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第202話 普段通りの朝

 ◆黒羽栞◆


「ふぁ……。おはよぉ……」


 旅行から帰宅して一夜が明け、目覚めた私が朝の挨拶をした相手は涼──じゃなくてリョー君。誕生日プレゼントとして涼からもらったテディベア。


 フワフワな毛並みと可愛らしい顔立ち。眺めているだけで癒されちゃう。昨夜旅行から帰ってきた後、宣言通りに私はリョー君を抱きしめて眠りについたの。


 思わず鼻先にキスをしようとして、やっぱりやめた。


「リョー君、ごめんね。ママの今日最初のキスはパパにあげたいの。学校から帰ったらしてあげるから、いい子で待ってるんだよー?」


 頭を撫でるに留めて、枕元に座らせる。


「リョー君一人きりにしたら寂しがる、かな……?」


 相変わらず物の少ない私の部屋、リョー君の寂しさを紛らわせてあげられるものなんてそんなにない。


「んー……、しばらくはパパの写真だけで我慢してねぇ」


 ずっと枕元に置いてある涼の寝顔写真とリョー君を向かい合わせにしておいた。


 これで少しは寂しさを紛らわせてあげられるかな?


 ぬいぐるみであるリョー君が寂しいなんて思うわけがないのはもちろんわかっているんだけどね。でも、そのうちお友達も用意してあげたいなぁ。


 最初は涼の代わりってことだったのに、いつの間にか私達の子供扱いになっちゃったこの子。初めての涼からの誕生日プレゼントだし、私の宝物になったの。


 もちろん、何にも代えられない宝物は涼自身だよ?


「さぁて、その涼を起こしに行ってあげないとねっ」


 私がだいぶ無茶させちゃったから、疲れ果ててた涼はきっとまだぐっすり寝てるはず。だからって寝坊して遅刻はよくない。


 二学期のイベントは残すところ期末試験くらい。でも、旅行中に涼とした約束のためにも、普段の日常だって手は抜けない。


 やるべきことをコツコツとやっていく。そういうのは私、結構得意なんだよ。


「リョー君っ。ママ、頑張ってくるからねー?」


 身支度と朝ごはんを済ませた私は、足取りも軽く家を飛び出した。靴擦れの痛みなんて気にしてる暇はないんだから。


 *


「おはようございまーすっ、水希さんっ」


 すっかり通い慣れた高原家、預かっている合鍵で中に入ったらまずはいつも通り水希さんにご挨拶。


「栞ちゃん、おはよー。今日は一段と元気いっぱいね?」


「えへへ。だってこれから涼に会えるんですよ?」


 涼は私の元気の源なんだもんっ。それにあの二日間で涼から愛情たっくさんもらっちゃったんだから、これで元気がないなんて言ったらおかしいじゃない?


「……栞ちゃんはブレないわねぇ。涼と付き合い始めてからの栞ちゃん、どんどん可愛くなってくし、そういうこと平気で言うようになっちゃったし。まぁ、私としては涼を起こす手間が省けて楽だけどね。涼も栞ちゃんを見習ってもう少ししゃんとしてくれたらいいのに。あの子、まだ起きてこないのよ?」


「そういうのも涼の可愛いところなんですよ? というわけで私、涼を起こしてきますねっ」


 私は一秒でも早く涼に会いたくて仕方がないの。水希さんとお話するのはもちろん好きだけど、それでもやっぱり最優先は涼だからね。


「はいはーい。よろしくねー」


 水希さんに見送られて二階へと上がり、涼の部屋のドアをそろーっと開ける。お目当ての人物はベッドの上。


 よかったぁ、まだ夢の中みたい。

 涼を起こすのは私の楽しみだからね。


 少しだけ寝顔を堪能させてもらってから声をかけるのがお決まりのパターン。


「りょーうっ、朝だよー?」


「んー……、しお、り……?」


 涼はもぞりと身じろぎして、薄く目を開いた。


「はーいっ、栞だよー。おはようのちゅーしてあげるから、起きてー?」


「う、ん……。起きるから、その前に、して……?」


 あぁん、もうっ。寝起きの涼、可愛すぎだよぉ。


 こういう時の涼って、なぜかちょっと甘えん坊さんになるんだよ。理性がゆるゆるになってるのかもね。


 襲いかかりたいのを我慢するの、大変なんだからね?


