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第215話 助言のためのデート

 握手騒動の翌日は特にはなにも起こらなかった。強いて言うなら、以前にも増して視線を向けられるようになったくらい。なぜか校内で有名になってしまったらしいので、その程度ならひとまず我慢しようと思う。そのうち皆飽きるだろうしね。


 そこから土曜にかけては、思っていた通りに栞はうちに泊まっていき、二人でその週の授業の復習をした後はのんびりした一日を過ごした。


 そうして迎えた日曜、栞とのデートプラス打ち上げの日の朝、俺は一人で自宅の前で佇んでいる。


 もちろん、栞を待っているところだ。


 いつもなら栞は早い時間から寝ている俺に襲撃をしかけてくるのだが、今日はそれはなし。そして、俺がこうして玄関先でぼーっと突っ立っているのには意味がある。


 今回は俺と栞のデートではあるものの、新崎さんと藤堂に助言をするためという目的もある。さすがにあの二人がどちらかの家を一緒に出るところからデートをスタートさせるわけがないので、俺達も待ち合わせという形を取ることになっているのだ。


 最初栞は現地での待ち合わせを希望していたが、それでまた栞がナンパでもされたら面白くないと俺が言ったことで、妥協案として我が家の前で待ち合わせをする運びとなった。


 栞から家を出ると連絡があったのが20分くらい前。そろそろ到着してもいい頃かな、と思った矢先に視線の先に栞の姿を捉えた。栞の方からも俺が立っているのが見えたのだろう、小走りで駆け寄ってくる。


「りょーうっ、お待たせっ!」


 長い黒髪をふわふわと揺らしながら俺の前で立ち止まった栞は俺に向けて微笑んでくれる。いつ見てもこの笑顔は最高に可愛い。


 今日の服装は打ち上げでクラスの皆に会うからなのかデニムにパーカーというかなりラフな格好だが、そんなことで栞の魅力は霞んだりしない。むしろ服装が地味な時ほど栞自身の持ち味はより強く活きてくるといってもいい。


 当然、気合を入れてオシャレをしている栞が可愛いのは言うまでもない。つまり、栞はいつだって可愛い。異論は認めない。


 と、こんな感じで俺の栞バカっぷりもだいぶ板についてきたらしい。


「ん、待ってたよ。おはよう、栞」


 俺もできうる限りの笑顔で応える。


「おはよっ、涼」


 まずはいつも通りに朝の儀式を、といきたいところだがここは外。念の為、慎重に周りを見渡して、誰もいないことを確認してから栞を抱き寄せた。


「栞、いいかな?」


「もちろんっ。これがないと一日が始まった気がしないもんね。もししてくれなかったら今日ずっとむくれてる覚悟だよ?」


「それは困るなぁ。なら、そうならないように、ね?」


「んっ」


 栞が俺の首に腕を回して背伸びをしたところで唇を重ねる。少しだけ冷えてはいるけれど、それでもいつもと変わらずに柔らかい栞の唇に触れると、俺も活力が湧いてくる。素敵な一日は栞とのキスがないと始まらないのだ。


 やっぱり待ち合わせを現地にしなくて正解だった。現地じゃ人もそれなりにいるだろうから、こんなことできなかったと思う。


 まぁ、栞は平気でしてくるのかもしれないけど……。


「へへ。それじゃ、行こっか?」


「だね。ほら、栞。手、ちょうだい?」


「はーいっ!」


 左手を差し出すと、そこに栞の右手が添えられる。そのまま流れるように恋人繋ぎに、さらに栞はしっかりと俺に身を寄せて左腕にきゅっと抱き着いた。


 新崎さんのためとはいえ、変えられない部分は変えられないのだ。そうして、俺達はいつものスタイルで目的地へと向かうことになった。


 今日の予定は映画を一本見ることとゲーセンで遊ぶこと。


 打ち上げがボウリングとカラオケなのでそれは除外。施設内にはパチンコ店もあるとは言え俺達では入れないし興味もない、銭湯は別々になってしまうので選択肢にすら入らず、消去法であっさりと決まった。


「ところでさ、映画はどんなのを見るの? 栞が決めるって言ってたけど」


 昨日、予定を話し合った際にそういうことになったのだ。ついでにネット予約で席も取っておいてくれることに。俺も栞もお小遣い制なので、お金については当然折半だ。


「えっと、恋愛映画だよ。ほら、なにか少しでも参考になることがあるかもしれないしね。それとね──」


「うん、なに?」


「席をね、カップルシートってやつにしちゃったっ!」


 栞は顔を緩ませながら言う。やや興奮気味でもあるようで声が弾んでいる。普通の高校生らしいデートは久しぶりなので、そうもなろう。


「……あそこって、そんなのあるの?」


「あったのっ。少し割高になっちゃうけど、せっかくだから、いいよね?」


「うん。栞がそうしたいなら全然いいよ」


 すでに決めてしまっているようだし、少しくらい費用がかさむことよりも栞が楽しんでいるかどうかの方が俺には重要なのだ。



 上映までにはだいぶ余裕を持たせて待ち合わせたはずなのに、道中会話を楽しみながらゆっくりと歩きすぎたせいか、時間は結構ギリギリに。開場まではあと数分あるようだが、休日ということもあってか発券機の前には列ができていた。


「俺、飲み物とか買ってこようと思うけど、栞はなにがいい?」


 時間もあまりないことだし、ここは栞に任せて役割分担することにする。ナンパを心配してたくせに別行動はいかがなものかと思わなくもないけれど、一応目が届く距離なので、なにかあれば列を抜けてでもすぐに駆けつければいい。


