「はぁ………」
ため息をつく私の顔を覗き込むのは……陛下だ。
「どうした?今日は王妃教育は休みだっただろう?」
私のスケジュールをしっかり把握している陛下に少しだけ恐怖を覚える。
「いえ……。アナベル様はローランド殿下を王太子にしたいとお考えなのですね」
と私が俯くと陛下は私の頭に手をそっと乗せて
「あの人もしつこい。前陛下が身体を壊した時は俺を追い落とす事に躍起になっていたが。俺が結婚していないから、まだチャンスはあるとでも思っていたんだろうがな。
蓋を開けたら既に子どもまで……しかも息子がいたんだから諦めたかと思ってたんだが。
今はアイザックが俺の子ではないのではと言い始めた」
それは他の皆もそう言ってもおかしくないと思っていた。急に『俺の子だ』なんて言ったって信じて貰えなくて当然だ。
「陛下はどうして私達を慌てて探していたんですか?あの時時間がないと仰っていましたよね?」
「流石に議会が国王の即位までに身を固めろと言ってきた。相手が決まらなければ、同盟国のどこかの姫でも娶れとな」
「だからと言って、急に嫁と子どもを連れ帰って、皆がよく納得しましたね」
「アイザックは俺の赤ん坊の頃にそっくりだ。それを知ってる者達は単純に喜んださ。結婚しないと思っていた偏屈王子が結婚相手と世継ぎを連れ帰ったんだから。まぁ、一部を除いてと言っておこう」
その一部が問題なのだ……。私が暗い顔をしていると、私の頭を上に置いた掌でポンポンと軽く撫でるように叩きながら、
「アナベルから何か言われたか?」
とまた私の顔を覗き込んだ。
「実は……」
と私は昼間の庭であった事を話した。
「ブルーノから一応報告は聞いた。小さな獣しか通れないくらいの穴が空いていたらしいな。よくローランドが王太子宮の庭に来ていたのは、その穴を使っていたのだな。しかし、離宮からは少し離れているのに、誰も探していなかったのか?」
「ロータス様が離宮へお送りした時には皆、血相を変えていたようですよ?」
「そういえば、ブルーノがローランドに『あの穴の事は絶対に秘密だ』と約束させられたらしいな」
と陛下は笑う。
「でも、陛下にはバレているじゃないですか」
と私が言えば、
「俺に隠し事は無理だからな」
と陛下は言いながら、寝台の方へと私を連れて行った。
二人で並んで横になりながら、
「ローランドは可哀想な奴だ」
と陛下は呟いた。
私が無言で陛下の方を見ると、陛下も私の顔を見て、
「父親には愛されず、母親の関心は王位継承権だけ。優しくしてくれるのは乳母のアンナのみ」
「そう言えば、そのアンナの事で……」
「ブルーノが今調べてる」
そう陛下は言うといつもの様に私を抱き締めた。
「アイザックを巻き込んですまなかった。でも絶対にお前達を守る……証拠を掴むまでの我慢だ」
という陛下の言葉の意味が分かるのは、もう少し先の話。
「会いたくありません」
「まぁ、そう言うな。そろそろ刑を決めねばならんのでな。隣国とのあれやこれやですっかり忘れていた」
陛下が忘れていた事……それは、私が捨てた生家、ドノバン伯爵家への処罰を決定する事。
私が陛下と結婚して既にひと月半が過ぎている。彼らはそれより前に投獄されているのだ。貴族用の牢屋とはいえ、あの四人がどんな気分で過ごしているのか……察するに余りある。
「私に会えば彼らは面白くないに違いありません。私も……顔も見たくありませんから」
「確かに、お前があの家でどんな思いで過ごしてきたのか、どんな扱いを受けていたのか、あの夜だけでも十分に理解出来たつもりだ。だからこそ、会って今までの不満をぶつけてやれよ。『ざまぁーみろ』って言ってやれば良いだろう?」
「私は陛下ほど性格が悪くありません」
「ふふっ。違いない。だがな、向こうが会いたがってる、お前に」
と言う陛下の言葉に私は眉を顰めた。
「まさか」
「と言っても、お前に会いたがっている人物は一人。お前の父親だ。………っと、よしよし、どうした?ん?腹でも減ったか?」
後半の言葉は私に……ではなく陛下の腕に抱かれているアイザックへの言葉だ。
「そろそろ眠る時間ですので、寝ぐずりでしょう」
と、私は不機嫌そうに顔を顰めて今にも泣き出しそうなアイザックを陛下から受け取りながら答えた。そしてアイザックを腕の中で揺らしながら、
「父が?私に今の今まで興味がなかったのに?」
と納得出来ない気持ちを口にした。
「ドノバン伯爵家は王妃の生家として残したかった。そこで俺はお前の父親に選ばせたんだ。誰か親戚で適当な人物にドノバン伯爵を継がせるか……或いは後妻とその子どもを切り捨てて自分がドノバン伯爵として残るのか……と」
「まさか父は……?」
「お前の想像通り、後者を選んだ。愛しい妻より自分の保身に走ったって訳だ」
……母や私を蔑ろにしてまで選んだ義母をあっさり捨てた父を心底軽蔑してしまう。
「では……父は今、のうのうとドノバン家に?」
「その通り。しかも娘は王妃ときた。鼻高々だろうな」
と言う陛下に、
「……どうして。どうしてあの人……」
私は言葉に出来ない程、心がモヤモヤしていた。
「そこで……だ。お前に提案がある」
「何でしょうか?」
「この男を知っているか?」
と陛下が差し出した書類に書かれた人物に、私は見覚えがあった。
「この方は……確かドノバンの血縁の者です。王宮の文官になったと……前に聞いた覚えが」
と言った私に、陛下は満足そうに頷いた。
「議会にお前との結婚を認めさせる為にドノバン伯爵を見逃したが、結婚した今となっては然程必要ではない。知っているか?我が国では王族にはある権限が与えられている」
「ある権限……?」
「そうだ。貴族の後継問題に口を出せる。もちろん私利私欲の為ではないぞ?秩序ある国を造る為だ。
相応しくない者は、正当な理由があれば当主を交代させる事が可能だ」
そこまで言った陛下の考えが私には分かった。
「では……この方を養子に迎えるよう、父を説得しろ……そう言う事ですね?」
「理解が早くて助かる。こいつの名前はニコラス。ドイル家の三男だが、文官としてもかなり優秀だ。ドイル伯爵も本来ならこのニコラスに継がせたかったぐらいだろうが、流石に長男も次男も差し置いて……とはいかなかったらしい。どうだ?お前はどう思う。お前のクソみたいな父親と、このニコラス。どっちがドノバン伯爵領の民の為になるのか」
そう私に質問した陛下は、既に私の答えを知っている様だった。