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第29話

妃陛下は私の返答など始めから必要としていないかの様に、


「ローランド来なさい」

と手を伸ばしてきた。しかしローランド王子は私のスカートをきつく握ったまま、隠れてしまった。


見かねた私が、


「失礼を承知で申し上げます。ローランド王子殿下が怯えていらっしゃいます。出来ればもう少しお待ち……」

『下さい』と言う言葉を言い終わらぬ内に、


「蝿がブンブンと煩いわね。ローランド、二度は言わないわ。さっさといらっしゃい。でなければ、貴方の代わりにアンナが罰を受けるのよ?」

と妃陛下は私を無視したまま、ローランド王子へと話しかけた。


ローランド王子はその言葉を聞いて肩をピクリと跳ねさせた。『アンナ』と言うのは誰なのだろう。

しかしローランド王子はゆっくりと私の後ろから出て来た。


それをちらりと見た妃陛下は、


「来なさい」

と一言言うと、クルリと背を向けて歩いて行く。

ローランド王子はその後ろを、ビクビクしながら付いていく。思わず私は、


「大丈夫?」

とその小さな背中に声を掛ける。


ローランド王子は少しだけ振り向くと、悲しそうな顔をしただけで、そのまま妃陛下の後を付いて行ってしまった。


その後ろをたくさんの護衛と侍女が慌てて追いかけているのが見える。


私はポケットからハンカチを出し、ロータス様へと差し出した。


「頬に、傷が……」


「あ、すみません。大した事はないのですが……」

と言いながらロータス様はハンカチを取り頬に当てた。


そして私に抱かれたアイザックを見て、


「アイザック様は大物になれそうだ」

と微笑んだ。


この騒ぎの中、アイザックは目を丸くしていたが、声を出す事もなく大人しくしてくれていた。

ロータス様はその事を言っているのだろう。



「ロータス様。良ければこの王宮で何が起こっているのか教えていただけませんか?」

と私が尋ねれば、ロータス様は、


「私からお話するのは……あまり良い事とは言えないかもしれませんが、お部屋に戻ったら少しお話しましょうか」

と弱々しく微笑んだ。………殿下に叱られちゃうかしら?




部屋に戻り、ロータス様と向かい合う。


お茶を一口飲んだロータス様は、


「ローランド殿下の事はご存知ですね」

と尋ねてきた。


「はい。やっと出来た妃殿下のお子様だと」


「その通り。エリオット様が立太子したその頃、陛下にエリオット様しかお子様はおりませんでした。エリオット様が王太子になるのは必然でした。

その後二年程経ちローランド殿下がお産まれになりましたが、王太子を変える程の理由はありません。ローランド様はまだ幼く、その上少し身体が弱かったので、周りにもエリオット様が王太子殿下でいる事に異議を唱える者は誰もおりませんでした。……お一人を除いては」


「それが……妃陛下ですね」


「はい。そして未だに妃陛下はローランド殿下を王太子にする事を諦めておりません」


……街の人達の噂で聞いた通りだ……と私は少し前に聞いた噂話を思い出していた。



私は一人、昨日ロータス様から聞いた話を思い返していた。


『王妃陛下はローランド殿下を王太子にしたいばかりに、かなり厳しい教育を……。

しかしローランド殿下は少し身体が弱くていらっしゃいます。度々熱を出すので、妃陛下の思う通りにいかず随分とイライラしていらっしゃる様です。

そのせいで……妃陛下がお出かけになると、ああやって王宮を抜け出しエリオット様の宮へ逃げ込むのです。護衛や侍女はローランド様に触れる事を許されておりませんので、強く止める事が出来ずにあのような事が。……エリオット様はローランド殿下の事を可愛がっていらっしゃいます。しかしその事が妃陛下にバレると酷く叱責を受けるのはローランド殿下である事を分かっていらっしゃるので、あえて突き放す様な真似を』


……ローランド殿下が妃陛下に怯える理由が分かった。

私はゆりかごで眠るアイザックの頬にそっと手を添えた。


王族と言うのは、何とも馬鹿馬鹿しいものだ。権力やお金や地位を欲しがる人を否定するつもりはないが、それが全てではないだろうに……。


エリオット殿下はローランド殿下に王太子を譲る気はないのだろうか。

せめて早く正妃を娶って貰いたい。


「……ごめんなさいね。貴方を巻き込んで……」

私は眠る息子の額にそっと口づけた。

気づけば私がここに来て六日目を迎えていた。


夕食後


「はじめまして、侍女のマーサです。これからはクレア様のお世話をさせていただきますね」

と初老の女性がロータス様に案内されてやって来た。


侍女は必要ないと言ったのだけど……私がそう思っていると、


「クレア様、明日は大切な日ですので、今日は念入りにお体を磨きましょう」

とマーサがにこにこしながら、私を浴室へと連れて行く。


「大切な日……?」


「ええ。さぁ、早く早く」

と急き立てるマーサに私は疑問も質問も尋ねる事は出来なかった。


結局何にも口を挟めぬまま、湯浴みを終えた私は、意を決して、


「マーサさん、あの………大切な日……とは?」

と尋ねてみるも、


「明日は朝がお早いので、もう休みましょうね」

と全く私の質問の答えではない返答が返ってきてしまった。


……理由は分からないが、私にとって明日は大切な日で、早起きをしなくてはならない日らしい。

私は何の答えも持たぬまま、寝室へと押し込まれた。



翌朝は有言実行と言うべきか、マーサが朝早くに起こしに来た。



「さぁ、さぁクレア様。準備をいたしましょう!」

と言うマーサに、私は再度尋ねてみる。



「あ、あの、マーサさん、準備とは一体……?」


「私の事は『マーサ』と呼んで下さい。久しぶりですが、腕によりをかけてお支度させていただきますので、このマーサに全てお任せ下さい!」

と自らの胸をドン!と叩くマーサさんに私は答えを求める事を諦めた。



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