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第192話 流れ星に願うより

「ほら栞、しっかり掴まってね」


「えへへ。ありがと、涼」


 栞の身体をしっかりと支えながら湯船の中へといざなう。俺達は今、一時休憩ということで二回目のお風呂に入ろうとしているところである。せっかく温泉に来ているのだからという栞の意見を採用した結果だ。


 ちゃぷっと音を立ててお湯に沈んでいく栞の脚がガクガクと震えている。これは俺が栞の誘惑に負けてやりすぎてしまったせいだ。今日の栞の破壊力は過去一に凄まじく、休憩の宣言をしてからも一回戦励んでしまったくらいで。


 だって栞は俺がなにをしても喜んで受け入れてしまうんだから。今でも耳に栞の甘く蕩ける声が張り付いて離れない。おかげで三回もしたはずなのに。


 うん、お前は元気だなぁ……。


 つい、自分の半身に視線を落として心の中で語りかけてしまった。栞にも俺の状態はばっちりバレているようで、同じところを見て嬉しそうな顔をしていたり。


 まぁでも、お湯に浸かっている間は本当に休憩するつもりだ。ヘロヘロになっている栞にあまり無理はさせたくない。


 この後も時間はたっぷり残っていることだし、焦る必要はないのだ。


 先にお湯に身を沈めて、栞に肩を貸す。


「栞。俺に体重かけてもいいから、ゆっくりね」


「そんなに心配しなくても大丈夫だよー。──あっ」


「ちょっ、栞っ?!」


 ばしゃん! とお湯が大きな音を立て、水しぶきを上げた。


 ほらもう、言わんこっちゃない。


 栞が腰を下ろす途中で膝から崩れ落ちたんだ。かろうじて俺が受け止めたからいいものの、本当に気を付けてほしいよ。


 風呂場で怪我とか洒落にならないんだからさ。


「あははっ、ごめーんねっ?」


 俺の膝の上に向き合う形で座った栞がケラケラと楽しそうに笑う。反省は、してなさそうだね……。


 しかしこの体勢、ついさっきまでの色々を思い出してしまうからできればやめてほしい。っていっても、『いーやっ♪』と返ってくるのが目に見えているので口にはしないけど。


「ううん、元はと言えば俺のせいだから。怪我とかしてない? どこも痛くない?」


「うん、平気。涼が助けてくれたもん。いつもありがとっ。頼りになるねっ」


 そう言うと栞はぎゅうっと抱き着いてくる。


「栞、そんなくっつくとまた……」


「んふふ。わかっててやってるんだもーん。ほらほら〜♪」


 からかうような顔でむにゅむにゅと胸を押し付けられて、俺の頭は一瞬で逆上せそうだよ。


 やっぱり今日の栞はどこまでも俺を誘惑するつもりらしい。自分はもう腰砕けになってるくせに。


「はぁ〜……。温かいねぇ〜……」


 俺はまた余裕がなくなってきているというのに、栞は穏やかにほうっと息を吐いた。


「そう、だね。でも栞の肩出てる。冷えるよ?」


 俺の膝の上に座っている分だけ、栞の身体はお湯に沈みきっていない。俺は手でお湯を掬って、お湯から出てしまっている栞の肩にかけてあげる。


「ふあぁ……。気持ちいい……」


「じゃあもっとしてあげるよ」


 ちゃぷっ、ぱしゃっと音を立てて、何度も同じ動作を繰り返す。


「嬉しいけど、ずっとしてたら腕が疲れちゃうよ? 休憩中なのに」


「でも、気持ちいいんでしょ?」


「そうだけどね、涼にくっついてるから全然寒くはないよ?」


「そう? なら、こうしよっか」


 お湯から出ている部分を覆うように腕を回す。そのまましっかりと抱き寄せればコツンとおでこ同士が触れ合う。


「あっ。こっちの方が好きかも。へへっ、涼しか見えなくなっちゃったぁ」


「俺も栞しか見えないよ」


 近すぎて微妙にピントが合わないけどね。


「余所見、しない?」


「しないしない。ずっと栞ばっかり見てるよ。可愛い可愛い栞だけ」


 近くに栞がいない時は、頭の中で栞の顔を思い浮かべちゃうくらいにね。


「えへへ、嬉しっ。でも──ねぇ、涼。上、見て?」


「余所見、していいの?」


「今だけの、特別だよ」


「ん、わかった」


 先に顔を上に向けた栞に俺も倣う。そうして見上げた先には、満天の星。


「わぁっ……!」


 感嘆の声が勝手に口から漏れていた。


「ねっ、すごくない? 家の近所じゃこんなに星見えないもんね」


「うん、すごい……。星って、こんなにあったんだ……」


 一回目に入った時の夕焼けも綺麗だったけれど、この星空は次元が違う。普段見る空とはまるで別物。夜も遅くなって、明かりが少なくなっているのもあるのだろう。数え切れないほどの星が空を覆い尽くしていた。


