慌てて体操着とジャージまで着たところで、仕切りの中から出る。栞のおまじないやら、その後のイチャイチャやらで時間がかかってしまったので、中を覗かなかった先生の配慮には感謝だ。
「えっと、たぶん、ちゃんとできたと思います。ありがとうございました」
バレずともドキドキして挙動不審になりかけている俺に代わって、栞が先生へとお礼を告げてくれる。
こういう時、俺よりも栞の方が肝が据わっていると思う。俺の周りだけなのかもしれないけれど、女の子の方がそういう傾向が強い気がする。
「はいはぁ〜い。って、私なぁんにもしてないけど〜。まぁ、また怪我したらいらっしゃいねぇ〜」
「そんなに怪我ばっかりしたくないですよ……」
「ふふふ〜。それもそうねぇ〜」
ほわほわと笑う先生に俺も頭を下げてから救援用テントを後にした。
「さて、それじゃ皆のところ戻ろっか?」
無事に怪我の手当が終わったので、ようやくクラスの観客席へと戻ることに。途中で抜けてきた二人三脚も、きっとそろそろ終わっていることだろう。
ただ、皆のところに戻ると言われて少しだけ気が重くなってきた。
「そう、だねぇ……」
その原因は先程の二人三脚における俺達の順位にある。激励を受けておいて最下位という結果。
それを思い出したら、栞と一緒に完走できたことでぶち上がっていたテンションもストンと急降下してしまった。
せっかく皆が頑張っているのに、団結力も高まって盛り上がっていたのに。合わせる顔がないとまではいかないけれど、申し訳がないとは思う。失望させてしまったかも、とか。
順位が決まる競技の中の話なので、誰かしらが最下位になるということは理解しているけれども。
「どしたの、涼? 背中、やっぱりまだ痛む?」
足取りが重くなった俺に栞は首を傾げる。
「いやぁ、そういうわけじゃないんだけどね……」
「そうじゃなかったら、なぁに?」
「えっとさ、俺達最下位だったなぁって……」
「あー……」
そこで栞もようやく俺と同じ考えに至ったようで、表情を曇らせた。
「ごめんね……。私が転んじゃったから……」
もちろん俺はあの結果に対して栞だけを咎めたりはしていない、これからするつもりもない。
栞が転んだのは、俺とのことを考えて力が入りすぎていたせいという話だ。俺としては、それはすごく嬉しいことだし、張り切りすぎていた栞はやっぱり可愛いと思うから。
それに、あれは俺と栞の二人で参加した競技。それなら責任は半分ずつだ。一人で抱え込むものじゃない。
「あんまり自分を責めないの。また二人で一緒にさ、皆に謝ろうよ」
「でも……」
「でも、じゃないよ」
「だって……」
「だって、はこれで二回目だよ?」
栞がなにか言おうとするのを出鼻から潰していく。議論の余地はない。俺はもう、そうすると決めたんだ。
「うぅ……、涼はずるいよ……。でも、うん、そうだね……。ありがと」
「いいんだよ。ほら栞、手出して」
「……えへへ、やっぱり涼は優しいなぁ」
これから頭を下げに行くというのにとは思うけれど、しょんぼりしているのを放っておけない俺は栞の手を取る。そうすると栞の表情もいくらか和らいでくれて、俺も栞を励ましているうちに気落ちしていたのが少し回復してきた。
栞と一緒ならどんなことでも乗り越えられる、その思いは完走できたことでまた強化されたから。
それに、皆もちゃんと謝れば許してくれる気がする。俺達を受け入れてくれた、あの時みたいに。
ただまぁ、この後に起こることについて先に少しだけ話しておくと、俺は俺達の今のクラスの人間がどんな人達なのか正しく理解していなかった、ということになる。俺が栞を庇った姿を見てどうなるのか、とか。
「あっ! 皆っ、しおりん達戻ってきたよー!」
観客席へと戻った俺達にいち早く気付いたのは楓さん。その声につられた他のクラスメイト共々、俺と栞を取り囲むように寄ってきた。
「あの、皆ごめ──」
謝るならここだろう。それに早い方がいい。そう思って口を開いたのに、
「涼っ! お前ってやつはっ!」
──バッチーーンッ!