 この寝坊助さんはそこのところわかってるのかなぁ?


「しょうがないなぁ、涼は。一回だけだよ?」


「ん、わかったぁ……」


 一回って言ったのは、私の方が歯止めが効かなくなっちゃいそうだから。まだどこかに旅行の余韻も残ってるし、ね。ハメを外すと……、えらいことになっちゃうもん、主に私がね。


 たくさんキスするのは準備が終わってから出かけるまでの間に、だよ?


 さすがにそこでなら、水希さんの手前堂々と遅刻するわけにいかないからやりすぎることはない、と思う。


 なんにせよ、まずは涼を起こさないことには始まらないよね。


「涼、すーきっ」


 ──ちゅっ


 寝起きで少しカサついた涼の唇。後でリップクリームも塗ってあげなきゃ。もちろん私の唇で、ね?


「んっ……。俺も好き、だよ」


「うんっ。おはよっ、涼」


「おはよう、栞」


 そこでようやく涼の目がぱっちりと開いた。


 眠っている王子様を目覚めさせるのは、お姫様の愛情たっぷりのキスが相場だもん──なーんてねっ?


 あれー、逆だっけ? まぁ、どっちでもいっか。


 でもでも、自分でお姫様なんて思っちゃったよ。

 涼が時々そういう扱いをするせいだよ?

 まったくもうっ!


「ほら、起きたら早く支度しよ? キス一回したくらいじゃ私、今日一日保たないんだからね?」


「わかってるよ。栞が途中でエネルギー切れしたら大変だもんね」


「あれー? 私のためだけなの? 涼は仕方なくしてくれてるのかなぁ?」


 こうしてちょっとだけ意地悪を言うのは、涼の本音が聞きたいから。聞かなくてもわかってるけどね、それでも言葉にしてもらうと嬉しいでしょ?


「……そんなわけないじゃん。俺だって、いくらでもしたいし」


 そう言いながら、涼は私を優しく抱きしめてくれる。つい今の今までお布団にくるまれてたからか、ぬくぬくで気持ちいい。外を歩いてちょっぴり冷えた身体があっという間に温められちゃった。


 心の方はねぇ──えへへ、涼のことを考えるだけでいつでもぽかぽかなんだよ?

 ぽかぽかになりすぎて、トロトロに蕩けちゃってるくらいだもん。


 あっ、涼が言ってたフォンダンショコラって、もしかしてこういうことなのかな?

 でもね、私を温めて溶かしてるのはいつだって涼なんだよ?


「ねぇ、栞? もう一回だけキス、してもいい?」


 ほら、またこうやって。


「だーめっ。支度が全部終わってからだよっ」


「むぅ……、いつもは栞からいっぱいしてくるくせに……」


「それはそれなのー。今日はね、落ち着いてゆっくりしたい気分なんだもん」


 じゃないと私、涼が朝ごはん食べる時間まで全部奪っちゃいそうなの。朝ごはん抜きなんて健康に悪いし、涼を腹ペコで学校に行かせるなんて可哀想なことできないよ。


「うー……、わかったよ」


 あーん、そんな残念そうな顔しないでよぉ。私が悪いことしてるみたいじゃない。私だって我慢してるのにぃ……。


「私、朝ごはんの準備して待ってるから、早く来てね?」


「はーい。栞、今日も起こしてくれてありがとね」


「うんっ」


 これから着替えをする涼を残して階下へと戻る途中、私はほぅと息を吐く。


 幸せだなぁって。


 旅行中はそりゃあもう格別だったけど、普段通りの朝、何気ない日常、涼との穏やかな時間だって私にとっては特別でかけがえのないものなの。


 それを大事に大事に積み重ねていくんだよね。それでいつの日か涼と二人で昨日会ったご夫婦みたいになるのが目標になったんだぁ。


 だからまずは、今日も愛情特盛で涼の朝ごはんを作っちゃうよーっ!

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