「んーとねぇ……」


 栞はメニュー表を目を凝らしてじっと眺めてから続ける。


「カフェオレにしよっかなぁ、温かいのがいいな」


 毎朝俺のコーヒーに合わせてうちでカフェオレを飲んでいる栞ならそう言うと思っていた。それも甘々にしたのが栞の好みだ。砂糖を多めにもらってくることにしよう。


「おっけー。ポップコーンとかはいる?」


「そうだねぇ。どうせならお願いしよっかな」


「了解。味はどうする?」


「涼が決めていいよ──って思ったんだけど、キャラメルのが食べたいなぁ」


 おねだりをするような口調の栞にクスリと笑いが漏れる。栞も俺と同じ考えだったらしい。


「やっぱりね。俺もそう思ってたところだよ」


 これは俺と栞の気が合うから、だけではないはずだ。映画館に入った瞬間から甘ーいキャラメルの匂いが充満していて、それにつられたのだ。普段ポップコーンなんて食べもしないのに、匂いだけで食指を動かすとはなかなか侮れない。それが狙いなのはわかっているのに、すっかりキャラメルポップコーンの口になってしまっていた。


 こういう場所の飲食物は割と高めの値段設定で余計な出費にはなるが、どうせそこまで外に出かけない俺達、たまの贅沢くらい構わないだろう。旅行中も結局友人達への土産物以外、最後まで俺の財布からお金が出ていくこともなかったしね。あの資金はほぼ底をついたけど。



 特に問題が起きることもなく、栞は発券を済ませ、俺は自分用にホットコーヒーと栞に頼まれたものを購入してシアター内へ入る。どうやら栞が押さえていたカップルシートとやらは、最前列にあるようだ。


 通常の席三つ分くらいのスペースにソファ型の座席があり、栞が言っていた通りその両脇には視線を遮るように仕切りがある。


「結構広いんだね、カップルシートって」


「でしょー? これならくつろぎながら見れるし、人目も気にしなくていいんだよっ」


 栞はそう言いながら俺の手を引いて、購入した座席へ向かう。腰を落ち着けて、飲み物とポップコーンを置くなり栞は俺にぴったりと引っ付いてきた。俺の肩に栞の頭の心地良い重さが加わった。


「まぁ、こうなるとは思ってたけど、これじゃスペースがちょっともったいないね」


「いいのーっ! 普通の席じゃ肘掛けが邪魔でくっつけないんだから。それにここならね──」


 栞はもともと小さかった声のトーンをさらに落として、俺の耳元で囁く。


「──途中で我慢できなくなったら、キスくらいはできちゃうよ?」


「……それは、どうかと──いや、まぁいいの、かな?」


 カップルシートと言うくらいだから、きっとそれくらい皆やっているだろう。……知らないけど。


 それに、フィクションとは言え人の恋愛シーンを観るのだ、当てられてしまっても仕方がない。それに映画そっちのけで栞に夢中になるくらいのものなら、きっとそこまで面白くなかったということだ。映画館の中というシチュエーションで栞とキスするなんてきっとすごくドキドキする。


 ……俺も大胆になったもんだなぁ。


 なんて感慨に耽っていると、栞はポップコーンを一つ摘んで俺の前に差し出した。


「はい、涼。あーん」


「あーん」


 俺は栞の指先ごと、ポップコーンをパクリ。ノータイムで身体が勝手に動いていた。こんなこともできてしまうなら、カップルシートで正解だったかもしれない。栞の指って細くて綺麗で、ついこうしたくなっちゃうんだよね。


「やん、もうっ。私の指は食べ物じゃないよー?」


「……ごめん、美味しそうだったからつい。じゃあ栞にも。ほら、あーん」


「あーん。──ちゅーっ……」


「栞だってするんじゃん」


 むしろ栞の方がやりすぎだ。俺の指に吸い付いてなかなか離してくれないんだから。指についたポップコーンの味を全て舐め取るようにしてから、ようやく解放してくれた。


「えへへ、お返しだもーん」


「栞がそのつもりなら俺だって。ね、もう一個ちょうだい?」


「うんっ。──ふふっ、くすぐったいよぉ」


 そうしてお互いの指がベタベタになるのも構わずに、俺達はしばらくポップコーンを食べさせ合い、予告編が始まるタイミングで栞が持っていたウェットティッシュで手を拭くことになった。それがなければ映画が終わるまでベタベタなままだったのかと思うと、少しだけ反省したり。


 本編が始まる直前、栞がポツリと小さく呟いた。


「さすがにこんなのは美紀には言えないね?」


「そりゃ、ね。二人はまだ付き合ってもないわけだし」


 ただ、俺達は俺達で楽しむという目的もある。つまらないデートなんてする気はないのだ。


「でもね、美紀もいつかこんな感じになってくれたら、私は嬉しいなぁ。大好きな人との時間ってすっごく幸せなんだって知ってほしいの」


「そうだね。そうなるといいね」


 その相手が藤堂、というのはもう言いっこなしだ。新崎さんが見初めたのなら、あとは本人達の問題なのだ。


 ひとまず今の俺は栞に楽しんでもらうことだけを考えればいい。栞の本気の笑顔こそが俺の幸せなんだから。


 そうする中できっと見えてくるものが──


 ──って、あれ? 今の……。


 なんの気なしに思ったことがわずかに心に引っかかって、


「あっ、涼。始まるみたいだよ」


 そんな栞の言葉と同時に場内の照明が暗くなる。


「本当だ。なら、ここからは静かにしないとね」


「はぁいっ」


 二人揃ってスクリーンに視線を向けたことで、気付きかけたものは静かに心の奥に沈んでいった。

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