私の彼氏であるはずの太晴が、倉谷さんと付き合っている。
突然そんなことを言われて納得できるわけもなくて、仕事終わりに私たちは飲食店で話し合いをすることにした。
私の向かいに座る太晴。その隣には当然のように倉谷さんが座っている。
「俺もさぁ、疲れとかストレスがたまってしんどい時があったんだよ。
でもレナがそんな俺を色々と気遣ってくれてさ、こうなったっていうか……」
言葉を濁しながら、ベラベラと言い訳を並べ立てる太晴。
それって結局……「つまり、太晴は私と倉谷さんで二股かけてたってことだよね」
太晴の浮気。頭の片隅で、考えたことがなかったわけじゃない。
でもそんなまさかって、可能性から目を背けていた。
「ごめんなさい、私が悪いんです……!
たぁくんを好きになって、彼女がいるって知っても止められなくって……」
割って入った倉谷さんが、そう言って瞳を潤ませる。
「……レナ……いや、レナは悪くないよ」
太晴はそんな倉谷さんを気遣わしげに見やり、優しく声をかける。
「……何それ……浮気なんて、悪いことに決まってるでしょ……」
思わずそう呟けば、太晴が私に視線を戻した。
倉谷さんに向けていたものとはまるで真逆の表情を浮かべて、ため息混じりに口を開く。
「……そもそもさぁ、音はもう28のアラサーだろ?
それに引き換え俺は、社長の甥っていう立場を持ってて稼ぎ頭で将来有望。
そんな俺と、アラサー派遣のお前。本気でつり合ってると思ってた?」
「な……っ」
私を蔑む瞳。小馬鹿にするようにそう鼻で笑って。
「ここまで付き合ってやったのも感謝して欲しいくらいだわ。
そもそもお前と結婚する気もないんだから、むしろ早めに放流してやるのが優しさだろ?」
太晴の言葉に、耐えきれないように倉谷さんが吹き出した。
「やだぁ、たぁくんってばひどーい」
クスクス。ケラケラ。2人の笑い声が響く。
悪いことをしたのは彼らのはずなのに、どうしてみじめな思いをしなければいけないの?
仮にも2年以上付き合った相手にこんな仕打ちができる太晴も、そんな男と一緒に嘲笑う倉谷さんも、
まるで別の生き物みたいに見えた。
「じゃ、そういうことだから」
言いたいことを言って満足した2人が、連れ立って店を出ていく。
「……ぅ……っ」
悲しくて悔しくて涙が溢れる。
止まらない涙に震える体。
私は1人、その場から動けないままだった。
♢
どんなに辛いことがあったって、また朝はやってくる。
泣き腫らした目は腫れていて、ブルーライトカット入りの伊達メガネをかけることで誤魔化すことにした。
2人の顔なんてもう見たくもない。
でも、仕事を放り出すわけにもいけなくて、重い体を引きずりながら出社する。
太晴と倉谷さんは、何でもないような顔をして会社に来ていた。
それどころか部内公認の仲になったからか、これまで以上にベッタリとくっ付いている始末だ。
そんな2人の姿が目に入ると、込み上げるのは憎しみと怒りばかり。
こんな状態で仕事をしなければならないのは、ただの地獄だった。
2人がいるオフィス内は息苦しくて、私はせめてもの気分転換を求めて飲み物を買いに出る。
自動販売機のボタンを押して、落ちてきたカフェオレを拾い上げたところで、話し声が聞こえるのに気付いた。
「てか驚いたよなー太晴さんと倉谷さんのこと!
あんな風に宣言するなんてな」
「確かにな、冗談で聞いたつもりがまさかのだったし。
まぁ確かに距離が近いとは思ってたけど」
声は自動販売機のそばにある男子トイレの中から聞こえてくる。
声の主は恐らく同じ部署の男性社員たちだ。
「……でもさ、太晴さんって宮内さんと付き合ってるんじゃなかったのか?」
思いがけず自分の名前が出たことに心臓が跳ねる。
部署の人たちにも、太晴との関係は気づかれていたんだ。
「あー……隠してたけど、そうっぽかったよな。
宮内さんが入ってきた頃とかあからさまに狙ってたし。そうなると二股ってこと?」
「それかもう前に別れてたとか?」
「いやでも、昨日今日って宮内さんいつもより様子変だろ。普通に浮気じゃね?」
「言われてみれば確かに!
じゃ、浮気されて捨てられちゃったってこと?