「っっっ〜〜〜〜〜〜…………?!?!」
突然、背中を衝撃が襲った。
栞が手当てをしてくれて治まっていた痛みが、転んだ時以上になって襲ってきて、俺は膝からその場に崩れ落ちた。
「ちょ、ちょっと柊木君っ?! な、なんてことするのっ?! あぁ、涼……。大丈夫……? せっかく少しマシになってたみたいなのに……」
「う、ぅ……」
栞が悲鳴を上げつつ心配して背中を撫でてくれるけれど、痛すぎて返事もできない。
「バカ遥っ!! 高原君、背中から転んでるんだから、そんなことしたらダメでしょーがっ!!」
「あっ……、すまん涼……。つい、勢いで……」
どうやら俺は遥に思い切り背中を叩かれたらしい。
「は、遥……。さすがに、今、背中、は……」
これは最下位になってしまった俺への罰だろうか。それなら甘んじて受けるべきなんだろうけど。
でも、たとえそうだとしても背中が痛い、痛すぎる。
「ま、まじですまん……。黒羽さんを庇った涼を見たら、なんかテンション上がっちまって……」
「……え? 最下位、になったから、そのお仕置きとか、じゃなくて……?」
まだ背中はジンジンと痛むけれど、どうにか喋れるくらいにはなってきた。まだ途切れ途切れだけど。
「い、いや。そんなんでこんなことしねぇって……。ただちょっと感動したというかだな……。相変わらず涼はすげぇなって思って……」
遥の言葉に、集まってきていたクラスメイト一同がうんうんと頷いている。
「皆でね、高原君のこと、格好良かったよねって話してたんだよ。身を挺して栞ちゃんのこと庇ってさ」
「だね。高原、なんかとんでもない動きしてたもんな」
橘さんと漣も声をかけてくれる。
──やっぱり黒羽さん愛されてるよねー!
──黒羽さんじゃないでしょー? もう高原さんじゃん?
──いいなぁ。私にもあんなふうに守ってくれる人現れないかなぁ。
──いやいや、あんなの高原くらいしか無理だから。
──そうそう。あんな意味わからん動き、普通はできねぇって。
口々に発せられる言葉に戸惑う。
……あれ? なんか、思ってたのと違う?
てっきり、なにやってんだよ、とか言われたりするものだと思ってたのに。
「ってことでさ、別に誰も文句なんか言ったりしねぇって。ほら、立てるか?」
「う、うん……」
遥が手をさしのべてくれたので、それに掴まり立ち上がると、皆の視線が俺に集まって。それが俺の行動を讃えているかのように見えた。
それでも思い返すと悔しくて、
「でも、やっぱり……、ごめん。応援してもらったのに、最下位になっちゃったよ」
「私もね、調子に乗って転んじゃって、ごめんなさい」
栞も隣で一緒に頭を下げてくれた。
「律儀だねぇ、相変わらず。そこがいいところでもあるんだけどな。まぁ、二人が負けた分は皆で取り返せばいいんだからあんま気にすんな。なぁ、皆?」
皆も遥に同意してくれて、頷いてくれて、思わず泣きそうになる。
皆が優しくて本当に良かった。このクラスの一員になれたことが、嬉しい。
そう思ったところまではよかったのだけど、これで話を終わらせてくれない人がいた。
「ところで遥? なんかいい話風にまとめてるところ悪いんだけどさ」
楓さんだ。
「ん? なんだよ、彩」
「そんなんじゃ高原君の背中を叩いた分はチャラにならないよ?」
俺よりも怪我した俺の背中を叩いたことを怒っているご様子。ニッコリ笑っているのにうっすらと青筋が浮いていて、怒りを隠しきれていない。
「べっ、別にこれでチャラにしようとしてはっ……」
「ほほぉ、なるほどねぇ。覚悟はできてるってわけね。ってことで高原君! 遥の背中にお返しの一発、きついの入れてやってよ! 遠慮はいらないからさっ!」
