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第32話


「あー!癒やされるー!」

アイザックを抱き締めて頬擦りする私にダイアナは笑う。


「サイラス女史はそんなに厳しいのですか?」


「自分がとてつもなく出来の悪い人間なのではないかと、落ち込んでしまうわ」

と私がため息をつくと、ダイアナは


「クレア妃陛下は結構頭が良いように思いますけどね。私みたいな者に言われても、ピンとこないかもしれませんけど」

と苦笑する。

ダイアナは平民だ。

マーサは元々子爵家の出身だが、マーサの妹は平民の騎士を好きになり駆け落ち同然で結婚したらしい。

マーサのご両親は駆け落ちで家を出た妹を許さず、縁を切った。数年後ダイアナが産まれ、それからまた数年後……騎士だったダイアナの父は命を落とした。

マーサは家族に内緒でダイアナとダイアナの母親を支援してきた。ダイアナはマーサにとても感謝しているのだと……そう言っていた。マーサの支援は三年前ダイアナの母親が亡くなるまで続いた……とも。


そんなダイアナがアイザックの乳母になれたのも、全部陛下の取り計らいだ。

何だかんだで陛下のお陰で私が暮らしやすくなっているのだと思うと、ちょっと悔しい。


「『エリオット様、ありがとう!大好き!』って言って抱きついてくれても良いんだぞ?」と笑う陛下につい冷たくしてしまったが、感謝はしている……大好きな訳ではないが。



今日は久しぶりの王妃教育のお休み。


私は王妃専用の庭をアイザックと散歩していた。

こんな時にはロータス様が私の側で護衛に付く。

近衛騎士副団長というお立場から忙しい事が想像出来るので申し訳なく思っているのだが、陛下曰く『近衛騎士の中では俺が一番信頼している人物』なのだそうだ。とは言えやはり申し訳ない。


私に日傘を差し掛けるマーサが、


「あそこのガゼボで少し休憩をしましょうか?」

と声を掛ける。私もそれに賛同した。


ガゼボの長椅子に腰掛けて、果実水を飲む。


すると私の背後の生垣からガサガサと音がしたかと思うと、男の子が小さな穴から這い出て来た。


「キャッ!」

と私は驚いて声を上げて椅子から立ち上がる。

アイザックを抱き締めて、急いでその場から距離を取ると、ロータス様が私の前に立ち塞がった。


「何者だ!!」

と剣を抜いたロータス様の前に、洋服の砂を払いながら立ち上がった男の子を見て、皆目を丸くする。


「ローランド様……!!」

と言うロータス様の声に、私は背後から顔を覗かせて、小さな侵入者の顔を確認した。


「ローランド殿下……どうして此処に?」

私もその小さな侵入者の顔を見ながら、つい声を掛けた。


すると、ローランド殿下は一頻り砂を払った後、満足気に頷いて


「だって……ここはずっと僕のお庭だったから」

と私の目を見てそう言った。


確かにここは王妃の庭。私が移り住むまでは前王妃陛下……アナベル様とローランド様の専用の庭だった。


ロータス様は剣を鞘に収めると、


「しかし、ローランド様は離宮へと移られた身。ここはもうローランド様のお庭ではないのですよ?」

とローランド殿下に目線を合わせるようにしゃがみ込むと、理解させる様にゆっくりとそう言った。


「知ってるよ。でも離宮のお庭は狭くて好きじゃないんだ。それにもう勉強にもうんざり」


「それでも……!」

と言うロータス様の腕を私は屈んで後ろからそっと掴んだ。

そして、それ以上ローランド殿下を責める事の無いように、緩く首を横に振ってみせた。

だって……ローランド殿下の顔が今にも泣き出しそうで、それを見ていられなくなってしまったからだ。

しかし、それより……。


私はマーサにアイザックを預けると、ロータス様の横に同じ様にしゃがみ込んでローランド殿下に、


「この前はご挨拶出来ず申し訳ありませんでした。私はクレアと申します」

と笑顔で挨拶してみせた。


ローランド殿下は、


「あなたがエリオットお兄様のお嫁さん?」

と可愛らしく首を傾げた。


「ええ、そうです。これから仲良くして下さいね。ところで、此処へはどうやって?」

と私が尋ねると、


「離宮から此処へは近道があるんだ。そこを通って。ここの穴は僕だけが知ってる秘密の抜け穴だよ」

と自慢気に言うローランド殿下に、ロータス様は


「此処を使っていつも抜け出していたのか……」

と呟いたかと思うと、立ち上がりその小さな穴を確認する。大人は通れない程の小さな穴だ。パッと見は生垣の葉っぱに隠れて全く見えない。

ローランド殿下が王太子専用の庭に現れた時の事を私は思い出していた。


「でも、此処へ一人で来られたとあっては、皆が心配している筈です。離宮へお戻りになられた方が良いと思いますわ」

と私が言うと、


「心配……。どうかな?本当に僕の事を心配している人なんているのかな」

と悲しそうにローランド殿下は呟いた。


「どうしてそう思うのです?」


「皆が僕に優しくするのは、お母様が怖いからだよ。だって僕だって怖いもん。……だって……だって……アンナも……」

と段々と小さな声が震え始めると、ローランド殿下は泣き出してしまった。


私はその涙を自分のハンカチで拭きながら、


「それなら尚の事、皆の元へ戻りましょう。ローランド殿下が居なくなった事で皆がアナベル様から叱られるのは嫌でしょう?」

と微笑んでみせた。するとローランド殿下は小さく頷いて、


「アンナは僕のせいで……折檻されて……」

と言うローランド殿下の言葉に私は思わず目を丸くする。そして、私はロータス様に目で合図をすると、ロータス様はしっかりとその意図を汲んで頷いた。


「では、離宮へ戻りましょう」

とロータス様がローランド殿下の肩に手を置くと、


「僕に触れると叱られるよ?」

と悲しそうに言った。私はその言葉に胸が苦しくなる。

確かに王太子専用の庭で転んだ殿下に護衛も侍女誰も触れる事が出来ずオロオロしていた。


「ここでは叱る人は居ませんよ」

とロータス様も笑顔を見せて、殿下に手を差し出した。

その手をこわごわと殿下は握る。


そして、ふとマーサに抱かれたアイザックを見て、


「その子が僕のライバルなんだね。僕はもう勉強したくないから、その子の勝ちでいいよ」

と言った。


私はロータス様のあの時の言葉を思い出していた。あの時ロータス様は『そして未だに妃陛下はローランド殿下を王太子にする事を諦めておりません』と言っていたではないか……。私は頭を殴られた様な衝撃を受けた。……私の息子が王位継承権争いの真っ只中に居る事に気づいてしまった。



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