「お母様は僕の事が嫌いなんだ」
サラッと何でもない事の様に言うローランド殿下の様子に胸が痛くなる。
「………どうしてそう思われるのです?」
「僕が話しかけると、とても嫌そうな顔をするんだ。それに僕がお勉強の答えを間違えた時も。あ、熱を出した時もだ。全部、嫌な顔をするの」
何と言えば良いのか。「そんな事ない」なんて言葉が何の慰めにもならない事を知っている。
私は何も言葉が見つからなかった。
「ザックはまだお勉強しなくていいんだね。羨ましいなぁ」
今日も庭で散歩をしているとローランド殿下が現れた。
私の膝に抱かれているアイザックを見ながら、ローランド殿下はそう言った。
「いずれアイザックもお勉強が始まります。……実は私もお勉強中なのですよ?」
と、私がウィンクすれば、ローランド殿下は目を丸くして、
「え?大人なのに勉強してるの?」
と首を傾げた。
「はい。子どもの頃にきちんとお勉強をして来なかったので、まだお勉強をしている最中なんです。殿下と同じですね」
「ほんとだね!同じだ!」
と殿下は嬉しそうな笑顔になった。
「ローランド殿下の言葉にいつも胸が痛くなります」
寝室で陛下にそう私が言うと、
「まだ来てるのか」
と陛下はため息を吐いた。二人で寝台に横たわる。
前は私を背中から抱きしめていた陛下だが、今はお互い向かい合って眠る。もちろん私は陛下の腕の中だ。
「もう来るな……とはどうしても言えなくて」
「最近アナベルが出かける事が多いからな」
「アナベル様はローランド殿下をどのように思っていらっしゃるのでしょう」
「さぁな。彼女の本心は誰にも分からないが……ローランドが『愛されていない』と感じている事が答えだろう。俺は……少しローランドの気持ちがわかる」
そう言った陛下は少し寂しそうな顔をした。
「前に母の話はしたな?だが、あの時には言えなかった事がある」
「言いたくなければ無理はしないで下さい」
私は寂しそうな陛下の頬を撫でた。
陛下は私のその手を握るとそっと口づける。
「母は……俺を愛していなかった。憎い男の子どもだ。俺を見る度に苦しそうな顔をしていた」
「でも……それは……」
「そう。俺のせいじゃない。だから母は辛そうだった。愛したいのに愛せない。母の葛藤が俺には分かった。だから俺は……母と距離を取った」
「お母様は……陛下を嫌いになれなかったのですね」
「そうかもしれないな。今ならそんな母でも許せるだろうが、子どもの俺には難しかったよ。愛して欲しい人から愛して貰えないのは、なかなか辛いものだ。ローランドも同じだろう。ローランドはお前に救いを求めてる」
「私にはローランド殿下を救う術はありません。でもあの小さな手を手放す事も出来ずにいます」
「分かってる。俺もローランドをどうにかしてやりたい」
そう言って陛下は私を抱きしめた。
「彼はとても良い子ですわ。やはり陛下の可愛い弟君ですね」
と陛下の胸に抱かれて言う私に、
「……そうだな」
と陛下は呟いた。
「今日はロータス様は居ないのね」
私は見覚えのない護衛にそう言った。
「はい。副団長は陛下の代わりに南の砦へ。ちょっとした紛争が起こりまして」
と言う若い近衛は緊張している様で、無駄に力が入っていた。
私はいつもの様にアイザックを抱っこして、庭を歩く。マーサが私に日傘を差し掛けている。
もう少し行くといつも休憩しているガゼボに到着だ。そこにはダイアナが果実水を用意して待っていてくれている。
私達の姿が見えたのか、ダイアナが笑顔になった……かと思ったら、私の後ろを見て、
「キャーーーー!!!」
と驚愕した表情で叫んだかと思うと、
「逃げて!!!」
と怒鳴った。
その声に私がダイアナの視線の先である後ろを振り返ると、先程言葉を交わした若い護衛が剣を振り上げているのが見えた。
「マーサ!逃げて!!」
このまま、その剣が振り降ろされたら、私の後ろから日傘を差し掛けていたマーサが犠牲になってしまう。
マーサは咄嗟に日傘を後ろに向ける。
日傘は見事にその剣の餌食となった。
少し離れて付いてきていた、護衛が勢いよく走ってきたかと思えば、その若い護衛に斬りかかる。二人は激しく剣の打ち合いになった。その後ろから他の護衛も加勢に走って来た。
マーサは腰を抜かし、その場にへたり込んだのだが、走り寄ったダイアナに抱き起こされる。
ダイアナは同時に、
「妃陛下!早く安全な場所へ!!!!」
と叫ぶ。
私はアイザックを強く抱きしめて、宮の方へと駆け出した。
……が、前から黒尽くめの男達がワラワラと現れる。その手には鈍く光る剣が握られていた。
(殺られる!!!)
そう思った私は、反対側へ駆け出した。
男達は私を追ってくる。私と男達の間に護衛達が走って来て立ち塞がると、その男達に剣で応戦した。またもや激しい打ち合いだ。
だが、男達の方が人数が多い。数人が護衛をすり抜け私達を追ってくる。
私は靴を脱ぎ捨て、思いっ切り走った。
息が切れる。だけど女の私の足では直ぐに追いつかれそうだ。護衛がその男達を追いかけて来て、一人、二人とまた相手にしていく。しかし、私は止まれない。
足がもつれ(あ!コケる!!)と思ったその時、
私の目の前の大きな手が私を抱き止めた。
そしてその手は、剣を掴むと片手で私を追ってきた男を切り捨てた。
「遅くなった」
と言う陛下の顔は無表情だ。ただ、物凄く怖い。
陛下は私とアイザックを自分の背に隠すと、追い付いた二人の男を簡単に切り捨てる。その剣先は血で濡れていた。
私はアイザックにその光景を見せたくなくて、アイザックの顔を私の胸に押し付けた。