「なんか、温泉に入りながらこんなのが見れるなんて、とってもロマンチックじゃなぁい?」


「そうだねぇ」


 でも、それも栞が一緒だからなんだよ。この景色も、たぶん一人で見たら『すごい綺麗!』の一言で終わってしまう気がする。栞と一緒だからこそ、とても価値があるように見えるんだ。


 おまけにさ、星の光に照らされた栞はどこか幻想的で、どんな名画にも劣らないくらい美しくて。


 その両方を一遍に見られる俺はとても贅沢をしてるんだろうね。


「これだけ星が見えるなら、流れ星とか、見れないかなぁ……?」


 不意に栞が空を見上げながら、ポツリと呟く。


 流れ星といえばその意味するところはきっと一つだろう。


「なにか願い事でもするの?」


「もし見れるのなら、だけどね。あのね、ずっとずっと涼と二人で幸せでいられますようにって」


 栞の願い事を聞いて、じんわりと心が温かくなる。でも、見えてもいない流れ星にちょっとだけ嫉妬をしてしまう。


「栞はロマンチストなんだねぇ」


「変、かな?」


「ううん、変じゃないよ。でもさ栞、そのお願いは流れ星じゃなくて、俺に、してほしいかな」


「涼、に?」


「うん。栞は俺が絶対に幸せにするよ? 逆にね、俺は栞に幸せにしてほしいって思うよ。それが続けばさ、二人でずっとずっと幸せでいられるでしょ?」


「涼……。もうっ!」


 ──ちゅっ♡


 栞が顔をトロンとさせたかと思ったら、突然キスされた。


「まったくもうっ。私なんかより、涼の方がよっぼどロマンチストなんじゃないかなぁ?」


「そう、かな?」


 むしろ俺としては現実的なんじゃないかと思うけど。


「ふふっ、そうだよ」


「ならさ、お願い、してくれる?」


「うんっ。あのね、涼。私、今でもすっごく幸せだけど、この先もっともっと幸せにしてください」


 真剣な顔で、胸の前で手を組んで祈るようにお願いする栞はとても可愛らしかった。そんなふうに願われたら、応えないわけにはいかないよ。


「そのお願い、俺の生涯をかけて絶対に叶えてみせるからね」


「やったぁ! 確かに流れ星なんかより、ずっとずっと確実な気がするねっ。星は返事もしてくれないしね」


「でしょ?」


「やっぱり涼はすごいねぇ。それじゃあ、次は涼の番だよ?」


 流れ的にそんな気はしてたけど、俺もやらなきゃダメなのね。栞がノリノリだからやるけどさ。


 俺は栞の手を取って、真っ直ぐに目を見つめて。


「栞。俺もさ、もう身に余るほど幸せにしてもらってるけど、もっともっと幸せにしてくれるかな?」


「もちろんですっ。涼のお願い、確かに私が聞き届けました。私の全身全霊をもって幸せにしちゃうんだから、もう身に余るなんて言わないよーにっ! ねっ?」


 ちょっとだけお説教が入っている気がするけれど、俺の願いも栞なら絶対に叶えてくれるって確信はすでにある。


「うん、ありがと、栞。さて、それじゃ手始めに、この後さっそく栞を幸せにしてあげちゃおっかなぁ」


 そのための準備は万端整ってるんだ。ようやくを栞と対面させてあげられる。用意してからずっと窮屈な思いをさせてしまっただろうから、これからは栞に大事にしてもらってほしい。


「えっ?! もう叶っちゃうの? 早くない?!」


「早くないよ?」


 むしろ少し遅いくらいなんじゃないかな。時間を確認していないから定かじゃないけど、もうとっくに日付は変わっているだろうし。


「はわわ……。まさか、お風呂の中で、また……?」


「違うからっ! とりあえずもう少し温まって、風呂を出たら、ね?」


「やっぱりぃ……。うん、朝までするんだもんね。えへへ、またいっぱい幸せにされちゃうよぉ……」


「いや、一旦そこから離れよ……? どんだけえっち好きになってるの……」


 俺だって好きだけどさ。

 まだ元気いっぱいだけどさ。

 もちろんこの後もするつもりだけどさ。


 でもね、それだけじゃ、ないんだよ……?


「だってぇ……。好き、なんだもん……」


「だってじゃないの。本当に栞は……」


 ツンとおでこをつついてやる。


 栞はなんでこんなにえっちな子になっちゃったのかなぁ?

 もしかして、俺のせいなのかな……?


 まぁ、きっとそうなんだろうね。だってお互い初めて同士だったし、俺としかしたことないんだから。


 ふと、栞と文乃さんの約束を思い出した。週末はどちらかの家でお泊りをしてもいいというアレ。そして、そのうち夜通しが基本になったりしないかな、と少しだけ不安になる俺だった。

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