそうそうなかった訳だけれど。


耳を後ろに寝かせながら、私に撫でられるポメラニアン。

撫でるのをやめるとつぶらな瞳が「もうおしまい?」というようにこちらを見つめて。


「本当にかわいい……かわいいねぇ……かわいすぎるよ……っ」


もはや私の語彙は可愛いしかなくなってしまった。

やがてポメラニアンがコロンと転がりお腹を見せてくれる。


「あああもう……こんなに小さいのに生きててえらい!

存在が天使!」


目の前の生き物が愛おしくてしょうがなくて、感情のままに愛でる。

この瞬間だけは、今までの嫌なこと全てを忘れることができた。


「あ……」


気づくとポメラニアンは目を閉じて眠りに落ちていた。

その寝顔の可愛さに私はまた悶える。


固い床よりは柔らかいところがいいだろうと、私はベッドにブランケットをおいて、その上にそっと

抱き上げたポメラニアンを乗せる。そして私もその隣に転がった。

気持ちよさそうな寝顔を見ていると、段々私まで眠くなってくる。


昨日も中々寝付けなかったからな……でも、鞄の中身を確認しないと。

その前に、少しだけ一休み……。


気づけば私の意識も、夢の中へと落ちていった。



ぼんやりと意識が浮上し、まだ重い瞼を開ける。

そばに見えたのはふわふわな白い毛並み。


「……あなたも起きた、の……!?」


声をかけた瞬間、“ポン!”と何かが弾けるような音がして思わず目をつむる。

次に目を開けた時には、もう可愛いポメラニアンはそこにいなかった。


「……え……?」


代わりにそこにいたのは、全裸の男。


身体が起こす私と、男と目が合う。

それはどこかで見覚えのある……そう、巷で噂の冷徹社長こと早川 律は、こんな顔をしていた気がする。

しかし、私は思考も身体も完全にフリーズしていた。


ナンデ、イエニゼンラノオトコガ?


男はベッドのそばに置いてあったスーツに手早く着替え、鞄を持つ。


「……すまない、世話になった。

この礼はあとで必ず」


そして、未だフリーズを続ける私に一礼すると、足早に部屋を出ていった。


「……え?え?え?」


そんな男の後ろ姿を見送って、数秒。


「えええええええー!?」


ようやく意識を取り戻した私の叫び声が、部屋中に響き渡るのだった。


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