ユキメは顔から血の気が引いた。
そして何か落ち度があったのかと大急ぎでネフェルの着付けを再確認した。
まず、先ほど
髪結いやメイクも派手過ぎず、ボリュームと豪華さはあるがネフェルの清楚感を引き立て、
さらに靴やコサージュ、髪飾りも確認したが問題があるようには思えず、ユキメはスレキアイが指摘する不足部分がわからなかった。
ネフェルも、ユキメにしてもらった着付けは自分の想像以上で、完璧だと思っていたのでスレキアイが何に不満があるのかまるでわからなかった。
頼りはユキメだけだが、ユキメも不足している部分がわからない様子だったので、ネフェルは不安になってオロオロしてしまった。
「まっておれ」
そう言ってスレキアイはそんなネフェルとユキメを残して部屋に戻ると、何かをごそごそと探し始めたようだった。
次第にスレキアイの探し物は規模が大きくなり、家探しをしているように部屋からは大きな物音が聞こえてきた。
スレキアイの部屋がどのような
そのような部屋が今、盛大にひっくり返されているようで、室内はより一層、混沌が極まったに違いなかった。そしてスレキアイ以外、部屋に足を踏み入れることはさらに不可能になっているだろうということが容易に想像ができた。
しばらくしてスレキアイは「おお。あった。あったぞ。ここにあったのか」と探し物を見つけたようだ。
探し物を終えて戻ってきたスレキアイはネフェルの背後にまわり、すぐ後ろに立った。
ネフェルは身体が触れ合いそうな程、すぐ後ろにスレキアイが立ったので、思わずビクリと身体を強張らせた。
スレキアイの気配、温かさ、息遣いが如実に感じられ、ネフェルはふくらはぎから背中、そして首筋と耳の後ろにかけて、柔らかな羽で撫でられたようなざわめきが鳥肌となって駆け巡った。
瞬時に身体が熱を帯び、不思議な高揚感が浮遊感となり、地に着いた足の感覚を奪い去った。まるで自分が宙に浮いたような感覚で、さらに全身の骨が抜かれてしまったかのようにその場に崩れ落ちる寸前となった。
そんな状態で、さらにスレキアイの腕が自分の胸元にまわされた。
大きく力強そうな腕と手───それが自分の首筋、肩、そして胸元を抱き込むようにまわされたのだ。
その驚きと、えも言われぬ幸福感に、ネフェルは一瞬、ふっと意識が遠のいた───だが、その意識を
その冷感は
ネフェルは自分の胸元に視線を落とした。
するとそこには大きな宝石がいくつもあしらわれた見事な首飾りが据えられていた。
その輝きは眩しく、この宝飾品がただの首飾りでないことは一目見て理解する事が出来た。
「ス、スレキアイ様、これは……?」
「そなたの美しさに対し、最初にわしが用意していた首飾りは見合っておらぬでな。急ぎ、わしができる限りの誠意に取り替えた。どうじゃ? それなら許してもらえるか?」
スレキアイが「足らぬ」と云ったのは自分が当初用意した首飾りに対しての言葉だった。
社交界ではパートナーの女性の胸元は紳士が飾る
男性はそれぞれ首飾りを用意し、女性のドレスアップの仕上げとして着用してもらっていた。
スレキアイもその首飾りを用意していたが、ドレスアップしたネフェルの美しさに、当初用意した首飾りでは「足らぬ」と悟り、急ぎもっとグレードの高い宝飾品を探しに行ったのだ。
「ゆ、許すなんてとんでもないことでございます。このような美しい首飾り、私にはもったいない限りです」
「では、気に入ってくれたということだな。よかった。安心したぞ」
スレキアイは前にもネフェルに見せた柔和な笑顔になった。
ユキメはそんなスレキアイの笑顔をみて、部長もこんな柔らかな表情をすることがあるのかと驚いた。
「確か、この首飾りには
そう言うとスレキアイは顎に手を当て銘を思い出そうと懸命に頭を絞った。
「『
そう教えたのはユキメだった。
「おお。そうだ。それだそれ。たいそうな名前だが、まあ、
そういうスレキアイの言葉で、ネフェルは二つのことに驚いた。
一つは「デューク・アレクサンドライト」についてだが、魔界には特に美しいとされる宝飾品が七つあり、そのうちの一つがこの「デューク・アレクサンドライト」だった。
しかもその七大宝飾の中で、最高の逸品だと賞賛されている筆頭格の首飾りだった。
そしてもう一つは、これがスレキアイの母の形見だということだった。
そのような貴重な品を、自分が身につけるなんて恐れ多いとネフェルは瞬時に恐縮した。
ネフェルは何か言おうとしたが、それを察知したスレキアイが手をあげてネフェルを制した。
「いや駄目だ。どうかその首飾りでそなたの胸元を飾ってくれ。その首飾りでなければそなたの美しさに見合わぬ。もしそなたがそれ以外の首飾りで夜会に出席すれば、わしはパートナーの魅力を引き立てられぬ未熟者として笑い者になるじゃろう。それは我がアスタロッド家の名折れだ。だからどうかその首飾りで胸元を飾り、夜会に出席して欲しい」
そう云われてネフェルは言葉を呑み込むしかなかった。
スレキアイは腕を上げ、ネフェルに掴まるよう差し出した。
男性が女性をエスコートする際に行う所作だった。
それを見て、ユキメはすぐにレースの手袋をネフェルの両手に通した。
そしてネフェルの手をとるとスレキアイの腕に掴まらせた。
足元がおぼつかなかったネフェルだが、ひとたびスレキアイの腕を掴むと、急に力が沸き上がるような感覚を覚えた。
それはスレキアイの腕に触れているという安心感だった。
(この方の腕に掴まり、傍らにいれば、私はあらゆる災厄から守られる……! この世に心配しなければならないことは何もない……!)
瞬時にそれ程の安心感に包まれたネフェルはスレキアイの腕をより一層強く掴み、
そしてそんなネフェルをスレキアイは大きな包容力で包み込んだ。
スレキアイの包容力は大きく、その懐の広がりと深さは計り知れなかった。
ネフェルはますます安心感に包まれ、スレキアイの腕に頬ずりしてしまいそうな程、尚もひしと抱きついた。
ユキメが部屋のドアに向かい、二人の為に扉を開いた。
「すまぬな、ユキメ。助かったぞ」
「いえ、とんでもないことでございます、スレキアイ
「うむ。では行ってくる」
「はい。いってらっしゃいませ、スレキアイ
ユキメは引き続き、スレキアイに従うメイドのような対応だった。
しかしスレキアイが目の前を過ぎ、ネフェルが自分の前を通ると、片目をつぶってネフェルに「頑張ってね!」と合図を送った。
ネフェルは両手で背中を押されたような励ましを得た心地になった。
心よりユキメに感謝し、最大の礼節を返すべく、膝を軽く折り、恭しく頭を垂れた。
そしてスレキアイとネフェルは夜会の会場へと二人で歩んでいった。
そんな二人の後姿を、ユキメは見えなくなるまで見送った。