デートから帰った夜、寝る支度を済ませた後で栞に電話をかけることにした。
断じて言っておくが、母さんから『デートのアフターケア、ちゃんとしときなさいよ』なんて言われたからではない。
まぁ、それもないではないんだけど。デートは楽しかったし、お礼は言おうと思っている。でもそれが本題ってわけじゃなくて。
デートの最後に撮ってもらった写真を見た時、俺はとても大切なことに気付いたんだ。俺は自分がこういうやつだと思い込んでいたのを、栞が根底から覆してくれていたってことを。帰り道でもそれが嬉しくてしかたなくて。全部栞のおかげだ。最近俺に少しずつ自信がついてきた理由もなんとなくわかった。
改めて栞には伝えるつもりではいるけど、大事なことなので直接言いたい。だから今からその話をするつもりはないのだけど、ただ、寝る前に思い出したら無性に栞の声が聞きたくなってしまったのだ。
栞の連絡先を呼び出して発信ボタンを押すと、いつかの時とは違って今回はすぐに繋がった。
『はーい。どうしたの、涼? こんな時間に電話なんて初めてだよね?』
「ごめん、いきなりで。もしかして寝るところだった?」
栞の声がいつもより少し眠そうな気がする。
『んーん、まだ大丈夫だよー』
大丈夫と言う割に、ほにゃほにゃした声が返ってくる。それに甘えるような色も混ざってる気がする。こういう声も好きだって思う。俺に対して無防備で、心を許してくれてるんだなって感じるから。
でも半日歩き回って疲れてるだろうし、早めに切り上げたほうがいいかもしれない。そういう俺の方も目を閉じたらすぐにでも寝てしまいそうだし。
『でも、へへっ、嬉しいなぁ』
「え、なにが?」
『だーって、寝る前に涼の声が聞けたんだもーん』
「そっか……。そうだね、それは俺も嬉しいかも」
確かに栞の言う通り、眠りにつく前の一日の最後に聞く声が栞のものなら、それはとても幸せなことのように思える。
『ねぇ、これからも寝る前に電話していーい? 涼の声聞いてからだとよく眠れそうな気がするの』
「うん、いいよ」
そんなことで栞が喜んでくれるなのなら安いものだ。それに俺だって同じ気持ちなのだから。
『やったぁ! あっ、それで何か用事だった? ごめんね、遮っちゃって』
「ううん、別に用事ってほどではないけど……。今日楽しかったからさ、お礼言いたくて」
俺の言葉に栞はクスクスと笑う。
『涼ってやっぱり律儀だよねぇ。お礼言わなきゃいけないのは私の方なのに。私の我儘いっぱい聞いてくれてありがとね、涼』
「あれくらいじゃ我儘なんて思わないって。あ、そうそう。栞の選んでくれた服さ、母さんが褒めてたよ。さすが栞ちゃんねって」
一応こういうことも伝えておいたほうがいいだろう。母さんから頼まれたって言っていたし。
『本当?! よかったぁ』
「でもさ、母さん酷いんだよ。服がまともになったら髪型のダサさが際立つ、とか言ってさ」
俺だって不慣れなりにそこそこ整えたつもりだったのに、母さんは容赦ないんだよ。栞からもらったあの写真を見せたら、栞のことはベタ褒めだったくせにさ。栞に関しては俺も最高に可愛いと思っていたけど。
『あー……』
「あー……、って栞まで……?」
栞にもそう思われてたとしたならちょっとショックだ……。栞に見劣りしないように、これでも結構頑張ってるんだけど……。
『あっ、ごめんごめん! 私もダサいって思ってるとかじゃなくてね。えっとね、涼も髪切るつもりないかな?』
「まぁ、だいぶ伸びてきたしそろそろかなとは思ってるけど?」
俺は自分の髪を一筋引っ張りながら答えた。前回切ってからすでに3ヶ月くらいは経っているし、そろそろ前髪は目にかかって鬱陶しい長さになっている。
『じゃあさ、私がお世話になってる美容室に行かない? 実は涼のこと連れてこいって言われてるんだよね』
「へ?」
『お母さんのお友達がやってるところなんだけどね、どうかな?』
「いやまぁ、こだわりとかないからいいんだけど……」
いつも通ってるのは近所の安さがメインの床屋だし。
『本当?! じゃあ明日の朝、お店に確認してみるね。へへっ、涼はどんな髪型が似合うかなぁ』
「ちょっと栞?」
『大丈夫! 涼に合いそうな髪型調べとくから安心して』
「それは助かるけど……、ってそうじゃなくて」
栞は興奮気味なのか全然話を聞いてくれなくなった。あんなに眠そうだった声も、今ではしゃっきりして。
『それじゃ、色々参考になりそうなもの見てみるから切るね! おやすみ、涼!』
「え、あ、おやす──」
──プツッ。
「あっ……。えぇ……」
栞は言いたいことだけ言うと、俺の返事も待たずに電話を切ってしまった。
そろそろ切ろうと思ってるとは言ったけど、まさか明日なの? 急すぎない? というか連れてこいってどういうこと?
色んな疑問を残したまま俺は取り残されたのだった。
まぁ、明日になればわかるか、そう考え諦めて眠りについた。
*
翌朝、疲れのせいかいつもより少し遅く目覚めた。枕元に置いていたスマホを手に取って見るとすでに栞からのメッセージが届いていた。
(栞)『おはよ、涼。今日空いてる時間があるからおいでって言ってもらえたよ。だから今日は私の家に集合ね? 案内するから』
栞の行動が早すぎてビックリだ。そこまで話が進んでいるなら行かないわけにはいかないじゃない。
(涼)『おはよう、栞。了解だよ。いつもくらいの時間に栞の家に行けばいいかな?』
あっという間に既読がついて、返事までもがすぐにきた。
詳しい時間までは書いてなかったのでとりあえずそう返信したわけなんだけど。いつも俺達が会うのは昼過ぎからなので、それでいいと思っていたんだけど、栞としてはそうでもないらしい。
(栞)『今から来てもいいよ?』
(涼)『それだと昼ご飯、文乃さんに気を遣わせちゃわない?』
(栞)『お母さんも別に構わないって。ねぇ、今の髪型の涼は今日で見納めなんだしいいでしょ?』
(涼)『そこまで言うなら……。わかったよ。でもまだ寝起きだから、支度したら行くよ』
(栞)『うんっ! 待ってるね♪』
最後の♪で栞の浮かれ具合がわかる気がした。
こんなに予定が立て込んでいる夏休みは初めてだ。ちょっと振り回されてる気がするけど、栞にならそれも悪くないかなって思う。
でも、また知らない人と会うことに少し緊張しながら支度をして。母さんに栞の家に行くことと、髪を切ってくることを告げて家を出た。
「本当に涼は変わったわね。栞ちゃんに感謝しなくちゃ」
なんて言っていたのは無視しておいた。からかってる風だったし、一番栞に感謝してるのは俺なんだから。
俺も栞も見た目がガラッと変わって、内面までも変わって。登校日にクラスのやつらが見たら、どんな顔をするだろうか。心配だったはずなのに、今ではちょっとだけ楽しみな気がしてる。
黒羽家へ向かう途中、俺はそんなことを考えていた。