うーわ悲惨。
でも正直、倉谷さんみたいな若くて可愛い子に言い寄られたら、そっちにいくのもしょうがないよな」
「それな。しかも胸デケェし」
「それは一番大事だわ!」
男たちの笑い声が響く。
―――男にとっては若い女に乗り換えることが、当たり前でしょうがないことなの?
それ以上は聞いていられなくて、唇を噛み締めながら私はその場を後にした。
♢
地獄のような環境で働くことはとってストレスでしかなかった。
視界の隅には見たくなくても2人の姿が映るし、職場の人からは“彼氏を若い女にとられた哀れな女”として見られているんじゃないかっていう気がして。
食欲はなくなって、いつもキリキリと胃が痛む。
それでも逃げたと思われることは悔しくて、歯を食いしばるように毎日出社していた。
―――けれど。
「契約終了……ですか?」
ある日課長から呼び出されたかと思うと、告げられたのは派遣契約の終了だった。
「ああ……急なことで悪いが、今月いっぱいで終了とさせて欲しい」
それはつまり、今後の更新はされないということ。
「……でも、契約期間はまだありますよね?」
以前契約を更新した際には、期間は来月までとなっていたはずだ。
私の問いかけに対して、課長は言いづらそうに口を開いた。
「それはそうなんだが……ほら、倉谷さんも来てくれて今は人手が足りているわけだし……。
それに、言い難いことだが宮内さんの勤務態度は継続に値しない……という話も出ているんだ」
「……勤務態度……?
……私の、何が問題だったのでしょうか……?」
「……その、君が倉谷さんに対して辛く当たったり物を隠したり、様々な嫌がらせをしている、と」
「嫌がらせ……!?
私、そんなことしてません……!」
本当に身に覚えのないことだった。
確かに彼女のことを憎いと思う気持ちはある。
けれど私は、嫌がらせなんて卑劣な真似はしない。
「うん……君がそんなことをするような人じゃないことは私も分かってる。
でも、宮内さんの契約終了を要望しているのは荒井くんなんだよ……だからほら……ね?」
“分かるだろ?”言外にそう訴えてくる課長。
社長の子は娘しかいないため次の社長になるのではという噂もあり、それでなくとも
将来的に上の立場になることがほぼ必然の太晴だ。
そんな太晴には、課長も何かと気を使うのだろう。
そのために、ただの派遣社員を切り捨てることなど造作もない。
それにしたって、なんていう仕打ちだろうか。
新彼女がいる職場に、元彼女の存在は邪魔でしかなかった?
だから倉谷さんとグルになって、ありもしない“嫌がらせ”をでっち上げてまで私を排除しようとする。
どうして私は、こんな最低男のことが好きだったんだろう。
「例え辞めても、給料の方は来月分まで振り込むようにするからさ……どうか穏便に頼むよ」
そもそも私がずっとここで派遣社員を続けていたのだって、将来のために転職を考えていた私に太晴が
「3年頑張ってくれれば俺が正社員として推薦してやる」と言ってくれたからだったのに。
……まあもうどうだっていい。
どうせ何を言ったって、この決定は覆らない。
私は心身ともに疲れ果てていて、争う気力も湧かなかった。
太晴と倉谷さん……諸悪の根源である2人の姿をもう見なくて済む。
それを嬉しいとさえ思う。
「……分かりました」
私は課長の言葉に力無く頷くのだった。
♢
そして勤務最終日。
仕事を終えた私は、持ち帰りの荷物をまとめ始める。
「宮内さぁん」
そんな私の元に、倉谷さんが近づいてきた。
……この後に及んで何の用?
「今日までお疲れさまでしたぁ」
倉谷さんはそうにっこりと笑いかけてくる。
そして、私の耳元で囁いた。
「なんかごめんね?
仕事も彼氏も奪うみたいになっちゃって♡」
悪いなんて1ミリも思ってない口調だった。
「やっぱり、元カノにちょろちょろされるのって目障りでしかなかったからぁ……これでようやくスッキリできそう!
あ、仕事の方も心配しなくていいですよ。派遣にできてたような仕事なら私にもすぐこなせると思うのでぇ」
「……そうですか」
これまでの人生の中で、ここまで性根が腐った人間に会うのは初めてだった。
こんな人と、言い争うだけ無駄だ。
まとめ終わった荷物を持って私は立ち上がる。
そんな私に向かって、また倉谷さんが囁いた。
「さようなら、負け犬さん」