仕事を辞めてからは、ただ無気力に過ごす日々だった。
相変わらず食欲は沸かなくて、ここ最近で体重もかなり減った。
「……可愛いなぁ……」
起き上がる気力もなくてベッドに横になったまま、スマホで動物の動画を見る。
動物は全般好きだ。その中でも特に好きなのは犬。
昔おばあちゃんの家ではのりまきという名前の犬を飼っていて、おばあちゃんっ子だった私は
よく一緒に散歩に行ったり遊んだりしていた。
だから大人になってからも、犬を飼いたいと常に思っていた。
けれど薄給の1人暮らしの私では飼う資格が足りないんじゃないか。
そう思うと飼うまでには至らなかった。
それに、太晴は犬が嫌いだったしな……つい太晴のことを思い出すと、同時に倉谷さんの顔も浮かんできて。
早く忘れてしまいたいのに。どうしても気分が沈む。
動画を閉じたところで、そういえば朝から何も食べていないことを思い出して、私はノロノロとベッドから這い出た。
「……さすがにそろそろ、買い物行くか……」
近所のスーパーに行って帰る頃には、すっかり日が落ちて辺り一面が夕闇となっていた。
少し前まで降っていた雨はもう止んで、しめったままの帰り道を歩く。
何か……聞こえる……?
レジ袋を片手に自宅アパートまで戻ってきたところで、何やら音がすることに気づく。
耳を澄ませれば、それはか細い鳴き声のようだった。
出所を探りながら歩くと、マンション入り口の植え込みの裏に、1匹の生き物らしきものが丸まっているのを見つけた。
濡れた毛並みに小さな身体。よく見ればそれはポメラニアンだった。
私は慌てて駆け寄って、そばにしゃがみこむ。
「なんでこんなところに……迷子の子かな……?」
私の存在に気づいたポメラニアンは、警戒するように唸り声を上げる。
しかしその声はとても弱々しくて。
濡れた毛並みが張り付く身体は、凍えるように震えていた。
きっと先程までの雨に打たれたのだろう。
今の季節は冷え込みも厳しい。
目の前のポメラニアンは見るからに弱っていて、このままではきっと悪化していく一方だ。
とにかく早く温めてあげないと……!
私はポメラニアンに向かって手を差し出した。
ポメラニアンは尚も警戒を続け、私の手に向かって吠える。
「大丈夫。私は絶対に、あなたに酷いことはしない。
ほら……外は寒いでしょう?
……おいで」
少しで想いが届くように、ポメラニアンと目を合わせながら語りかける。
その大きな瞳でじっと私を見つめたポメラニアンは、キュウンと小さく鳴いた後
そろそろとこちらに近づいてきた。
私はそんなポメラニアンをそっと抱き上げる。
濡れた身体は予想通りとても冷たい。
早く帰ろうと焦る私の服にポメラニアンが噛みつき、クイクイと引っ張る。
ポメラニアンが指し示すのは茂みの方だった。
目を凝らすと、奥の方に隠れるように男性のスーツ一式とビジネスバッグが置かれていた。
「なんでこんなところに……?」
ポメラニアンがキャンキャンと吠えて、また私の服を引っ張る。
「これを一緒に持っていきたいの?」
尋ねれば頷いたように見えて。
「もしかしたら飼い主さんのものかもしれないし……よし分かった」
それにしても、これを着ていた人はどこに行ってしまったんだろう……?
疑問は残るけれど、とにかく目の前のこの子のことが先決だ。
ポメラニアンとスーツと鞄を抱え、私は急ぎ足で部屋へと向かうのだった。
♢
部屋に入ると、すぐにタオルでポメラニアンの身体を拭く。
大体の水気をとった後は、ドライヤーで乾かすことにする。
熱すぎないように気をつけながら熱風を当てていくと、本来の白くてふわふわな毛並みが戻ってきた。
「よし……こんなものかな?
これでおしまいだよ、いい子だったねぇ。
もう寒くないかな?」
ドライヤーが終わるまで、ポメラニアンはじっと大人しくしていた。
私の声に顔を上げると、まるで言葉を理解しているみたいに一声鳴いた。
それにしても……「かぁわいいなあ……」
まるで綿飴みたいにふわっふわな毛並み、ポテっとした小さな身体、つぶらな瞳。
改めて見るポメラニアンは、まさに破壊級の可愛さだった。
やっぱり誰かに飼われている子だろうか。
それなら今頃この子を探しているひとがいるかもしれない。
飼い主に関わる情報がないか、後であの鞄の中を見させてもらわないと。
「よかったら……撫ででもいいかな?」
そっと頭に手を置いても、ポメラニアンが嫌がる様子はなかった。
そのままゆっくりと手のひらで撫でる。
「……かわいいねぇ、いい子だねぇ……」
耳の後ろを優しく撫でると、ポメラニアンは気持ちよさそうに目を細める。
のりまきも、ここを撫でられるのが好きだったな。
懐かしさを感じながら、短毛ののりまきにはなかったふわふわ感を堪能する。
私のおばあちゃんは、どんな犬もメロメロにしてしまうゴッドハンドを持っていた。
そのおばあちゃんの撫で方を見て覚えてきた私も、そこそこの腕前を持っていると自負している。
今日までは、その腕前を発揮する機会もそうそうなかった訳だけれど。
耳を後ろに寝かせながら、私に撫でられるポメラニアン。
撫でるのをやめるとつぶらな瞳が「もうおしまい?」というようにこちらを見つめて。
「本当にかわいい……かわいいねぇ……かわいすぎるよ……っ」
もはや私の語彙は可愛いしかなくなってしまった。
やがてポメラニアンがコロンと転がりお腹を見せてくれる。
「あああもう……こんなに小さいのに生きててえらい!
存在が天使!」
目の前の生き物が愛おしくてしょうがなくて、感情のままに愛でる。
この瞬間だけは、今までの嫌なこと全てを忘れることができた。
「あ……」
気づくとポメラニアンは目を閉じて眠りに落ちていた。
その寝顔の可愛さに私はまた悶える。
固い床よりは柔らかいところがいいだろうと、私はベッドにブランケットをおいて、その上にそっと
抱き上げたポメラニアンを乗せる。そして私もその隣に転がった。
気持ちよさそうな寝顔を見ていると、段々私まで眠くなってくる。
昨日も中々寝付けなかったからな……でも、鞄の中身を確認しないと。
その前に、少しだけ一休み……。
気づけば私の意識も、夢の中へと落ちていった。
♢
ぼんやりと意識が浮上し、まだ重い瞼を開ける。
そばに見えたのはふわふわな白い毛並み。
「……あなたも起きた、の……!?」
声をかけた瞬間、“ポン!”と何かが弾けるような音がして思わず目をつむる。
次に目を開けた時には、もう可愛いポメラニアンはそこにいなかった。
「……え……?」
代わりにそこにいたのは、全裸の男。
身体が起こす私と、男と目が合う。
それはどこかで見覚えのある……そう、巷で噂の冷徹社長こと早川 律は、こんな顔をしていた気がする。
しかし、私は思考も身体も完全にフリーズしていた。
ナンデ、イエニゼンラノオトコガ?
男はベッドのそばに置いてあったスーツに手早く着替え、鞄を持つ。
「……すまない、世話になった。
この礼はあとで必ず」
そして、未だフリーズを続ける私に一礼すると、足早に部屋を出ていった。
「……え?え?え?」
そんな男の後ろ姿を見送って、数秒。
「えええええええー!?」
ようやく意識を取り戻した私の叫び声が、部屋中に響き渡るのだった。