「ちょっ、彩っ?!」
楓さんに引っ張られて狼狽えている遥の背後へと連れて行かれる。
「待って、楓さん。いいって、そんなの。ほら、もう平気だし」
遥に悪気がないのはわかっているし、謝ってももらった。なら、俺からそれ以上なにかしようとは思わない。
「だめだめ。高原君がやらないなら、しおりんにしてもらう? このおバカ、しおりんの大事な大事な高原君にあんなことしたんだから、このまま終わりにはできなくない?」
「えっ、私?! そりゃ、涼は大事だけど……。でも、さすがにできないよ、そんなことっ……」
栞も友人を叩くことには気が引けるらしい。俺としても栞には暴力を振るってほしくないので、これでよかったと思う。
ほっぺを抓るのは、ギリセーフということにしておこう。
でも、楓さん的にはそれでは許せなかったようで、
「もー、二人とも優しすぎっ! なら、代わりに私がやるしかないよねっ!」
「ま、待て待て、彩! お前がやると……」
「楓さん、ストーーップ!!」
「彩香、そこまでしなくていいからっ……!」
「問答無用だよっ! 高原君としおりんが許せても私が許せないからね! 報いを受けなさーーいっ!!」
俺達の静止を振り切り、楓さんが右手が振り上げて。
そして──
「やめっ──」
無常にもその手は振り下ろされた。遥へと裁きを下すために。
──バッッッチイィィィィーーーーン!!
俺がされた時の数倍は大きな音がして、
「いっ、てぇぇぇぇぇーーーーーーーっっ!!」
遥の悲鳴がグラウンドに響き渡り、なぜか沸き立つクラスメイト一同。
あぁ、今日もうちのクラスは賑やかだよ。
*
しばらくするとこの騒動も落ち着いて、皆は再び観戦&応援モードに戻っていった。
「なぁ、涼。俺の背中、どうなってる……?」
そこで遥がジャージと体操着をめくりあげて背中を見せてくる。
「あー……。こりゃまた見事な、モミジだね……」
季節は秋。そろそろ木々も鮮やかに色付き始める頃だ。しかし、柊木なのにモミジとはこれ如何に。モミジといえば、むしろ名前的に楓さんにこそ相応しいのかもしれない。
いや……、楓さんの背中にこれがあるのはあまりよろしくないのかな?
柊も紅葉するらしいし、遥だからギリギリ見るに耐えられる。男だから傷を負ってもいいというわけではないけど、そこは俺の気分の問題だ。
という冗談はさておき、遥の背中にはくっきりとした手形が残っている。かなり赤くなっていて結構痛々しい。あれだけの音がしたのだからこうなるのも頷けるんだけど、驚くべきは楓さんの力だ。本当に容赦がない。
「やっぱりなぁ……。ったく、彩のやつ、本気でぶっ叩きやがって……」
「まぁでも、ちょっとだけスッとしたけどね」
「あっ、それ私もっ」
俺の隣に座った栞がぴょこんと顔を出した。
自ら手を下すのは拒んだ栞だが、思うところがなかったわけではないということだろう。
「……二人にそう言われちゃ我慢するしかねぇじゃねぇか」
「俺も痛かったしさ、これでお相子ってことでいいんじゃない? とりあえず、しばらくはお互いに背中には気をつけよっか」
「次から涼の背中は私が守るから大丈夫だよっ」
そう言いながら栞が俺の後ろに回って、ピトッと背中にくっついてきた。栞の体温が心地良くて、まだ痛む背中が癒される。
「なんにせよ……、改めてすまんかった」
「もういいって。ほら、俺達も応援しなきゃでしょ?」
「……だな」
こうして、俺達の心配は杞憂に終わることとなった。遥の背中に立派なモミジだけを残して。